◎格言3-10ただ一人の例外もなく(老子狂言)
『10○
ただ一人の例外もなく、
私達の心と名づけられているものの、内部には、
何かわからぬが、
全身全霊で求めている「何ものか」がある。
その「何ものか」は、
人生の最高の成功・栄光・調和・美・悦楽・至福・遊戯自在あるいは三昧の境地・エネルギーの充溢感をも超えている「何かなのだ」。
— もっとも、
これも、かみさまの一つの、たった一つの刹那。
絶対不動の光でない光 ―――
万物万象と一体となっている状態—
生も死もない慈愛・至福—
もはや、
今は、
これ以上語れない。
愛情さえも、
本当に深い深い信頼さえも、
一場の茶番になってしまうような—
「何ものかだ」。』
(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)
以下【】内は上掲詩文から引用。
人は、
【人生の最高の成功・栄光・調和・美・悦楽・至福・遊戯自在あるいは三昧の境地・エネルギーの充溢感】を求めるものだが、それが実現すれば面白いだろう。だが、その一歩先にある
【何かわからぬが、
全身全霊で求めている「何ものか」がある】から、この世に生まれてきているのではないか。
※想像を現実化する能力を手に入れればさぞ面白いだろうが、ダンテス・ダイジは、「そういうことが面白いということに留まっていれば、この世に生まれては来ない」という意味深なことを言っている。
【これも、かみさまの一つの、たった一つの刹那。】の中に須弥山もあらゆる時間も空間も封じ込まれている。これも隙間理論でいうところの隙間。
【「何ものかだ」】とは、
【絶対不動の光でない光 ―――
万物万象と一体となっている状態—
生も死もない慈愛・至福—
もはや、
今は、
これ以上語れない。】
ので、もはや体験とは言えない体験。
【絶対不動の光でない光】は、神あるいはタオから出る光。