◎圜悟禅師の墨跡
茶道の山上宗二記に、『円悟禅師の墨蹟 堺、いせや道和所持。右一軸は、昔、珠光、一休和尚より申し請けられ、墨蹟の懸け始めなり。』とあり、村田珠光の印可(悟りの証明)の証拠として一休より村田珠光に与えられたという。
円悟禅師とは、臨済宗の圜悟克勤禅師(1063~1135)のことで、碧巌録の編者。
室町時代の茶道では、唐絵を茶席に掛けるのが多かったが、村田珠光が茶室に圜悟の墨跡を掛けて茶会を催したのが墨跡を茶席に掛ける始まりとなって、以後武野紹鴎も古筆を掛けたなどとされる。
村田珠光の文書は、彼の高弟であった古市播磨宛の手紙である『心の文』くらいしか残っていないので大方は伝承である。
それにしても自分宛の印可状を焼いた一休が印可を出すのは良いとして、その一休に印可されたほどの男、村田珠光が、いわばこれみよがしに我が印可状たる圜悟禅師の墨蹟を茶室に掛けて茶をいただくというようなことができるものだろうか。そもそも客に見せるようなものなのだろうか。
師一休からの大恩の証ではあるだろうが、そういう印可の証は秘するのがゆかしい作法であり、かたや自分では墨跡一枚に何の価値もないことをもよく承知している。そんな村田珠光の心中を推し量れば、その仕方はおよそ侘び、寂び、凍み、枯れなどからは遠いように思える。
なお圜悟禅師の墨跡は、村田珠光のそれではないが、東京国立博物館にある由。