◎仙丹を完成直前に盗まれる
周史卿は浦城の人である。 宋の淳祐年間、一人の異人に逢って養生の秘訣を授けられ、それより油果山に上って略二十年計り修煉し、仙丹ようやく出来上らんとした時、ある晩、雨風雷鳴烈しく起こって、長年の間丹精を入れて作り上げた仙丹はその夜、何者かに盗まれてしまった。そこで、史卿は、「自分はこれから神魂を飛ばしてあまねく世界中を探し求めるから、自分の遺骸はしばらくの間大切に保護をして置いてくれ。七日目にはきっと帰って来るから。」と妻に告げて、そのまま身を横にすると、たちまち息が絶えてしまった。
然るに六日目になると、ここに一人の僧侶が訪ねて来て彼の妻に向い、一体道士という者は唯だ精神のみを重んじて、形骸は糞土の程にも思っていない、否むしろ却って自分の心を累はす邪魔物位に思っている。故に遺骸などは一日も早く焼き捨てた方がよいと説き勧めたので、妻はうっかりその言葉を信用し、史卿の遺骸を焼き葬ってしまった。
然るにその翌日になって果して史卿の神魂は帰って来たけれど、今は宿るべき形骸が無いので、二三日家の附近をうろうろしていたが、ある日空中に只声のみがして、痛く妻の不心得を叱るようであったが、その後いずことも無く立去ってしまった。
これは、出神のことなのだろうと思う。仙丹をほぼ完成し、これを誰かに盗まれたというのは、方便であって真相を妻に話しても理解できまいからそのように説明したのだろう。
やがて肉体を七日間仮死状態にして、後に肉体に帰還しようと思ったが、肉体は火葬されてしまって、周史卿一生の修行は、画竜点睛を欠くこととなった。
最後の最後で、そういうことが起こるのはよくよくの因縁があることだが、イエスも釈迦も最終段階の直前に魔に会っていることと同様か。
覚醒に耐えうる肉体づくりも重要なテーマであるから、史卿はこの窮地を予想できない自分を責めたのだろう。
表面的には、僧侶にも妻にも悪意はなかったと思われるが、史卿にとっては、それも含めて修行となった。