◎恐るべきライフ・スタイルの統一化と日本
海幸彦山幸彦と言っても、最近は知らない人も多いかもしれないので、まずはそのストーリー。
『火照命(ほでりのみこと/海幸彦)は、海の獲物を獲る男として大きな魚・小さな魚を取り、火遠理命(ほおりのみこと/山幸彦)は、山の獲物をとる男 として毛の粗い獣・毛の柔らかい獣を取っていた。そうして、火遠理命 が兄の火照命に対し、「それぞれ道具を取り替えて使ってみたい」と言 って、三度乞い求めたが、火照命は 許さなかった。しかしながら、最後にやっと取り替えることができた。
そこで、火遠理命は、海の獲物を取る道具を使って魚を釣ってみたが、 全く一匹の魚も釣れなかった。また、 取り替えてもらった釣り針を海中になくしてしまった。そこへ、兄の火照命がその釣り針を返してくれと、「山の獲物も、海の 獲物も、やはり自分の道具でなくてはうまくとれない。今はそれぞれの道具を返そうと思う」と言った ところ、弟の火遠理命は答えて、 「あなたの釣り針は、魚を釣った時 に、一匹の魚も釣れずに、とうとう海中になくしてしまいました」と言った。すると、兄はどうしても返せと言って聞かない。
それで、弟は腰に帯びた十拳の剣を折り、五百もの釣り針を作って償ったが、兄はそれを受け取らなかった。 弟はまたさらに千の釣り針を作って償ったが、兄は受け取らず、「やはり正真正銘の元の釣り針をもらいたい」と言った。』
これに対する出口王仁三郎の解説は以下。
『古事記の上巻に、火遠理命が竜宮に御出でになつて、潮満の珠を御持ち帰りになりました、といふことが載つて居ります。今其の大略を現代に合せて、講義を致したいと思ひます。何時も申す通り此の古事記は古今を通じて謬らず、之を中外に施して悖らない、と云ふのでありまして、神代の昔も今日も、亦行く先の世の総ての事も、測知することが出来る様に書かれてあるので、是が天下の名文である所以であります。而して此の古事記の上巻にある事は、大抵ミロク出現前に於て、総ての事が実現する事になつて居ります。前の方は略して、次の項から御話致さうと思ひます。
(中略)
火照命の経綸は海幸彦で、釣鉤の事であり、火遠理命の経綸は山幸彦で、弓矢であります。矢と云ふものは一直線に、目的に向つて進んで行つて、さうして的にあたるのであります。海幸彦は外国の遣り方で、鉤に餌を付けて美味いものの様に装うて居る。さうすると魚が出て来て、釣鉤があると知らずに呑んで、生命を取られてしまふのである。今日の日本の国民全体が、総て日本の遣り方は古いとか色々の事を言うて、一切の事を軽んじて、さうして外国の鉤に餌が、ぷんぷんとして居るのに、総ての者が心を寄せて居る。然るに之を食べて見るが最後、口を引つかけられて生命を取られて了ふ。一方の矢の方は、己を正しうして後に放つて始めてパンと適る。此方が正しくなければ何うしても的に適らぬのである。餌の方は此方が仰向けになつて寝て居つても引つかかるのであるが、矢の方は中々練習を要する。魂と肉体とが一致せぬことには、山幸は出来ぬのであります。
それで山幸彦は日本の御教で、即ち火遠理命は、皇祖皇宗の御遺訓を真直に、正直の道を以て、此の世の中を治めて行くと云ふので、つまり之を諷されたのであります。
海幸彦の方は権謀術数の方法を用ひる。旨いものを前に突き出して、さうして其の実質は曲つて居る。旨いものだと見せて、其の頤を引つかけて了ふ。此の海幸と山幸とは、大変違ふのであります。海幸彦の方は鹽沫の凝りて成るてふ外国即ち海の国であります。山幸彦は日本の国の事であります。所が他人の花は美しく見える、又自宅の牡丹餅より隣の糠団子と云うて、自分の商売よりも、人の商売は結構に見えるのであります。であるから、誰でも商売を変へたいと思つて居る。日本人は外国人を結構だと思つて居るし、外国人は日本人を結構だと思つて居る。日本人は外国人を頗る文明の国で良い所ばかりだと思つて居るが、豈図らむや裏の方に行つて見ると、惨憺たる地獄の状態であると云ふ事が分るのであります。
それで山幸彦は海幸彦を、一つ試して見たいと思つた。是が所謂和光同塵であつて、向ふの制度を日本に移し、日本の制度を向ふに移さむとされたのであります。丁度今日の日本人一般が、此の釣鉤にかかつて居るのであります。而も此の釣鉤たるや、太公望の様な真直な鉤ではない、皆曲つて居つて、餌がつけてある。然し何うしても日本に之は合はぬから、得る所は一つも無い、のみならず合はぬから、海へ落したと出て居ります。
又海幸彦も山猟には失敗した。矢張り是は外国には適当せぬのであります。国魂に合はぬのであります。それで矢張り元の通りに換へよう、外国は外国の遣り方に、日本は日本の遣り方にする、到底日本の皇祖皇宗の御遺訓を、其のまま外国に移す事は出来ない。又向ふの国のものを、其のまま日本でやる事も出来ぬ。
元通りにやると云ふ時に、如何なるはづみか知らぬが、元の鉤は海へ落ちて無い様なことになつた。そこで海幸彦は元の鉤を返して呉れ、と云ふ請求が喧しい。
日本の国は外国の文明を羨望したので、明治初年外国文明が入つて来た。さうして日本文明を之と交換したのである。所謂外国は日本の国を指導して、自分の貿易国にしようとか、或は之で引つかけようとか思つたに違ひない。所が既に其の鉤は、海底に沈んで了つた。丁度向ふの教は日本の国に持つて来ると、恰も熱帯の植物を寒帯へ持つて来た様に、到底育つ事が出来ない。此方のものも、向ふには適当せぬと云ふ事になる。
さうすると其の賠償として、御佩せる十拳剣を破つて五百鉤を作つて償はうと思つた。日本武士が二本さして居つたのが、帯刀を取られて了ふ。一本差も取られて了ふ。丁度廃刀令を下すの余儀なきに立到つたのである。是が十拳剣を破つて色々の鉤を作られた事で、所謂昔の剣より今の菜刀、斯う云ふ事になつて来た。昔は武士は喰はねど高楊枝と云つて居たが、今は中々さう云ふ事は出来ない。矢張り饑いので、千松の様な事になる。その為に十拳剣をすつかり取つて、向ふの言ふ通りになつて、丸裸丸腰になつて了うた。
それでもまだ向ふは得心が行かない。元の鉤を返せ返せと云つて頻に迫る。併し日本の貿易国にしようとか、旨い事を考へて居つた其の鉤は落ちて了つた。さうして却つて此方から、カナダや米国に移民したり、或は英国の植民地に移住するとか云ふ様な事で、鉤の方の国の方へ、日本人がどんどん行つて了ふ。今度は日本人が鉤を使ふやうになつて来た。それが為に、海幸彦は元の鉤を得むとして頻に責めるが、向ふの国は御維新前には何うかして旨い汁を吸ひたいと考へて居つたが、今日となつては、ああして置いては大変だ、吾々は枕を高うして眠る事が出来ぬ。それで一刻も早く何とかして、利権を獲得して了はうと云ふ考えを起して居るのであります。所謂元の釣鉤を望んで居ると云ふやうな事が諷されてあるのであります。それが今日、現実的に実現して居るのであります。』
(出口王仁三郎全集 第5巻【言霊解】皇典と現代 海幸山幸之段から引用)
ポイントは以下、
1.古事記の上巻にある事は、大抵ミロク出現前に、総ての事が実現することになっている。海幸彦山幸彦もその一つ。
2.海幸彦は、外国即ち海の国。山幸彦は日本の国。
3.日本人一般が、海幸彦の釣鉤に自ら望んでかかってみるが、やがて騙されたことに気づき、一方西洋側も日本のやり方が合わないので、戻そうとする。
これは、明治以来脱亜入欧で西欧の文明や制度をどんどんと導入してきたが、日本の文化伝統にどうしても合わないところがあった。しかしながら日本は戦前に世界の列強と肩を並べ、敗戦後は世界の経済大国となって、西欧の思惑である日本の三流国化という点では、うまくいかなかったので、『貸した鉤を返せ』ということになった。明治期は、廃刀、廃仏毀釈だったが、今は日本人の清よ明けき心から来るところの天皇崇拝、古神道と仏教両立の信仰から来るところの日常生活、習慣、伝統というものを破壊にかかっている。これが全体でみると『鉤を返すために剣をつぶして鉤を1500も作ったが海幸彦は了解しなかった』ということ。
西欧文明による東洋の生活スタイルや伝統の破壊の趨勢は圧倒的で、いまやどんな後進国でもスマホを手に持ち、マインド・コントロールされながらの日常生活がほとんど世界均一になっているのは、恐るべきライフ・スタイルの統一化である。その内面は、金優先、メリット・デメリット優先の地獄的様相であるのもこれまた世界共通と言わざるを得ない。
個々人がそれぞれの欲望を実現しようとする場合、共通の理念、思惟形式、文化的伝統がないと、大方は戦争になる。「戦争は近い」というのは、このあたりの消息である。
山幸彦は、元の鉤を返せと無理難題を吹きかけられて窮したとは、日本は今となっては西欧化をやめれるはずもないので、かえって完全に西欧化せよと迫られて窮したということ。