エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

2-IV-9

2022-11-10 09:44:57 | 地獄の生活

突然自分のものになったこのアパルトマンをウィルキー氏がじっくり見て回りさえしたなら、この場所が愛情をもって設えられたことがおそらく彼にも分かったであろう。そこにあるすべての調度品は新品でありながら血の通った温かみがあった。注文すればすぐ手に入るような、大抵は値段と家具商の好みに応じた冷たい家具付き住居とは違っていた。些細な点にまで女性の細やかな愛情に溢れた手が行き届いていた。先々まで前もって配慮する母親の優しさが感じられた。若い男を喜ばせそうなちょっとした贅沢品は一つとして忘れられていなかった。西インド諸島産の高級木材の煙草入れにはロンドレス葉巻が入れてあり、テーブルの上や暖炉の上にはタバコの一杯入った壺が置いてあった。

ウィルキー氏にはこれらすべてに気づく時間が十分にあった筈だ、本当に! ところが彼は急いで五百フランをガゼット財布(ズボンの帯革の中に入れるようになっている小さな財布)に流し込み、残りの財産は引き出しにしまうと外に飛び出して行った。まるでパリ全体が彼のものになったかのように、あるいはそれを買う金を持っているかのように意気揚々として。こうなるとこの解放感を共に祝ってくれる誰かが欲しくなり、彼はルイ大王高等学校で一緒だった仲間を探しに行った。そのうちの二人が見つかった。一人は順調に事が運んでいなくて、もう一人は一年半ぶりの再会だったが、彼の全財産である四万フランほどを使い果してしまっていた。ウィルキー氏には大層プライドの傷つくことだったが、自分が生まれて初めて自由を手にしたということを二人の古い友達に打ち明け、気まずそうにした。彼らの方では全く動じることなく、パリに住む気の利いた若者ならこうでなくちゃ、という生き方を必ず教えてやると約束した。そしてその証拠に、彼らはウィルキー氏が熱心に誘った夕食への招待を受けた。それは豪勢な夕食だった。他の友人たちも加わり、最後に少しばかり健全なバカラをし、夜はダンスをした。

明け方になり、初めてのバカラの授業料を払ったウィルキー氏はポケットの金がすっからかんになっているのを発見した。四百フランなにがしかの勘定書を突き付けられ、彼はレストランの給仕に付き添われ自宅に戻ってその金を取って来なければならなかった。

このような最初の試練で、彼はうんざりするか、少なくとも反省をしてもよかったのだが……そうはならなかった。柔弱な放蕩者たちや厚化粧の女たちの中で、彼は自分が水を得た魚のように感じていた。自分はここに留まり、ここで名を上げるか、実力者になってみせると自分に誓った。言うは易く行いは難し、の好例であった。一カ月経ち、彼は四半期分として貰ったお金の五千フランがまだ残っていると思っていた。ところが残っていたのは十五ルイと小銭だけだった。一年に二万フランというのは、どのように生活するかによって大金にもなるし、はした金にもなる。11.10

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2-IV-8

2022-11-04 10:24:40 | 地獄の生活

そのときまでは四半期に一度、五千フランをあなたにお渡しするよう、命じられております。これがそれです。三か月後に同額をお送りいたします。送る、と申しますのは、私にはイギリスに仕事がありましてそこに留まらないといけないのです。これが私のロンドンの住所です。もし何か不測の事態が生じましたら、そのときは私に御一報ください。これをもって私に与えられた任務は終了です。ではご機嫌よう!」

「ふん、悪魔にでも食われっちまえ、頓馬なじじい!」 パターソン氏が出て行った後ドアをばたんと閉めるとウィルキー氏は呟いた。 「シャイヨ修道院へでも行きゃがれ、目障りなんだよ!」

十年間彼の親代わりを務めてきた男からの、おそらくこれが最後という別れの言葉を告げられたとき、彼の心に浮かんだのはこれだけだった。つまりこのとき既にウィルキーという若者がかなり強烈な個性を持ち、現実にそうなるかどうかは別にして、通常の分別を遥かに越える可能性のある男であったということを示している。彼は高等学校で受けたすべての教育を受け付けなかったが、教師たちが教えなかったいろんなことを身に着けていた。彼がつるんでいたのは裕福な親を持つ劣等生たちで、彼らは外出日のたびに羽目を外し、上流階級のやり方について彼に手ほどきし、『お洒落』なものとそうでないものとの区別の仕方をウィルキーに教えた。

デュリュイ氏(当時の教育相。小学校を無償の義務教育化することを提案したがナポレオン三世に反対され実現しなかった。が、世俗の女子中等教育、その他の改革を実現させた)のモットーは役に立たなかった。多くの高等学校では、パリでは特にそうだが、その時の社会の在り様を反映している生徒たちが常に底辺に蠢いているものだ。高等学校の門衛はタバコや酒類が持ち込まれることのないよう監視することはできるが、特定の生徒たちが外で仕込んでくる愚かで不健康な考えは阻止することができない。現在の悪童どもは安心してよい。後継者には事欠かないからだ。

パターソン氏の賢明な忠告はウィルキー氏の頭の中に留まることはなかった。俗に言うように、片方の耳から入ってもう片方から出て行ったのである。

彼にとり、この最後の会見から明らかになった唯一のことは、今後は彼自身が何でも決めてよいということだった。それに大金が手に入ったということ……まるで夢のように。つまり、いやこれは夢などではなく現実であり、その金はちゃんとテーブルの上にあった。ピカピカのルイ金貨で五千フラン、生きた金がもぞもぞとひしめいているではないか……。11.4

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2-IV-7

2022-11-02 09:23:11 | 地獄の生活

ウィルキーは激しく泣き叫び、嫌だと抗議した。が、この仕事を命じられ報酬を貰っていると自ら語ったパターソン氏は、彼をルイ大王高等学校へと連れて行き、彼は寄宿生となった。 その学校で過ごした何年間かは彼にとって全くうんざりするものだった。ごく並みの知能しか持ち合わせなかった彼は無為に日々を送ったので、何も学ばなかった。毎週の日曜日及び祭日にはきっかり十時にパターソン氏が彼を迎えに来、いかめしい態度でパリ市内や郊外を散策し、最上のレストランで昼食と夕食を取り、彼の欲しがる物はすべて買い与え、九時の鐘が鳴ると学校まで送るのだった。休暇になるとパターソン氏は彼を自分のもとに引き取り、娯楽を禁じることはなく、彼の欲求を察して何かと世話をしてくれたが、一瞬たりとも彼から目を離すことはなかった。ウィルキーがこの絶え間ない監視に抗議をすると、パターソン氏は決まってこう答えるのだった。「私には果たすべき任務がありますのでね」 この言葉であらゆる議論は打ち切られた。

 このように日々は進んでゆき、哲学クラス(哲学バカロレアの準備をするリセの最終学年の専攻科のひとつ。文科系のこと)を修了する日がやって来た。後はバカロレア試験を受けるのみだった。彼は試験を受け、当然のごとく落ちた。だが幸運にもパターソン氏は何らかの弥縫策に長けた男だった。彼はウィルキーをある特別な施設に入れ、千フラン札五枚と引き換えにある貧乏な青年を探し出し、この男に三年の禁固刑になる危険を冒してウィルキーの名前で替え玉受験することを承知させた。

高い金で買い取ったこの卒業資格はすべての門戸を開放してくれる筈であり、ウィルキーは誰かが自分のポケットを金で一杯に満たし、自由に飛び立たせてくれるものと期待した。だが、そうはならなかった。パターソン氏はある老家庭教師の手に彼を委ね、社会勉強及び成年男子としての振る舞いを教えるためにヨーロッパ旅行に連れて行かせた。この家庭教師が財布を握り、決定権を持っていたので、ドイツ、イギリス、そしてイタリアへと彼を連れていった。パリに戻ったとき彼は二十歳になっていた。その翌日パターソン氏はエルダー通りのアパルトマンに彼を案内し、彼は今もそこに住んでいる。その日、パターソン氏はおごそかに言い渡した。

「ここがあなたの家です、ウィルキーさん。あなたはもう自分の行動を自分で決定することのできる年齢です。あなたが誠実な生き方をなさるよう願っております。今日、只今からあなたは自由の身の上です。あなたは法律学を修めることが期待されていますので、私があなたの立場ならそれに従うでしょう。が、もしあなたが他のことをして生活の糧を得たいと思うなら、お働きなさい。というのは、はっきり警告いたしますが、あなたには頼れる人が誰もいませんので。あなたにはお小遣いが、私の意見では十分すぎるほどの額ですが、支払われます。包み隠さず申しますが、それはいつなんどき停止されるか分かりません。11.2

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