アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

至道無難-3

2023-04-25 17:06:02 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎一生ずっと坐禅、一度だけ坐禅

(2005-07-27)

 

『伊勢の国に一生坐禅して死んだ人がある。その人自身のために貴いことだ。かつその人自身坐禅して死んだのはよいことだ。もし病気で苦しむようになれば、坐禅できるかどうか覚束ない。

 

我が師愚堂国師は、一度の坐禅も、これが一生涯一度の坐禅、と思ってやれとおっしゃった。有りがたいことだ。』《至道無難/自性記》

 

坐禅して死んだとは、メンタル体で肉体から出たことを言っているようです。

 

人生一回きりなんだから、死んで天国に行ったらいい目を見れるから、今善行を積みましょうなどという宣伝には乗れないですよね。その理屈は、まずこの人生の可能性を捨てて、死後の生に賭けろと言っているわけですから、どこか欺瞞の雰囲気があるように思います。

 

輪廻転生とか前世があるではないかという反論もあろうかと思いますが、輪廻転生も前世も、いわゆる大悟は、それらを問題にはしていません。

 

また積善は、積善という行為を通じて、自我というものをなくして行こうとする行為であって、決して来世での恵まれた生活のための打算的行為であってはならないと思います。

 

一日の生活もこれが一生涯最期の一日としてやれということでしょうが、そこまで追い込んでも、成道できるかどうかは別の問題。ただ自分をそこまで追い込んでいくほどの情熱がなければ、そういうチャンスも訪れないでしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

至道無難-2

2023-04-25 16:58:04 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎至道無難の無私

(2005-07-26)

 

『鎌倉での話。ある金持ちの老人が無難を尊崇して、庵を作って住まわせ、常に敬ひ事(つか)えていました。しばらくして老人の家の女が懐妊しましたので、いろいろに責め問いただすと、和尚が忍び忍びに通われた結果だと答えました。

 

老人は憤って、今まで貴く思っていたのに、とんでもないことだ、早々に庵を出て、何処へでも行きなさいと罵ります。禅師は一言もいわず出て、雪の下あたりの親しい者の所へ行きましたが、この人も禅師の信者で、空いている寺を世話して食事などを運びました。

やがて例の女は、実は誰それと通じて孕んだので、和尚とはお話をしたことも無いと白状しました。

 

老人は驚いて雪の下へ駆けつけ、涙ながらにお詫びすると、禅師はにこにこ笑っただけでした。そして老人の請いに応じて、再び元の庵に戻ったという話です。』

《日本の禅語録/無難・正受 P18-19から引用》

 

懇意にしている人から、根拠のない言いがかりをつけられて、それに反論もせず相手のいいなりになってあげる。

 

これは、世間から見れば、極端に人の良い人ということになる。こういった人の良い人というのは、多重債務者と並んで、マルチ商法や違法金融やリフォーム詐欺などの標的になりやすく、「優良顧客リスト」に載って名前が出回り、複数の業者から狙われるようなことが知られて、昨今問題になっているほどである。

 

このように、悪辣な手合いが多い現代では、禅師のように自己防衛機能が低い人間は、むしろ生き抜くのが極めてむずかしいとも考えられるのである。十牛図の入鄽垂手などを見る限りでは、覚者が陋巷(ちまた)で生きるのは、気楽なものと感じられやすいが、覚者がそのまま現代で生きるのは、至道無難のような人ですら至難と思われる。相手の悪意や誤解の如何によらず、財産や金をむしりとられるがままにされているはずだからである。それが衆善奉行、諸悪莫作の道なのである。

 

従って、このように覚者がまともに生きるのを許さない現代社会は、誠にもって邪境とか、クレイジー・ワールドと呼ぶしかない社会であるということになる。これも現代文明が危機であり、破綻に瀕している証拠の一つである。文明の華は、芸術ではなく、実はそういった聖者が出ることであるから、華を認めない文明が、いつまでも存続できるものなのだろうか。

 

またこの話は、昔ながらの「聖者は、人格的にできている」という教訓話とも読まれることもあろうが、どうかと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

至道無難-1

2023-04-25 16:29:09 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎至道無難の愛と大安心

(2005-07-25)

 

至道無難禅師は、慶長8年(1603)に、関が原の三輪家の長男として生まれた。臨済禅の灯火を伝えた重要な人物である。

 

『ある日至道無難禅師が懇意な商家に行くと、折節その家が大がかりな掃除中で散らかしてあり、空いている一間に主人と話していました。

そこに別の商家の使いが来て、紙に包んだ金を渡して帰りました。

長らく話をして、禅師が去った後、主人は金のことを思い出して、懐や、たもとなど探したが見つかりません。しかたなく禅師の許へ行き、もし何かの間違いで持ち帰られたのではないか、と訊ねると、禅師はそれだけの金を取り出して主人に与えました。

 

数日後に主人は、例の一間の鴨居の塵を払っていると、紙包みの金が落ちて来ました。主人は驚き、禅師のところへ走り、金を返して詫びると、禅師は何事もなかったように、それは思い違いをなさったのでしょうと、無心にその金を受け取ったのでした。』

《日本の禅語録/無難・正受p18から引用》

 

事実とは相違する言いがかりをつけられ、事実とは異なるのに、その言いがかりを認め、弁償までしてやった話である。

 

これは、単純に善行を行い、悪行をしないという「道徳的姿勢」では対応できないシチュエーションである。これは、功利的な「目には目を」的な発想からすれば、とんでもない話であるが、「自分がどうなろうと自分の知ったことではない」という姿勢が骨身に徹していないと、身に覚えの無い罪をかぶせられて、躊躇せず金を渡してやることなどできることではない。

 

そして、「自分がどうなろうと自分の知ったことではない」という姿勢は、利己的なものがないだけでなく、自分も他人も同じ仏のあらわれであるという窮極のところを承知していないと出てくる姿勢ではない。それは、仏があなたや私として現れているということであり、仏(神、ニルヴァーナ)の一つの属性である「愛(大慈大悲)」(アナハタ・チャクラ)と「大安心」(スワジスターナ・チャクラ)の働きとしても見える。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

禅と大脱身

2023-02-27 17:39:46 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎乾いた道あるいは近道

(2017-10-28)

 

禅でもヨーガでいうところの大脱身は意識せられている。

 

道元の師匠たる天童如浄も道元もその体験とはいえない体験のことを身心脱落と言う。

 

そして唐代の禅僧鏡清和尚の

『出身は猶お易かるべきも、脱体に道(い)うことは還って難し(出身猶可易、脱体道還難)』。

 

これは、大脱身そのものはまだ簡単だが、大脱身のことを言葉で説明するのはかえって難しいということ。

これは、碧巌録第四十六則に見える。

 

大脱身あるいは、中心太陽への突入がそんなに簡単なはずはないが、「猶お易い」と断言しきるのは、それを既に経た者だけに許された言い回し。

 

クンダリーニ・ヨーガにおけるニルヴァーナと禅のニルヴァーナは、ニルヴァーナそのものに違いはないが、還ってきてからが相違があり、西洋錬金術などでは、そのことを『乾いた道と湿った道』あるいは『(普通の)道と近道』と表現しているのではないかと感じられる。

 

禅のほうが『乾いた道』『近道』なのだろう。

 

『以心伝心』『不立文字』は、出身・脱体という身心脱落を経て、初めて意味が通ずる。悟っていない者が、その真髄を『以心伝心』『不立文字』と語るのは嘘だが、悟った者がそれを言うのは真実。

 

※鏡清道怤(八六八~九三七):雪峰義存の法嗣(悟った後継者)

 

 

碧巌録第四十六則:

 

鏡清が僧に問う「門外は何の音だ?」

僧「雨だれの音です。」

鏡清「人はひっくり返っている。自分を見失って物を追う。」

 

僧「和尚自身はどうなんですか。」

鏡清「かろうじて自分を見失わずに済んだわ。」

 

僧「かろうじて自分を見失わずに済んだとは、いったいどういう意味ですか」

鏡清「大脱身そのものはまだ簡単だが、大脱身のことを言葉で説明するのはかえって難しい」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

達磨の利根、鈍根

2023-02-14 16:00:20 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎師の教えにしたがって悟るのは鈍根

(2017-12-01)

 

達磨の語録に、『師の教えに頼らず、事上に法を見る人は、利根とよばれる。師の教えにしたがって答えを得るものは鈍根とよばれる』というのがある。

 

釈迦は、鞭の影を感じて走る馬は上根とし、鞭で叩かれないと走らない馬は下根とする。

 

特に禅では、境涯が師匠を超えない場合、師匠の咎とされるという側面もあるので、師匠の指導どおりで悟ったのは鈍根なのだろう。

 

また達磨は古典によって悟った人は力が弱く、日常の事に即して悟りをつかむ人はどこにでも法を失わないとする。

 

このことは、高さだけでは、現実のより深刻なイベントに対処できないので、禅堂を出ていろいろ経験しなさいという聖胎長養の必要性にまで言及している。

 

特定の師匠につかず闇雲に坐りながら、世間で働き続ける修行スタイルは、江戸時代の至道無難。彼は関ケ原の宿屋の親爺として働きながら修行したが、何か月も高名な師匠のところに行ったきりというのが何回かあったらしいので、関ヶ原に閉じこもっていたわけではないようだ。現代でも冥想フリークはそんな生き方をする人がいる。

 

達磨は、師匠の言いつけどおりでないほうが良いとか、古典で悟りを学ぶのは弱いとか言うが、実際のところそれを実行するのもそんな簡単なことではない。利根、鈍根は自分では選べないところがある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

臨済の悟りの四つのあり方

2023-02-13 06:17:20 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎四料揀の白髪頭の子

(2015-09-28)

 

師臨済は夜の説法で、修行者達に教えて云った、「私は有る時は人を奪って境を奪わない(奪人不奪境)。有る時は境を奪って人を奪わない(奪境不奪人)。 有る時は人境ともに奪う(人境倶奪)。有る時は人境ともに奪わない(人境倶不奪)」。

その時一人の僧が尋ねた、「人を奪って境を奪わない(奪人不奪境)とはどのような境地ですか?」

師は云った、「春の陽光が輝く季節になると、大地は百花繚乱、錦のしとねのようになり、みどり児の垂らす白髪は絹糸のようである」。

僧は尋ねた、「境を奪って人を奪わない(奪境不奪人)とはどのような境地ですか?」

師は云った、「国王の命令はあまねく天下に行われている。辺境を守る将軍は戦乱ののろしを全く上げない」。

僧は尋ねた、「人境ともに奪う(人境両倶奪)とはどのような境地ですか?」

師は云った、「并州と汾州は中央政府と断絶して、今や一方的に独立している」。

僧は尋ねた、「人境ともに奪わない(人境倶不奪)とはどのような境地ですか?」

師は云った、「国王は宮殿に鎮座し、老農夫は自由を謳歌する」。

 

1.人を奪って境を奪わないとは、見ている自分を去って、世界になりきっている。人は、なんとしても白髪頭の子を産まなければならないのだ。見ている自分は残るのでファイナル・アンサーではない。

2.境を奪って人を奪わないとは、客観性だけの境地で、一般社会人の意識レベル。

3.人境ともに奪うとは、自意識と社会の客観性が並立し、葛藤・対立が起きている状態

4.人境ともに奪わないとは、人も外境もそのままで何も問題のない状態。鼓腹撃壌である。

 

と読んだ。黄檗は『凡夫は境を取り、道人は心を取る。心境ならび亡ず。すなわち是れ真法なり』と言ったが、これと意味は通ずる。

 

白髪頭の子は、老いたる子としても洋の東西を問わず現れるが、世間ではあまり意識されていないようだ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

普明の十牛図

2023-02-10 05:56:40 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎絶対無に軸足

(2013-05-20)

 

十牛図には、有名なのが2種類あって、皆が存じているのは、廓庵の十牛図。もう一つは普明禅師の十牛図。

 

普明禅師の十牛図の特徴は、最後の第十図が一円相で終わっていること。廓庵の十牛図では一円相は、第八図であり、その後に現実世界に戻って生きる図が2図追加されている。

 

光明を得れば(悟りを開けば)、それに出会っただけで人間としてはほとんど問題がなくなるので、それだけで生命を終わってしまう者が少なくないという。つまり一円相を最終ステージとする求道者の人生が普明の十牛図と言える。

 

光明を得た後でも、人は食うために、あるいは日々の営みをするために日常生活をしなければならない。光明を得るというのは、体験ではなく、体験とは言えない体験であり、それを境に別の人生が展開する。

 

つまり光明を得た後に生き残るというのは、普明禅師の想定しない世界なのだ。しかし、達磨、臨済、趙州など、いくらでも大悟の後に何年も存命した祖師はいる。つまり廓庵の十牛図は人間の方に軸足がある十牛図だと言える。

 

その点で普明の十牛図というのは、絶対無に一致した時点で目的達成なので、神の方、絶対無の方に軸足を置いた十牛図だと言える。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沢庵禅師の太阿記-3

2023-02-07 20:05:24 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎天下に比類なき名剣

(2017-09-15)

 

太阿記訓読の続き。

 

『這箇を得んと欲すれば、行住坐臥、語裡黙裡、茶裡飯裡、工夫を怠らず、急に眼を着けて、窮め去り、窮め来たって、直ちに見るべし。

 

月積み年久しくして、自然暗裡に灯を得るが如きに相似たり。

 

無師の智を得、無作の妙用を発す。

正にその時、只、尋常の中を出でず、しかも尋常の外に超出す。

 

これを名付けて太阿という。』

 

これを得ようと思うのならば、一瞬の気のゆるみもなく、目を見張って、しゃべっている時も、黙っている時も、食事の時もお茶の時も、様々に努力を積んでから、出会うことができる。

 

暗夜に道を歩いているところで、パっと燈火を見るのに似ている。この時師匠なき智慧を得、作為でない行動(神意、天意)が起きる。

 

その時、今此処でありながら今此処の外に超出する。これを太阿と名付ける。太阿は天下に比類なき名剣の名。

 

沢庵は、大悟した人そのものが、天意を履んだ行為をすることを太阿なる天下の名剣に例えている。その名剣は、人と天の中間の天の浮橋のようなものではある。

 

ただし『師匠なき智慧を得云々』というくだりは、彼が本当に大悟したかどうか怪しいと思わせる部分である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沢庵禅師の太阿記-2

2023-02-07 18:33:21 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎刀を用いずして人を殺し、刀を用いて人を活かす

(2017-09-01)

 

太阿記訓読の続き。

 

『夫れ通達の人は、刀を用いずして人を殺し、刀を用いて人を活かす。殺すを要さば即ち殺し、活かすを要さば即ち活かす。殺々三昧、活々三昧也。

 

是非を見ずして能く是非を見、分別を作さずして能く分別を作す。

水を踏むこと地の如く、地を踏むこと水の如し。

若しこの自由を得れば、尽(じん)大地の人、他を如何ともせず、悉く同侶を絶す』

 

通達の人は兵法の達人のこと。刀を用いずして人を殺し、刀を用いて人を活かすとは、天意のままに生きることではあるが、個人のさかしらな欲望が残っていては、殺々三昧、活々三昧にはならない。

 

その点を説明しないで、『是非を見ずして能く是非を見る自由』と唱えるのはわかりにくいが、すでに自分はないという鏡の境地にあって言えるのだろうと思う。

 

ここにアダムカドモンなる、完全無欠の原人間(尽(じん)大地の人)が誕生した。天上天下唯我独尊となる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沢庵禅師の太阿記-1

2023-02-07 18:30:18 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎活人剣

(2017-08-29)

 

太阿とは、活人剣のことである。悟りを以って世を渡るということであって、銃刀法に登録した名刀を持って時々振り回すことではない。

 

沢庵禅師の太阿記の本文。

『蓋し兵法者は勝負を争わず、強弱に拘わらず、一歩を出でず、一歩を退かず。

 

敵、我を見ず、我、敵を見ず。

天地未分、陰陽到らざる処に徹して、直ちに功を得べし』

 

天地未分、陰陽到らざる処とは、第六身体、アートマン、密教でいう空のことであり、過去現在未来すべて一つながりのもののことである。ここに立って初めて、我と敵は一身同体であるから、敵も、我を見ないし、我も敵を見ない。

 

これは、ノンデュアリティの理屈であるが、理屈であるうちは何も起こらない。

 

そこで、人は自我の死を通過し復活しないと、そこのところはわからない。ノンデュアリティは理屈の理解でなく、体験とは言えない体験を通らないと本物にはならない。

 

太阿記では、禅冥想(Zen Meditation)という行が前提となっている。坐ってなんぼ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

分別対立のない真如の世界への共感

2023-02-05 06:22:31 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎イエスが弟子の足を洗う

(2021-12-02)

 

『真如法界

他なく自なし

急に相応せんと要(ほっ)せば

唯だ不二と言うのみ』

(信心銘)

 

大意:分別対立のない真如の世界には、他もなく自分もない。

それをバッチリと一言で言うならば、不二と言うしかない。

 

禅の極みでは、自分は世界全体、宇宙全体となるから、自他の区分は無い。これを世間では、ある種の異常な心理状態だと見るから事を誤る。他人もなく、他の事物もなく、自分もないのが、心理状態でなく、現実そのもの。そうした世界に生きるというのが、悟り。

 

他もなく自分もないと言っているが、続く詩句では、包容されぬものなしとしているので、これは、有(アートマン)の側。

 

聖者を友人にするというのは、そういう現実感に生きることに抵抗など示さず、当たり前に理解し共感してあげるということなのだろうと思う。イエスが弟子の足を洗ってあげた消息はその辺りにある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七日間で悟りを得る-3

2023-02-03 07:16:18 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎現成公案

(2006-05-29)

 

瓊禅師は、薄皮を剥いでいく微妙な感覚を得て、更に坐禅を推し進めた。

 

『ある日壁の上に掛けてある三祖僧璨の「信心銘」の「根本に帰着して、本来の旨を会得する。観照するにしたがい、本来の宗旨を失う。」という句を見て、また一皮はげ落ちた。

 

蒙山禅師が言われるには、「この参禅の事は珠を剥いでいくようなものである。剥げば剥ぐほどますます光り、ますます明るく、ますます浄らかになる。ひと剥ぎひと剥ぎが幾世の工夫に勝るものがある。」と。

しかし私が見解を呈すると、「欠けておる」と言われるだけであった。

 

ある日坐禅中に突然「欠」ということにぶちあたって、身心がからりと開けて骨髄にまで貫徹し、積日の雪がにわかにやんで、晴れ渡ったようであった。

それでじっとしていることができず、地上に飛び下りて蒙山禅師をひっとらえ、「私に一体何が欠けているのか」と言った。

 

すると禅師は私を平手で三度打った。

私は三度礼拝した。

禅師は言われた。「この一句を(吐き得るまでに)幾年かかったか。今日まさに出来上がった。」と。』

(禅関策進/筑摩書房から)

 

この後にコツが示されている。

1.公案と取り組んでいる時に定力を得ているかどうか点検すること。

2.禅定中に公案を忘れてはいけない。

3.心中に悟りを期待してはならない。

4.文字を読んで概念的に理解してはならない。

5.少しばかりの体験でもって、大悟し終わったなどと思ってはならない。

 

定力とは、胆力のことだから、今の社会で一生懸命、精根込めて仕事をしている内に定力は知らないうちについてくるものだろうと思う。そのような仕事をするのは公案と取り組むようなものだから、何年か、まじめに一生懸命働いている人の中には、十分に公案と取り組んで、定力を得た状態の人が少なからずいるのだと思う。

 

このように定力がすでにあって毎日公案に取り組んでいる状態なのだから、あとはぶち抜けるために坐禅をするだけの人というのは、結構世の中にいるのではないかと思った。

私が仕事上で出会った人の中に、胆(ハラ)ができている上に、『これは凄い人だ』と感心させられる人は何人かいた。現代社会の複雑さと困難さが自然とそうした人を生んでいるのである。

 

『現代社会を生きるとは、現成公案を生きるようなものだ』とは、このことだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七日間で悟りを得る-2

2023-02-03 07:06:48 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎定力で推し詰める

(2006-05-28)

 

雪巌和尚からは、「仏祖の教えの本当のところを受け継ぎ、興隆してもなお、脳の後ろに依然として一槌が欠けている」との法語をもらったが、自分では、一槌が欠けていると思わず、この法語を信じなかった。けれども、自分でもまだ疑いがあるようなので、鉄山の瓊禅師は、その後も毎日じっと動かずに坐禅した。

 

その後、瓊禅師は、蒙山禅師のところに移った。

『蒙山禅師は、私に問うた。

「参禅は、一体どこまでいったら、一大事をわかってしまったといえるのか。」と。

私はどこから入って良いか、その入口すら知らなかった。

 

それで蒙山禅師は、再び定力をつける工夫をして、煩悩を洗い流せと言われた。

 

私が入室参禅して、自分の見解を呈するたびに、禅師はただ「欠けている」と言われるだけだった。

 

ある日午後4時から坐禅して、夜更けに至った。定力をもってだんだんと推し詰めていき、真っ直ぐに深幽微妙の境地となった。禅定から出て蒙山禅師に見(まみ)え、この境地について述べ終わると、禅師は、

 

「一体何がお前の本来の面目であるか」と問われた。

私がまさに見解を述べようとした途端、禅師はぴたりと門を閉じてしまわれた。

 

それからというもの、私の坐禅工夫は、日々に微妙な境地を体得することができた。

思えば雪巌禅師の下を離れるのが早すぎたため、これまで綿密な工夫を為すことができなかったか、幸いに今、正真正銘の師家に遇ってここまで来ることができた。

 

もともと坐禅工夫は緊張してやれば、時々刻々に悟入するところがあり、一歩ずつ皮がはげ落ちて行くものである』

(禅関策進/筑摩書房から)

 

結局7日間で悟りは開けなかった。

 

この定力をもって推し詰めるという感じは、「公案との取り組みで練りに練った丹田から出る力でもって坐る」という感じなのだろうと思う。これはクンダリーニ・ヨーガとも、只管打坐とも全く違った坐り方であることに注意が要る。

 

公案禅でも初心のうちはわかる由もないが、ある程度まで修行が進めば、うす皮を一枚一枚剥いで行くように、「本当の自分=本来の面目」に一歩一歩アプローチしていることを感じることができることがわかる。

 

時々刻々に悟入するところがあることを信じて、一坐一坐緊張してすわりたいものだ。

 

瓊禅師は更に坐り続ける。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七日間で悟りを得る-1

2023-02-03 06:58:17 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎リフレッシュ&トライ

(2006-05-27)

 

鉄山の瓊禅師は、例の雪巌禅師の下で修業して無字の公案に取り組んでいた。

 

『雪巌禅師が

「あなたがたは、長い間座布団の上に坐って居眠りしている。地上におりてぐるりと一回りして、冷たい水で顔を洗い、口をすすぎ、両方の目をパッチリ開いて、再び座布団に上がって、背骨をまっすぐ立て、山や岩が壁のように切り立っているように端座し、公案をひたすら工夫すべきである。

 

このように修行すれば七日間で必ず悟りを得るであろう。これは私が40年前に既に用いた方法である。」と。

 

私はそこで、第一日に雪巌禅師の言われたとおりにやってみたが、その工夫の仕方が普通と違っていることを自覚した。

 

第二日には、両眼を閉じようとしたが、閉じることはできなかった。

 

第三日には、この体が虚空の中を行くような気がした。

 

第四日には世間のこと、すなわち外界のあることを知らないような気持がした。その夜てすりに寄り掛かってしばらく立っていた。するとぼんやりして何もわからなくなった。

 

それで公案を点検してみたら、忘れてはいなかった。早速引き返して座布団の上に上った。するとたちまち、頭から足に到るまで、ちょうど髑髏を打ち割ったように、また万丈の深い井戸の底から空中に引き上げられたように感じた。

 

その時その歓喜を告げる人もなく、雪巌和尚に話した。ところが、和尚は「まだだ、もっと工夫して来い」と言われた。』

(禅関策進/筑摩書房から)

 

ここは七日間で悟りを得なかった。

最後の四日目のレベルも、初禅と言われる、うれしく、楽しい状態までも至らない、欲界定レベルではないかと思われる程度であるが、とにかく、とっかかりがあったことは事実である。

 

「潜在意識を使ったメソッドで、あなたは一週間で開悟できる」とは、最近流行のキャッチ・コピーそのものだ。禅では、願望が叶うとか、金がもうかるとか、先祖供養が足らないなどの無粋なことは一切言わない。

 

スピリチュアルな体験は、私だけの特別な体験であるものだから、誤解しやすいものである。すっかり有頂天になって、誤解してしまわないように、正しい指導者のいることはありがたいものである。鉄山の瓊禅師は、更に工夫を続けていく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

徳山の棒

2023-02-02 06:12:33 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎棒のたたき加減

(2009-05-22)

 

徳山も会昌の破仏に遭遇して一時身をひそめていた。徳山は、もともと金剛経のスペシャリストとして自任していた。

 

ところが、餅売りの婆さんに問答をしかけられ、一言も返すことができなかったので、虎の子としていた金剛経の注釈書を焼き払うことになる。

 

徳山は弟子達に棒を振うことを得意技としていた。

 

ある日、欽山は徳山に禅問答をしかけた。

欽山「天皇和尚もこのように言い、龍潭和尚もこのように言っていますが、あなたはどのようにいいますか」

 

徳山「まず天皇和尚と龍潭和尚の言ったものを挙げてみなさい。」

 

欽山が更に話そうとすると、 徳山は、思い切り棒で欽山をなぐりつけた。

 

欽山は、そのまま病院に担ぎ込まれた。

 

後で欽山曰く、「それはそのとおりに相違ないが、打ち方があまりにもひどい」

 

こういう禅問答を変に知っているから、警策で頭や顔や耳を殴ることまでやる手合いが出てきたのだろう。

 

禅ではこういうのも老婆親切と言い習わすが、最近の人なら棒で打たれた途端にやる気をなくすだけだろう。デリカシーのかけらもない。でもそれはそれで、そんな性質もあることは間違いない。だから世間的には受けない。

 

受けないことを自覚した宣伝のやり方がなければ、本来の自己などという回りくどいのに関心を示す人も少ないだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする