エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

1-XVII-11

2022-01-06 10:14:11 | 地獄の生活

フォルチュナ氏が部下と共に食事をするのに選んだテーブルは店先であった。そしてお決まりの卵とフライドポテト添えビーフステーキの食事を、一人はほんのおざなりに口に運ぶ程度、もう一人は遭難者のような食べっぷりであった。その間ずっと二人はダルジュレ邸の入口を監視していた。

マダム・ダルジュレが客を迎えるのは土曜日であり、壮大な馬車の列が並んでいるのは彼女の屋敷に来た客であることにもシュパンは気がついた。フォルチュナ氏の横に立っているのは店の主人で、このような立派な身なりの紳士が自分の話に耳を傾けてくれることに大喜びになり、まるで暇を持て余している店主のように、得意気に饒舌を奮い、彼の知っている客の名前をペラペラと並べ立てていた。それはかなりの数に上った。というのは、マダム・ダルジュレの邸でゲームが行われる夜、御者たちが喉を潤しに来るのはここだったからだ。

このようにして名前が挙がったのは、二頭立てのフェートンに乗って到着したド・コラルト子爵、更に徒歩で到着したトリゴー男爵だった。彼は健康の為と称して、いつも汗をかきながら歩き、息を切らせたアザラシのようだった。フォルチュナ氏はこの名前を聞いて眉根を寄せて考えていたが、何も思い出すものはなかった。

店の主人は更に、マダム・ダルジュレは二時半か三時以降にしか外出しないこと、そして常に馬車に乗って出かける、と二人に教えた。この二番目の情報はシュパンを不安にさせた。店の主人が他のテーブルに接客のため離れていったとき、彼はフォルチュナ氏に尋ねた。

「今の、お聞きになりましたか、旦那? どうやって馬車の後をつけるんで?」

「別の馬車で、に決まっているだろ!」

「分っかりやした。簡単なことっすね……けど、もっと難しいのは三十歩離れたところから、こっちに背中を向けてる人の顔を見分けなくちゃならないことです……この御婦人の目を見なくちゃいけないでしょ。彼女が何を見ているか、どんな様子で見ているかを知るためには……」

これは難問のように見えたが、フォルチュナ氏は平然としていた。

「それは心配ないよ、ヴィクトール」彼は答えた。「今のような状況で母親が息子を一目見ようとするときには、速駆けしている馬車の上からちらりと見るだけじゃない。よく見るために馬車から降りるに違いない。そして彼の横を通るようにする。彼に触れることもできるぐらいの距離で……だからお前の仕事は、彼女が馬車から降りたらすぐお前も降りられるようにしておくことだ。くれぐれも近づき過ぎないように。もし今日上手くいかなくても、明日、あるいは明後日成功すればそれでいいんだ……大事なのは辛抱強くやることだ」1.6

 

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1-XVII-10

2022-01-05 09:50:19 | 地獄の生活

シュパンに気をつけろと忠告するのは不要なことだった。彼は協力を約束はしたが、全面的に相手を信用したのではなかった。

「避けられる危険は危険じゃない」と彼は思っていた。「様子を見て、やばいことになりそうだったら、ほいさいなら、とおさらばすりゃいいんだ」

尤も『やばいこと』とはどういう意味なのか、それについてはまだ曖昧なままであったが。彼は本心から真人間になったのであり、金には飢えていたが、明らかに不誠実な行為には何がどうあろうと手を染めるようなことはしなかった。但し、善と悪の境界線は彼の中で明確に決定されているわけではなかった。これは彼の教育と関係があったろう。街の巡査が命じる規則がすべての人倫を反映しているわけではないということを知るのには相当時間が掛かったこととも関係していた。彼の人生に偶々降り掛かった運命とも無関係ではなかった。手に職を持たなかった彼は、上流階級から下層階級に至るまで存在する落伍者たる運命を、パリだけにある突飛な職業に賭けるしかなかったのだ。

とは言え、彼は次の朝一張羅のフロックコートを着込み、十一時半には雇い主であるフルチュナ氏の門の呼び鈴を鳴らしていた。フォルチュナ氏は既に午前の顧客を片付け、頭の天辺から足のつま先に至るまで一部の隙もない身なりで待っていた。シュパンが入るや否や、彼は帽子を被り、ただ一言こう言った。

「行こう」

シュパンを伴って着いた先はベリー通りのワイン商だった。前日彼が情報を仕入れた店である。彼は気前よく昼食を注文した。店に入るに先立って、彼はシュパンに通りを隔てた向かい側にあるのがマダム・ダルジュレの豪華な邸宅であることに注意を向けさせ、言った。

「あそこだよ、ヴィクトール。あの門から問題の御婦人が出てくる。その御子息を見つけるのが肝要なことだ」

この瞬間、母親から受けた予言的な戒めを一晩じっくり考えた後でもあり、前日あれほど彼を興奮させた良心の呵責がまた新たに頭を擡げ彼を悩ませた。しかし店の主人の言葉を耳にしたとき、それらの呵責はすぐに消え失せた。フォルチュナ氏の巧みな質問に誘われるように店の主人はマダム・ダルジュレの来歴のあらましを語り、邸で日常的に行われている眉をひそめるような振る舞いを告げていた。

「なんてぇこった!」と彼は思っていた。「これが尾行しなけりゃならない女なのか! あ~あ、でも、やってやるぜ……狙いは彼女の評判じゃないんだからな……」1.5

 

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1-XVII-9

2022-01-03 11:09:42 | 地獄の生活

「もしお前が勉強しているところなのを見ていなかったら、ヴィクトール、お前は酔っぱらっていると思っただろうよ」と彼は言った。「こんなに突然、一体どういう風の吹き回しだ? お前が私のところへ来てから、もう二十回は同じような仕事をお前に頼んでいる。姿をくらましている私の債務者たちの何人かを見つけるためにパリ中を探し回って見つけ出してくれたのは誰だ? ヴァントラッソンの居場所を探り当ててくれたのは誰だ? ヴィクトール・シュパンだ。そうだろ? 正直な話、私には分からないんだが、さっき話した仕事と他のものとは何が違う? 他の場合は平気なのに、何故この仕事だけは良心が許さないんだ?」

 これに対しシュパンはこう答えることも出来たであろう。他の場合は、それを伝えるためにわざわざ彼の家まで訪ねて来られることはなかった。他の仕事とは、世に認められた債権者の代理人として権利を行使するものであり、何の秘密もなく、白昼堂々と認めることが出来た。しかし、シュパンがその相違をはっきりと感じていたとしても、それを言葉で説明するのは難しいことだった。というわけで、彼はきっぱりした口調でこう言うことにした。

 「俺が愚か者だったってことっす、旦那。この埋め合わせはきっちりさせて貰います」

 「つまり、元どおり物分かりの良いヴィクトールに戻ったってことだな」皮肉な口調でフォルチュナ氏は言った。「それはよかった、本当に……だがな、一言だけ忠告しておく。ときには自分の言動に気を付けることだ……私もいつも今日ほど機嫌の良いときばかりではないからな」

 そう言うと彼は重々しい態度で立ち上がり、最初に入ってきた部屋を通り、シュパンの母親に丁寧にお辞儀をすると出て行った。去り際に彼の発した言葉は次のようなものだった。

 「それではお前を当てにしているよ……ちょっとばかり身なりを整えて明日正午少し前に私のところまで来てくれ」

 「分かりました」

 殆ど目の見えない母は立ち上がり、恭しく一礼した。しかし息子と二人きりになったことが分かるや否やこう尋ねた。

 「一張羅を着て行かなくちゃならない仕事っていうのはどういうものなんだい?」

 「毎日やってるのと同じような仕事だよ、おっ母さん」

 老婦人は頭を振った。

 「随分大きな声で話していたね! なにか言い争いをしていたんだね? あたしに隠さなくちゃいけないとはよほど重大なことなんだね? お前の御主人様の顔は見られなかったけど、声だけはちゃんと聞いたよ。あまり良い感じはしなかったね……。あれは正直な男の声じゃない。トト、お前用心するんだよ。口車に乗せられちゃいけない。よく気を付けるんだよ……」1.3

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1-XVII-8

2022-01-02 11:04:22 | 地獄の生活

「それじゃまるで」とフォルチュナ氏は自信たっぷりに言葉を続けた。「私がお前に恥ずべき危険な仕事をさせようとしているかのように聞こえるじゃあないか」

「い、いや、旦那、そんなことは……」

この「いや」という言葉には大いに躊躇いが籠っていたので、フォルチュナ氏は被せるように言った。

「それでは、私が徴収業務以外に、相続権主張者不存在の場合の相続財産権利者の捜索の仕事もしているということを知らないと言うのか? そうか、知っているんだな、やはり。それでは聞くが、調査することなく、どうやって相続権利者を見つけ出すんだ? 今言ったご婦人を監視してくれと私が頼んだのは、彼女を通して、本来なら自分のものであるべき財産を奪われようとしている気の毒な若者に辿り着くためなんだ。私がお前に二日間の仕事に四十か五十フランを支払うと持ちかけたのは、そういうことだったんだ。そんなことも分からないお前は恩知らずの馬鹿でしかないな、ヴィクトール!」

ヴィクトール・シュパンの中には、パリのフォブール界隈に住む労働者階級特有の長所と短所が申し分なく混在していた。生まれながらにして老成しており、年を取っても悪ガキのままであるという。つまり、彼は純真無垢でも信じやすくもなく、とりわけ人を信用しなかった。少年になるかならないかの頃から、彼は人生の裏表を見て来た。そのようにして得られた経験は哲学者も顔負けのものであった。しかし、そんな彼でもフォルチュナ氏のしたたかさを前にしては勝負にならなかった。フォルチュナ氏にはシュパンに対し圧倒的なアドバンテージがあった。彼の雇い主であること、地位、財産、それにりゅうとした身なり……。シュパンは雇い主からまず浴びせられた冷たい非難の言葉にぐらつき、やがて狼狽させられてしまった。彼の最初の印象を打消し、自分が疑いを抱いたことを殆ど後悔するところまでになったその理由は、提示された金額の低さであった。四十から五十フランという……。

「なんだ、ほんのはした金じゃないか」と彼は思った。「これは正直な仕事の報酬っぽいな。後ろぐらい仕事ならもっと大金を提示する筈だ……」

そして、しばし考え込んだ後、彼は大きな声で答えた。

「ま、いっしょ!……やりますよ、旦那」

フォルチュナ氏は内心、自分の作戦成功を面白がっていた。シュパンには大金を提示するつもりでやって来たものの、自分がもたらすであろう結果に予め確信があったので、出費をケチりたいという気持ちがあった。それがどうだ。正直者のシュパンの良心が咎めたおかげで、彼は節約することが出来たのだから。1.2

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