わが子いかが 代理お見合い 九州でブーム 業者参入も相次ぐ (西日本新聞) - goo ニュース
晩婚や結婚しない男女が増える中、子どもに代わって親が相手を探す「代理見合い」が、九州で静かなブームとなっている。「結婚で自由が制限される」と考えたり、家事を親に依存して同居するパラサイト・シングルが増えたりして結婚を遅らせる若者が多くなっている中での珍現象・・・ですか f(^^;)。
この記事を見た率直な感想です。
いい加減目覚めなさい!
「女王の教室」阿久津先生の決め台詞が電光石火で脳裏を駆け巡りました。
まあ、賛否両論あるとは思いますが・・・ちょっと過保護じゃありませんかねえ。親離れ・子離れもままならない状態で、結婚して夫婦二人で新しい家庭を築けるのかな?子供の人生は親の所有物ではないはずです。しかし、理屈で分かっていても実際にはあれこれ干渉して我が子の人生を支配しようとする親がいるのも事実。
そして、その結果として、仲の良い家族になれば・・・良いのですが、最悪の場合は本人の自立を阻害するのみならず「ひきこもり」「家庭内暴力」と言った状態を引き起こすこともあるのです。
私が学生時代、そろそろ就職活動を控えたとき、大学では就職セミナーが開かれました。講師の先生の開口一番の言葉である「最後は自分で全て決めなさい」が今でも私の脳裏に焼きついております。親も先生も自分より先に旅立っていくのだから、君たちの人生に責任を追うことはできない。だから自分の人生は自分で決断しなければ後悔を招く結果になると言うものでした。
確かに、親、先生、友人、上司、先輩、同僚・・・皆それぞれに価値観を持ち、経験や考え、ノウハウを持っています。そして彼等は様々なアドバイスをして下さいます。しかし、それはあくまで「彼・彼女」の意見であって「私」の意見・価値観ではないのです。大切なのは「それでは自分はどうするか」という視点。
私は自分の人生の決断は、最後は自分自らが下すという姿勢を貫きます。例え周囲と対立することになるかもしれません。でも、彼等の言葉に従ったところで、彼等が私の人生の責任をとることは決してないのです。残酷かもしれませんが、他人の敷いたレールの上を走っても、幸せになれる、安定する保障は全く無いのです。今の延長が未来永劫に渡って続くことはありえない。
それならば、自分が成長でき、自分に誇りを持って、納得して生きていける方向性を考えたほうが良いと思うのです。
過去に下した選択が何時までも正しいとは限りません。私は常に、その時点で成し得る最善の判断を下しているつもりです。しかし自分を取り巻く状況は日々刻々と変化しています。また、過去から現在、未来にかけて自らの価値観も変化していきます。その絶え間ない変化の中で、過去に下した一つの決断が、その後一生に渡って有効であるとは限りません。従って、軌道修正は必然的に必要となります。
以前、転職について悩んでいた頃、100冊近いビジネス書を読破しました。その人なりの考え方・価値観も去ることながら、その人その人の体験が生き生きと綴られているので読んでいて面白いのです。皆、価値観はバラバラですが一つ共通しているのは「自分の人生をしっかりと歩んでいること」です。他には存在しない唯一人の「自分」。その自分自身が「他人の人生」を歩み続けるとき、それは悲劇に繋がるのではないか?そんな気がしてなりません。
諺で「馬を川に連れて行ったところで、馬自信が水を飲もうとしなければ意味が無い」という趣旨のものを聞いた事があります。
親世代にとっては「○○家」の存続や世間体のために子息に結婚をさせたい、という願望もあるのかもしれません。しかし、皆さんご存知の事とは思いますが、このような○○家制度は旧制民法にはあったようですが、現行民法には存在しません。また、婚姻の成立についても、基本的には当事者双方の合意においてのみ成立するものであり(日本国憲法・現行民法のどっか)、双方ともに20歳以上であれば、親権者の同意も必要ありません!。結婚したら親子共々いい加減、自立しなさい!という事なんですね。
本当に必要なのは、自立・自律・独立の精神じゃないんでしょうか?それを無視した上で、本人の意向を無視した、単に家の存続のため、親のため、親戚のため、世間体のための「上辺だけの結婚」だとしたら・・・正直、理解できません。
確かに「家や親戚等との付き合いが大事」とは言いますが、究極的には「皆の幸せの実現のためのツールでありメソドロジーであり具体的な形のシステム」だと思うのです。逆のこのシステムの存続や世間体のために、仮にも若者の未来が犠牲になってしまうのであれば、本末転倒以外の何物でもないのです!
非婚化・晩婚化の傾向が良いというつもりはありません。ドラマのような自由恋愛至上主義が渦巻いていることもあり?お見合い結婚の割合が激減しているのは事実です。しかし、自由恋愛でもお見合い結婚でも、まず重要なのは本人の自覚ではないでしょうか。我が子に「結婚、結婚・・・」と急かし立てたり、代わりにお見合いする前に、まず本人が自力で人生を切り開いていけることが大事なのではないでしょうか。これは男も女も関係ありません。
晩婚や結婚しない男女が増える中、子どもに代わって親が相手を探す「代理見合い」が、九州で静かなブームとなっている。「結婚で自由が制限される」と考えたり、家事を親に依存して同居するパラサイト・シングルが増えたりして結婚を遅らせる若者が多くなっている中での珍現象・・・ですか f(^^;)。
この記事を見た率直な感想です。
いい加減目覚めなさい!
「女王の教室」阿久津先生の決め台詞が電光石火で脳裏を駆け巡りました。
まあ、賛否両論あるとは思いますが・・・ちょっと過保護じゃありませんかねえ。親離れ・子離れもままならない状態で、結婚して夫婦二人で新しい家庭を築けるのかな?子供の人生は親の所有物ではないはずです。しかし、理屈で分かっていても実際にはあれこれ干渉して我が子の人生を支配しようとする親がいるのも事実。
そして、その結果として、仲の良い家族になれば・・・良いのですが、最悪の場合は本人の自立を阻害するのみならず「ひきこもり」「家庭内暴力」と言った状態を引き起こすこともあるのです。
私が学生時代、そろそろ就職活動を控えたとき、大学では就職セミナーが開かれました。講師の先生の開口一番の言葉である「最後は自分で全て決めなさい」が今でも私の脳裏に焼きついております。親も先生も自分より先に旅立っていくのだから、君たちの人生に責任を追うことはできない。だから自分の人生は自分で決断しなければ後悔を招く結果になると言うものでした。
確かに、親、先生、友人、上司、先輩、同僚・・・皆それぞれに価値観を持ち、経験や考え、ノウハウを持っています。そして彼等は様々なアドバイスをして下さいます。しかし、それはあくまで「彼・彼女」の意見であって「私」の意見・価値観ではないのです。大切なのは「それでは自分はどうするか」という視点。
私は自分の人生の決断は、最後は自分自らが下すという姿勢を貫きます。例え周囲と対立することになるかもしれません。でも、彼等の言葉に従ったところで、彼等が私の人生の責任をとることは決してないのです。残酷かもしれませんが、他人の敷いたレールの上を走っても、幸せになれる、安定する保障は全く無いのです。今の延長が未来永劫に渡って続くことはありえない。
それならば、自分が成長でき、自分に誇りを持って、納得して生きていける方向性を考えたほうが良いと思うのです。
過去に下した選択が何時までも正しいとは限りません。私は常に、その時点で成し得る最善の判断を下しているつもりです。しかし自分を取り巻く状況は日々刻々と変化しています。また、過去から現在、未来にかけて自らの価値観も変化していきます。その絶え間ない変化の中で、過去に下した一つの決断が、その後一生に渡って有効であるとは限りません。従って、軌道修正は必然的に必要となります。
以前、転職について悩んでいた頃、100冊近いビジネス書を読破しました。その人なりの考え方・価値観も去ることながら、その人その人の体験が生き生きと綴られているので読んでいて面白いのです。皆、価値観はバラバラですが一つ共通しているのは「自分の人生をしっかりと歩んでいること」です。他には存在しない唯一人の「自分」。その自分自身が「他人の人生」を歩み続けるとき、それは悲劇に繋がるのではないか?そんな気がしてなりません。
諺で「馬を川に連れて行ったところで、馬自信が水を飲もうとしなければ意味が無い」という趣旨のものを聞いた事があります。
親世代にとっては「○○家」の存続や世間体のために子息に結婚をさせたい、という願望もあるのかもしれません。しかし、皆さんご存知の事とは思いますが、このような○○家制度は旧制民法にはあったようですが、現行民法には存在しません。また、婚姻の成立についても、基本的には当事者双方の合意においてのみ成立するものであり(日本国憲法・現行民法のどっか)、双方ともに20歳以上であれば、親権者の同意も必要ありません!。結婚したら親子共々いい加減、自立しなさい!という事なんですね。
本当に必要なのは、自立・自律・独立の精神じゃないんでしょうか?それを無視した上で、本人の意向を無視した、単に家の存続のため、親のため、親戚のため、世間体のための「上辺だけの結婚」だとしたら・・・正直、理解できません。
確かに「家や親戚等との付き合いが大事」とは言いますが、究極的には「皆の幸せの実現のためのツールでありメソドロジーであり具体的な形のシステム」だと思うのです。逆のこのシステムの存続や世間体のために、仮にも若者の未来が犠牲になってしまうのであれば、本末転倒以外の何物でもないのです!
非婚化・晩婚化の傾向が良いというつもりはありません。ドラマのような自由恋愛至上主義が渦巻いていることもあり?お見合い結婚の割合が激減しているのは事実です。しかし、自由恋愛でもお見合い結婚でも、まず重要なのは本人の自覚ではないでしょうか。我が子に「結婚、結婚・・・」と急かし立てたり、代わりにお見合いする前に、まず本人が自力で人生を切り開いていけることが大事なのではないでしょうか。これは男も女も関係ありません。