◎昼は掃除夫、夜はカバラ修行
先行したルーリア(1534年 - 1572年)のゾーハル解釈を受け、近代的な冥想法を開発、整理したのが、イスラエル・ベン・エレアザール(バアル・シェム・トヴ)。
彼のグループ(ハシディズム信者)は、ユダヤ教神秘主義にもとづく禁欲的苦行に反対して、大声を上げ、歌を歌い、踊りを踊り、熱狂的トランスに入って、神と交わるのが特徴であった。彼はサバタイ・ツヴィのような終末待望を戒め、世界の救済に先立って個人の魂が救われなければならないと説いたが、これはとても現代風である。
また彼は、宗教的行為だけでなく、日常のすべての行動における神との交わり(デヴェクート)
を説いたところが画期的である。
彼の小伝は以下。地味で貧困な前半生で、後半生は、病気治癒(エクソシスト)と巡回説教であり、著作も残していないが、その足跡は偉大である。
『一六九八年ころ西ウクライナ地方のオクプに生まれたイスラエル・ベン・エレアザールは、幼くして孤児となり、村の親切なユダヤ人の世話を受けた。他の伝統におけるアヴァタールと同様、バアル・シェム・トヴの人生の詳細は脚色されて伝説化された。アリの時と同様、預言者エリヤはこのバアル・シェム・トヴの魂がラビ・シメオン・バル・ヨハイの魂の火花の生まれ変わりであり、将来は必ずや偉人となる運命にあることを、誕生前からその父に予告していた。
早くから神童の片鱗を見せたバアル・シェム・トヴであったが、その叡知を隠してほとんど白痴の怠け者を装い、地方のシナゴーグで掃除夫として働きながら密かに夜を徹してカバラーを学んでいた。
その後彼は、惜しまれつつ世を去った偉大なるブロディのラビの娘と結婚するが、このときはその秀抜な息子であるゲルション・キトヴェルの大反対を受けた。キトヴェルは始めは妹の結婚を思い止どまらせたいと思っていたが、この若夫婦に結婚の贈り物として馬車を与えるという学者らしい巧妙な方法を用いて、それに二人を乗せて追い払ってしまった。
イスラエルとその忠実な妻はカルパチア山脈で孤独な隠遁生活に入り、彼の方は研究と瞑想に没頭、彼女の方は石灰を集めて谷あいの町の住民に売り、それで生計を立てていた。
そして月日は流れ、一七三四年のある日、バアル・シェム・トヴは妻とともに山を下り、ついに自分の真の姿を世に示すときが来たと義理の兄に告げた。かつての懐疑家ゲルション・キトヴェルは、今やバアル・シェム・トヴが聖者であることを確信し、彼の最初の弟子となった。
聖人兼ヒーラーとしてのバアル・シェム・トヴの名声は瞬く間に広まり、何千という村人が霊的な励ましや治療、慰安、祝福を求めて彼の下に集った。かくして絶大な人気を得た彼は次に弟子たちを訓練し、「ハシディズム的」として知られるようになる、<神>を認識するための神秘的な技法を形作ってゆく。メツェリチェのマギドのような才気煥発たる弟子は、ユダヤの共同体全域にバアル・シェム・トヴの教義を広め、多くの信奉者と――手ごわい敵対者を作り出した。一七六〇年に世を去るまでの間に、バアル・ シェム・トヴは天使たちの手からカバラーを引き下ろし、肉の身を持つ人間にしっかりと手渡したのである。』
(カバラーの世界/パール・エプスタイン/著 青土社P160-161から引用)