◎為すべきをせずに衣食住が楽なのは天罰がある
江戸時代初期の禅僧至道無難の衣食住観。皆、生活は、少しく苦しいが坐り続けるもの。
『一、主人を持つ人は、それを頼りにすることもあるが、道心者にとっては天地の中に頼りにするものがない。
自身の悪業を除きつくし、天地と一体と成るとき、天下の人が尊敬することは自然の道理である。このやうに努力しないうちは、衣食住に苦しむ事、言葉に言えないほどである。
一、道心を守る人は、すべての物事に自分が過ちをしないように恐れるべきだ。自分の為すべき事をせずにいながら衣食住が安楽なのは、必ず天罰を受けるものだから、道心を守るには、すべてが不足不如意なのを吉とする。』
(至道無難の自性記より(日本の禅語録 無難・正受P120より引用))
※文中の「主人」は師匠でなく、ものを布施してくれる人のことで、パトロン、支援者のこと。
まずは、天地と一体となったら衣食住に苦しむものの、衣食住の不足は本当の問題ではないことに気がつくだろうってこと。
そして、為すべきことをせずに生活が安楽なのは危ういとし、すべて不足不如意がよしとするのは、現代では極めて変な考え方とされる。
たとえば為すべきことをせずに生活が安楽なのは、ただラッキーなだけだし、それをとやかく言うのは、そんな生活をねたんでのことだろうと思われがち。またブランド・ファッションも身に着けられないし、たまにはグルメにも行けない生活は、ミジメなだけだし、外聞も悪いだけのことと思われて終わることがほとんど。
東北関東大震災や原発事故は、そうした歪んだ考え方、気持ちの持ち方に一石を投じたはずだが、まだまだ『自分は悟ってないのに、衣食住に不自由がないのは、危険である』とまで思っている人は全然少ない。
江戸時代初期の禅僧至道無難の衣食住観。皆、生活は、少しく苦しいが坐り続けるもの。
『一、主人を持つ人は、それを頼りにすることもあるが、道心者にとっては天地の中に頼りにするものがない。
自身の悪業を除きつくし、天地と一体と成るとき、天下の人が尊敬することは自然の道理である。このやうに努力しないうちは、衣食住に苦しむ事、言葉に言えないほどである。
一、道心を守る人は、すべての物事に自分が過ちをしないように恐れるべきだ。自分の為すべき事をせずにいながら衣食住が安楽なのは、必ず天罰を受けるものだから、道心を守るには、すべてが不足不如意なのを吉とする。』
(至道無難の自性記より(日本の禅語録 無難・正受P120より引用))
※文中の「主人」は師匠でなく、ものを布施してくれる人のことで、パトロン、支援者のこと。
まずは、天地と一体となったら衣食住に苦しむものの、衣食住の不足は本当の問題ではないことに気がつくだろうってこと。
そして、為すべきことをせずに生活が安楽なのは危ういとし、すべて不足不如意がよしとするのは、現代では極めて変な考え方とされる。
たとえば為すべきことをせずに生活が安楽なのは、ただラッキーなだけだし、それをとやかく言うのは、そんな生活をねたんでのことだろうと思われがち。またブランド・ファッションも身に着けられないし、たまにはグルメにも行けない生活は、ミジメなだけだし、外聞も悪いだけのことと思われて終わることがほとんど。
東北関東大震災や原発事故は、そうした歪んだ考え方、気持ちの持ち方に一石を投じたはずだが、まだまだ『自分は悟ってないのに、衣食住に不自由がないのは、危険である』とまで思っている人は全然少ない。