◎思考(マインド)の浄化
(2021-11-07)
現代人のほとんどは金かセックスか権力について始終考えている。これをOSHOバグワンは不純な思考に分類し、この周辺に嘘をつくことや不正をやることが位置するとする。
一方彼は、純粋な思考の焦点とは、真善美だとする。
不純なマインド(思考)のままでは、光明を得られない(悟れない)。
そしてマインド(思考)は、行動の源泉であるから、不純なマインド(思考:金、セックス、権力)は、不純な行動となり、純粋なマインド(思考:真善美)は、純粋な行動となる。
ここで彼は、行動する前にその行動は真善美に沿っているものか考えなさいと言う。だが、素直にそうしようとする人なら、自分は真理が何かを知りもしない、自分は善とは何かを知りもしない、自分は美が何かを知りもしないと感じるものだ。
だが、そのように内省する人は、次第に真理とは何か、善とは何か、美とは何かを知っていることに気づくだろう。
この原理の下に思考を浄化する基本線は、3本。
1.自分の思考の主要な焦点は何かを観察する。
思考はすべて外側からやってくるが、内側にはそれを引きつけ取り込む種子があり、溝がある。その思考は本当に自分の望むものなのか。ゴミである思考を、出入り自由なマインド(頭)のままで貯め込んでいるだけではないか。
2.思考を観察する
常に内側で起こっていることを見つめ、不要な思考は捨てる。何か害になることをするよりも何もしないでいる方がましだ。それでもって不純な思考の識別が容易となる。
3.かそけき純粋な思考に努めて近づく
世の中には無数の不純な思考があり、それは延々と繰り返されるが、その闇の中にかすかだが真善美の純粋な灯がある。それに近づき、身を置くこと。
これを可能とする条件についてOSHOバグワンは、三つ挙げる。
(1)純粋で真正な思考の側にいる。
(2)純粋で真正な人々の側にいる。
(3)空や森など自然の側にいる。
神を盗もうとするやつらでも、「今日はだめだったが、明日はきっと」と思い続ければ、ある日それは起こる、と。
(以上参照:ディヤン・スートラ―瞑想の道/OSHO P117-139)
ここでは、いわゆるポジティブ思考の有用性を呼び水に、連続して発生する想念、思考を識別し、邪なる思考を排除するやり方を説いている。
このやり方では、未悟なる人が真善美を思っても、厳密には、邪の方に分類されるが、それでもそれを継続することが、純粋な思考、真善美への王道たることを示す。
この辺は、初心者が相手の説明というような側面があって、「いつかはゴールにたどり着く」のようなカルマ・ヨーガ的なアプローチを認めている。
だが大衆や冥想修行に疎い人にとって、こうした王道とも言えるアプローチを示しておくことは、その後の更に厳しい修行の隘路にとって助けとなることと思う。たとえ今、時代が切迫しているとしても。
※只管打坐では、浮かぶ思考、想念は相手にしない、捨てる。
誠に、思考(マインド)の浄化の重要性を理解することは大切である。まず知的理解して、冥想に向かう決意を固め、そして坐る。