アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

OSHOバグワンの見る小悟

2024-10-21 06:50:29 | 覚醒のアーキテクチャー

◎見神、見仏、見性、一瞥(ちら見)が小悟

 

白隠は、何度も小悟した。その都度、渾身で感謝、感激と思い上がりを見せるものだから、かえって40代の大悟の印象が淡いものと思われるほどである。

 

さて、OSHOバグワンが、小悟の説明をしているが、要するに見神、見仏、見性、一瞥(ちら見)が小悟なのだ。曰く、小悟は、その敏感でかそけき花のような性質のために、雑にあるいは乱暴に取り扱うと元に戻ってだめになる。小悟は、得るのは大変だが、壊したり、だめにしたり、捨てるのは簡単である。曰く、小悟は妊娠のようなものだから、注意深く扱わねばならない、と。

 

これは、至道無難が、

「悟ったと同時にそれを守らせよ。そうすれば悪念が出ることはない。長年この心を養えば道人となる。

悟ったと同時に万事はこれだと教えると、大方悪人になるものである。悟りばかりを守る人は、大方坐禅にとりついて律宗になるものだ。」という所以である。

 

妊娠を小悟とすれば、出産は大悟。大悟をサマーディと呼ぶが、サマーディは、個人が宇宙全体に逆転する。よって、サマーディにはそれを体験する人間はいない(すでに人間はいない)。OSHOバグワンは、サマーディはその人を通じて全存在が光明を得ることと説明しているが、釈迦はこれを、私が光明を得た日に全存在が光明を得たと説明している。

OSHOバグワンは、サマーディとは、プロティノスの「休息」だとも言っている。万事休す。

OSHOバグワンは、本によっては、一瞥、小悟の話ばかりして、本筋がわからなくなる場合がある。冗長すぎる時があるのだ。

(参照:英知の辞典/OSHO/めるくまーるP244-250)

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