「そのような薄弱な根拠ですぐに人を疑うのは正直者の証拠とは言えぬ。故人が自分で手形の置き場所を変えたと考える方がずっと自然なことではないか。さすれば、それらはすぐに見つかるであろう!」
書記官の方は、判事ほどには心を痛めてはいなかった。彼もまた、死者の枕元で繰り広げられるこのような見苦しい恥ずべき騒動をさんざん見てきて、食傷するほどだったのである。彼が書き物机の方にちらと目を走らせたとすれば、それは二百万フランという大金がかくも狭い空間に入れられるものか、という興味に動かされただけにすぎなかった。次の瞬間にはまた頭の中で計算を始めていた。治安判事の書記官という肩書であと何年勤めれば、そのような大金を溜めることができるかという。やがて判事の、マダム・レオンがどこかにある筈と主張する遺言並びに手形の捜索を続ける、という宣言を聞いて彼は計算をやめた。
「それでは判事、文書作成にかかってもよろしいですか?」と彼は尋ねた。
「よろしい、私の言うとおり書きなさい」と判事は答え、抑揚のない声で口述を始めた。毎度御決まりの正式手続きであり、書記官もよく知っているものであった。
「186*年十月十六日、午前九時、ナポレオン法典八百十九条及び訴訟法九百九条に則り、故ルイ・アンリ・レイモン・ド・デュルタル、即ちド・シャルース伯爵の雇用者の要請に基づき、不在の推定相続人及びすべての関係各位の利益に鑑み、以下のごとく命令を執行する。前記の治安判事、書記官の立ち合いのもと、前記の故人宅、所在地クールセル通り、の寝所に立ち入り検査を行う。同室は中庭に面する二面の窓より採光されている。前記故人、シーツに覆われ自室ベッドに横臥の状態で安置。同室内には以下の者たちが……」
彼は言葉を止め、書記官に向かって言った。
「全員の名前を記録しなさい。時間が掛かるであろうから、私はその間家宅捜索を続ける」
しかし現実に捜索すべきものとしてそこにあるのは、書き物机の棚と引き出しだけであった。最初の引き出しを開けたときから、マルグリット嬢の供述が正確であったことが彼には分かった。そこには大量の証書があり、ド・シャルース氏が不動産銀行から八十五万フラン借り受けたことを示していた。そしてこの額が彼の死ぬ前の土曜日に振り込まれていた。
更にその下にペレという名前の為替担当者による確認書があり、伯爵が複数の種類の証券、国債及び株券を証券取引所で売却したことを示していた。即ち、伯爵の死の前々日、つまり火曜日に、一部は紙幣で、残りは各種の手形で合計百四十二万三千フランを彼は受け取っていたことになる。これらを合わせると、総額二百二十七万三千フランを彼は六日前から手元に持っていたことになる。
次に開けた引き出しからは土地の権利書、賃貸借証明書、株券の束以外何も見つからなかった。これらは伯爵の富が世間の評判よりも更にもっと巨大なものであることを示していたので、彼が何故金を借り入れる契約を結んだか、その理由を見出すのが困難であった。3.13
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