アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

何かわからぬが、全身全霊で求めている「何ものか」

2025-02-13 13:07:11 | ダンテス・ダイジの風光

◎格言3-10ただ一人の例外もなく(老子狂言)

 

『10○

ただ一人の例外もなく、

私達の心と名づけられているものの、内部には、

何かわからぬが、

全身全霊で求めている「何ものか」がある。

その「何ものか」は、

人生の最高の成功・栄光・調和・美・悦楽・至福・遊戯自在あるいは三昧の境地・エネルギーの充溢感をも超えている「何かなのだ」。

— もっとも、

これも、かみさまの一つの、たった一つの刹那。

絶対不動の光でない光 ――― 

万物万象と一体となっている状態— 

生も死もない慈愛・至福—

もはや、

今は、

これ以上語れない。

愛情さえも、

本当に深い深い信頼さえも、

一場の茶番になってしまうような—

「何ものかだ」。』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩文から引用。

 

人は、

【人生の最高の成功・栄光・調和・美・悦楽・至福・遊戯自在あるいは三昧の境地・エネルギーの充溢感】を求めるものだが、それが実現すれば面白いだろう。だが、その一歩先にある

【何かわからぬが、

全身全霊で求めている「何ものか」がある】から、この世に生まれてきているのではないか。

※想像を現実化する能力を手に入れればさぞ面白いだろうが、ダンテス・ダイジは、「そういうことが面白いということに留まっていれば、この世に生まれては来ない」という意味深なことを言っている。

 

【これも、かみさまの一つの、たった一つの刹那。】の中に須弥山もあらゆる時間も空間も封じ込まれている。これも隙間理論でいうところの隙間。

 

【「何ものかだ」】とは、

【絶対不動の光でない光 ――― 

万物万象と一体となっている状態— 

生も死もない慈愛・至福—

もはや、

今は、

これ以上語れない。】

ので、もはや体験とは言えない体験。

 

【絶対不動の光でない光】は、神あるいはタオから出る光。

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