◎【第三章】冥想の動機
◎2.冥想には、効果や目的を求める冥想と効果や目的を求めない冥想の二種がある。
(1)効果や目的を求める冥想
効果や目的を求める冥想でいう、効果や目的とは、落ち着く、よく眠れる、気分が上がる、前向きな気分になる、手軽にストレス解消できる、簡単に気晴らしできる、健康になるなど生活全般が快適になることである。
そして冥想には願望成就専門の観想法があるが、これはほとんどの人が誰に教えられるでもなくやっているものだ。試験に合格したい、恋愛成就、金儲け成就、健康祈願、家内安全、交通安全、云々。
なお観想法といえば、キリスト教で、イエスの一生を観想で再体験しようというものがあるし、密教では、空の観想、阿字観などがあるが、これらは、世俗の願望成就とは少々違っており、究極に至る準備の一つになっている。
またや効果や目的を求める冥想として実際に出てくる看板には、ヒーリング、レイキ、オーラソーマ、催眠術、ヒノプセラピー、ヨガ教室、気功、太極拳、呼吸法、パワーグッズ、カード、マインドフルネス瞑想、ヒマラヤ瞑想などである。
さらにホロスコープ西洋占星術、八卦、九星、四柱推命、紫微斗数、タロット、ルノルマンなど無数の占術があるがこれらは、象やカード、卦、星などをきっかけにして自分の内側をのぞき込む手法の冥想と言える。
残念ながらこうしたものは、人生を生きていく上での快適さを求めるものであって、当座の一時しのぎにはなっても、理不尽、不条理、病気、怪我、老化、病気、死について最終的な解決を与えてくれるものではない。
そこが効果や目的を求める冥想の限界である。効果を期待する冥想・瞑想である限り、達成した効果、実現した願望は通り過ぎて、それは必ず隘路にはまっていく。そこで早晩人は効果や目的を求ない冥想に進んで行かねばならない。
(2)効果や目的を求めない冥想
これは、具体的には純粋冥想であって、只管打坐やクンダーリーニ・ヨーガを指す。クンダーリーニ・ヨーガと言っても、インドのクリヤ・ヨーガだけではなく、古神道、道教の周天、内丹、日本の密教、チベット密教、西洋錬金術などもクンダーリーニ・ヨーガ系といえる。
こうした冥想により、人は、ニルヴァーナ、モクシャ、涅槃、大日如来、道(タオ)、天御中主神、Godなど、そもそも言葉で表現できない究極に至る。
最近は、効果を求めない行動とか、メリットのない行動とか、目標を持たないでする行動とかをそもそも理解できない人も増えているのかもしれない。
(3)形のある世界と形のない世界、現象のある世界とない世界の区分
上記(1)(2)の考え方は、宗派によって区分は異なるが古来からある。参考までに古神道と原始仏教の区分だけ挙げる。
a)古神道:
出口王仁三郎は、
個別神を祭祀を以てまつるだけでは不足であって、主神を祈ることでバランスがとれる。両方相整って完成となる。生活の安穏、幸福、癒しを希望するケースで片方の斎事だけでは片手落ちであるという。
なんとなれば、天津神、国津神、八百万の神などの個別神だけが、この世を分掌しているわけではなく、その根っこには、主神たる天御中主神がおはしますからである。要するに個別神を祀るのが顕斎であり、主神を祀るのが幽斎であるが、人間の立ち位置は、その顕幽のバランサーなので、日頃の業として顕幽両方やらなければならないということ。
『道之大本 第三章
一.神を斎(いつ)きまつるには、顕斎、幽斎の二つの大別あり。
二.顕斎は、天つ神、国つ神、八百万神を祭祀するものにして、宮殿あり、祝詞あり、幣帛ありて、神の洪恩大徳を報謝して、敬虔の意を表するの道なり。
三.幽斎は、真神を祈る道にして、宮社もなく、祭文もなく、幣帛もなし。ただ願望するところを、吾人の霊を以て祈祷し奉るの道なり。
四.要するに顕斎は、祭祀を専とし、幽斎は祈祷を専とするの道なり。
五.真の神は霊なり。故に其至霊に対するは、霊を以て祈るべし。
六.顕斎のみに偏るも非なり。幽斎のみに偏するも亦(また)非なり。
七.ある宗教の唱ふる如く、「神は霊なり」として、霊のみに偏し、形あるものを祭ることを忌み嫌いて、顕斎の道を無みし、偶像宗教などとそしるもの、あまり偏見にして、未だ全き教理といふべからず。
八.斎きまつるには、神像必ず不可ならず。されど祭祀祈祷の大道を誤りて、顕斎のみによりて福祉を祈るは非なり。祈りは霊を以てせざるべからず。』
(出口王仁三郎著作集第一巻/出口王仁三郎/読売新聞社から引用)
※幽斎が、効果や目的を求めない冥想である。
b)原始仏教
1.原始仏教では、世界を三つの分野に分類する。欲界と色界と無色界である。
それぞれの分野が冥想の横軸である9つの冥想レベルに対応している。
(1)欲界
最も下の世界で、淫欲と貪欲などの欲望を持つ生き物が住んでいる世界。
十界説では、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間と、天の一部が含まれるとされる。
天の一部までのレベルの冥想は欲界定とされる。
(2)色界
欲界の上の世界で、既に欲望を離れた生き物の住む世界であり、姿や形のある「色」(物質)から成っている世界である。
十界説では天の一部、声聞、縁覚、菩薩、仏に当たる。
冥想(禅定)の4つのレベル(四禅)は、この色界からスタートする。初禅から四禅まで、どれも、気持ちよかったり、楽しかったりする状態のこと。
(a)初禅
(b)二禅
(c)三禅
(d)四禅
以上の欲界や色界での冥想の中で、様々な心地よいスピリチュアルな状態が起こると考えられる。たとえば、幸福感、清らかさ、安心感、静けさ、力強さ、さわやかさ、やわらかさなどが生き生きとした実感として感じられる状態のことである。また天の一部も含まれることから、一部の超能力の発現も起こることがあると思う。
(3)無色界
欲望もなく、物質的なものも超えた精神性だけの世界。
(e)空無辺処定:限りない広がりがあるという意識
(f)識無辺処定:あらゆるものが限りない広がりにあるという意識
(g)無所有処定:なにもかもがないという意識
(h)非想非非想処定:なにもかもがないという意識もないという状態
(4) 滅想定:滅尽定(滅受想定): 心の働きが一切尽きてなくなり、全く平穏静寂な禅定の境地。(ニルヴァーナではない)
※滅想定以下すべてが、効果や目的を求める冥想に分類される。ニルヴァーナだけが効果や目的を求めない冥想。