◎無時間の神秘
ダンテス・ダイジの文章には、神秘という言葉が神の実相を語る表現としてしばしば登場してくる。
『人間を越えようとする
意味づけることのできぬ永劫の情熱
それがいつ人間性の極限をもつき破って
無時間の神秘を実在せしめたのかは
誰も知ることがない』
(ダンテス・ダイジの詩:【何と人間らしいことか】から引用)
OSHOバグワンは、神秘主義について、もっと平易に語る。すなわち、
科学は、世界を「知られたもの」と「未知なるもの」に分けるが、「知りえないもの」などないと思っている。
神秘主義では、「知られたもの」と「未知なるもの」と「知りえないもの」の3区分に分ける。知る人と知られるものが一体となるとき、知ることはあり得ない。知る人と知られるものが一体となることを体験とは呼べない体験と呼び、この体験を知ることはできず、ただ経験することができるだけである。
これが「知りえないもの」である。自分という個人が知る人で、これが知られるものである宇宙全体・世界全体と合一するのは、第六身体アートマンであって、個と宇宙全体が逆転すること。
この体験については、言葉では語れないから口を閉ざしているしかない。なんという神秘、ミスティシズム(mysticism)。
(参照:英知の辞典/OSHO/めるくまーるP322-327)