事は逐一彼の考えていたとおりに運んだ。ほどなくヴィクトリアはビールを売っている小屋を通り過ぎ、左の道を取り、従者を伴った一行がゆっくりと周回している列の中に入っていった。湖の周りには歩行者のための小道があり、そこに辿り着いたシュパンは何の苦労もなく、ポケットに両手を突っ込みながら歩き始めた。頭の中では約束された報酬の他に、馬車に乗らずに歩いて浮かせた費用のことを考えて大喜びだった。
「それにしても」と彼は口の中で呟いた。「湖の周りを一列になってぞろぞろ周回するだけなんて何が面白いんだか。まるで手回しオルガンの上でくるくる回ってる人形じゃないか……俺が金持ちになったら、もっと他の事をして楽しむんだ」
シュパンは可哀想に分かっていなかった。人がブーローニュの森に来るのは楽しむためではなく、他人を苦しめるためだということを。この広いコースは世にも愚かな虚栄心の見本市に過ぎなかった。青空の下で行われる贅沢の見せびらかし、恥知らずの陳列であった。見、そして見られること……そこに人が集まるのであった。
いや実はそれだけではない。この湖の周回は別の魅力も持っていた。ここは言わば中立の場であり、他の場合ならば深淵によって隔てられている女たちが互いに出会い、袖擦り合わせ、じろじろ観察し、ねたみ合う場所だったのである。あのジェニー・ファンシー(『オルシバルの殺人事件』他参照)やニネット・シンプロンといった、堅気の女性が『あの手の人たち』と呼ぶ別の世界の女たちに車輪と車輪が触れ合わんばかりの距離まで近づくことが出来るのは何物にも代えがたい快感であった。堅気の女性は彼女たちのことを常に恐れてはいるが、絶えず話題にし、彼女たちの化粧、磊落な態度、隠語を真似し、要するに彼女たちに似せた外見を作り上げることに腐心することでその実態を身に着けて行く。そのこと自体は不品行ではないが、それに近く、徐々に染まって行く。いつもそんなものなのだ。
しかしシュパンの頭に浮かんでいたのは、そんなことでは全然なかった。マダム・ダルジュレはしきりに何かを気にしており、シュパンはそれをじっと観察していた。彼女は四方を見回し、ときには馬車から身を半分乗り出し、ギャロップで馬を走らせてくる蹄の音を聞くたびに振り返っていた。明らかに彼女は誰かを探しているか、待っている様子であった。しかしその誰かは現れず、三度周回した後はさすがに疲れたのであろう、彼女は御者にある合図をした。すると馬車は列を離れ、側道に入っていった。
「そうか、よし!」とシュパンは思った。「お客さんはお帰りだ。これ以上金を遣うことはないな……それでもやっぱり辻馬車を見つけたいもんだ……」
幸いにも彼は一台見つけることができた。しかもヴィクトリアを追うだけの力のある馬だった。