◎正師は厳しく清貧
超能力や霊言(チャネリング)というのは、人を容易に信用させ、社会的に見たら異常とされる信徒の行動を教祖への絶対服従の名の下にとらせやすいものだ。その典型の一つはオウム真理教事件であったが、かの教祖は、当初一定の超能力を有していたが、ある時期から弟子にシャクティパットを施した後に寝込むことがあってその頃から超能力が薄れたようだ。そのことは弟子たちの様々な著作等で推測できる。それ以後は教団組織への絶対服従の名の下に、弟子たちを頤使して大規模テロ活動に邁進させ、その一方で求道的な側面については私の見方からすると疑問を持たざるを得ないところがある。
『中国五千年の虚言史/石平』を読むと、中国人には常に時の政権を弱体化不安定化させようと考える勢力がある。その手口の定番は宗教組織である。有力な宗教組織があれば、それに乗じて政権を得ようと様々な各地の軍閥などが参加してくるものである。
毛沢東の愛読書は資治通鑑。周から後周までの帝位をめぐる謀略を論述した書であり、毛沢東は、これを17回も読んだほどで、そこまでして謀略を日常的にめぐらさないと、中国共産党トップを維持していけなかったのだろう。
要するに、日本のように万世一系の天皇のようなものがなければ、民心は機会あれば、帝位簒奪に動きがちなものなのだろう。
それでも日本の不安定化を狙う勢力は、歴史的にも元寇、戦国時代のイエズス会、ペリー提督以来のアメリカ、そして赤い勢力と、切れ目なく襲ってくるものであり、そうしたことばかり研究している勢力にとっては、天皇を護持する姿勢を見せない有力な新興宗教組織は、常に利用価値が高かったのではないかと思う。
オウム真理教事件は、教祖周辺の13人が死刑執行され、後継団体も監視継続で一応の決着は見たことになっている。だが当時から政治家やマスコミ関係者、他の宗教関係者、反社などの関与が噂されてはいたが、表面化することはなかった。
第二次大本教事件では、大本教はテロ事件もひき起こさず、武器もため込まず、天皇制も否定しなかったが、現人神なる国家神道体制と相いれなかったので発生したと思われるので、オウム真理教事件とは全く性質が異なるものと考えられる。
こうした事件を思うと、宗教家が金を受け取ることは、この時代であってもよくよく注意しないといけないと思う。ちょっとした超能力、霊能力があれば周辺に自ずと人は集まって来るものであり、まして見神、見仏した人間なら自ずと周辺にはわかる。
ところが、見神、見仏した人間であっても、そうした罠にはかかるものであることは、至道無難なども指摘している。
ダンテス・ダイジは、お布施以外の金は受け取らず、金と引き換えに冥想を教えることはなかったという。彼の弟子たちは少数に限られ大教団にはならなかったが、それでも弟子たちに対し政治にはかかわるなと戒めたこともあるという。世に清貧というが、ダンテス・ダイジは、非常に厳しく清貧を守ったという点で稀有だったという印象を持つ。
このSNSが発達した時代では、偽物が「私は悟りました」と騙(かた)ったり、「お金を出せば上位の冥想手法を教えてくれる」という怪人怪女も少なくない。だが無垢なる求道者にとっての危険はそれだけでなく、本人が、霊能力が開いたり、見仏、見神した途端に、政治家やマスコミや反社が大金をもって巻き込もうとしようとすることである。
畢竟、見仏見神した極めてナーバスな状態にある場合、それを守ってくれる人は師しかいないということ。またその師が真正な師であれば、彼は間違いなく清貧であろうということである。
お一人様求道であっても、難しい時代である。
超能力や霊言(チャネリング)というのは、人を容易に信用させ、社会的に見たら異常とされる信徒の行動を教祖への絶対服従の名の下にとらせやすいものだ。その典型の一つはオウム真理教事件であったが、かの教祖は、当初一定の超能力を有していたが、ある時期から弟子にシャクティパットを施した後に寝込むことがあってその頃から超能力が薄れたようだ。そのことは弟子たちの様々な著作等で推測できる。それ以後は教団組織への絶対服従の名の下に、弟子たちを頤使して大規模テロ活動に邁進させ、その一方で求道的な側面については私の見方からすると疑問を持たざるを得ないところがある。
『中国五千年の虚言史/石平』を読むと、中国人には常に時の政権を弱体化不安定化させようと考える勢力がある。その手口の定番は宗教組織である。有力な宗教組織があれば、それに乗じて政権を得ようと様々な各地の軍閥などが参加してくるものである。
毛沢東の愛読書は資治通鑑。周から後周までの帝位をめぐる謀略を論述した書であり、毛沢東は、これを17回も読んだほどで、そこまでして謀略を日常的にめぐらさないと、中国共産党トップを維持していけなかったのだろう。
要するに、日本のように万世一系の天皇のようなものがなければ、民心は機会あれば、帝位簒奪に動きがちなものなのだろう。
それでも日本の不安定化を狙う勢力は、歴史的にも元寇、戦国時代のイエズス会、ペリー提督以来のアメリカ、そして赤い勢力と、切れ目なく襲ってくるものであり、そうしたことばかり研究している勢力にとっては、天皇を護持する姿勢を見せない有力な新興宗教組織は、常に利用価値が高かったのではないかと思う。
オウム真理教事件は、教祖周辺の13人が死刑執行され、後継団体も監視継続で一応の決着は見たことになっている。だが当時から政治家やマスコミ関係者、他の宗教関係者、反社などの関与が噂されてはいたが、表面化することはなかった。
第二次大本教事件では、大本教はテロ事件もひき起こさず、武器もため込まず、天皇制も否定しなかったが、現人神なる国家神道体制と相いれなかったので発生したと思われるので、オウム真理教事件とは全く性質が異なるものと考えられる。
こうした事件を思うと、宗教家が金を受け取ることは、この時代であってもよくよく注意しないといけないと思う。ちょっとした超能力、霊能力があれば周辺に自ずと人は集まって来るものであり、まして見神、見仏した人間なら自ずと周辺にはわかる。
ところが、見神、見仏した人間であっても、そうした罠にはかかるものであることは、至道無難なども指摘している。
ダンテス・ダイジは、お布施以外の金は受け取らず、金と引き換えに冥想を教えることはなかったという。彼の弟子たちは少数に限られ大教団にはならなかったが、それでも弟子たちに対し政治にはかかわるなと戒めたこともあるという。世に清貧というが、ダンテス・ダイジは、非常に厳しく清貧を守ったという点で稀有だったという印象を持つ。
このSNSが発達した時代では、偽物が「私は悟りました」と騙(かた)ったり、「お金を出せば上位の冥想手法を教えてくれる」という怪人怪女も少なくない。だが無垢なる求道者にとっての危険はそれだけでなく、本人が、霊能力が開いたり、見仏、見神した途端に、政治家やマスコミや反社が大金をもって巻き込もうとしようとすることである。
畢竟、見仏見神した極めてナーバスな状態にある場合、それを守ってくれる人は師しかいないということ。またその師が真正な師であれば、彼は間違いなく清貧であろうということである。
お一人様求道であっても、難しい時代である。