エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

2-XIV-6

2025-02-14 10:48:38 | 地獄の生活
とうとう根負けして彼は降参しました。つまり、降参する振りをしたのです。感謝と愛の言葉をふんだんに浴びせて……。それが私の理性を狂わせることになると計算の上です。
『ああ、それでは、お受けしましょう!』と彼は叫びました。『私たちを見、聞き、裁いてくださる神の御前で私は誓います。この世で最も崇高かつ類まれなる献身に対し、男が為し得るすべてのことを私はいたします』 と。
そして私の上に屈みこむと、彼は私の額に口づけをしました。彼から受けた最初の口づけを。
『しかし、逃げなくてはなりません!』と彼はてきぱきと言いました。『今や私には守るべき幸福がある。これからは何人たりとも邪魔はさせない。私たちを引き裂くようなことはさせない。一刻も早く逃げなくては。私の国であるアメリカまで行きさえすれば、その瞬間から私たちは自由の身です……但し、もちろん、私たちは追われるでしょう。もう既に追手が迫っているかもしれません。貴女は社会的に大きな力を持つ家柄の令嬢なのに、私は何もない人間。私たちは一捻りで潰されます……貴女はどこかの修道院の奥に閉じ込められ、私には盗賊か殺人者の汚名が着せられるでしょう』
私の頭に浮かんだのは、たった一言だけ。
『逃げましょう!』
こうなるだろうということは、彼には分かりすぎるほど分かっていたのです。
それというのも、門のところに一台の馬車が停まっていましたが、それは私をド・シャルース邸まで乗せていくためのものではありませんでした……その証拠に、その馬車には既に彼の旅行鞄と荷物が積みこまれてありました。それに、御者には予め指示を与えてあったのか、一言も言葉を交わすことなく、馬車はまっすぐル・アーブル駅に向かったのです。
このような些細な事がはっきり思い出されて全てが氷解したのは、それから何か月も経った後のことでした……そのときには気がつかなかったのです。私はとてもそんな状態ではなく、ショックで何も見えなかった。持って生まれた気質と一緒に、自分の自由な意志というものが私から飛び去ってしまったのです。
私たちが鉄道の駅に着いたとき、列車がまさに発車しようとしていました。私たちは乗り込みました。
神は妻たる女に言われたではないか。『お前の夫に従うため、お前はすべてを捨てるのだ。故郷も両親の家も家族も友人もすべて……』 私はつまらないへ理屈で自分の心に蓋をしようとしていました。彼こそ自分の夫なのであり、全ての人の中から心が本能的に選んだ人なのだから、彼に従い、彼と運命を共にすることは自分の義務なのだ、と。それで私は逃げたのです。自分の兄の亡骸を背後に残して行くのだと信じて……」2.14
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