◎大観園の解剖=戦前の中国のアヘン窟
(2015-10-22)
日本では上水道が行き渡り、山中などよほどの不便なところでない限りは、手汲みの井戸にお目にかかることはなくなった。
私の少ない経験で言えば、水の悪い中国での生活に対して、昭和10年代の生まれくらいの人まではあまり抵抗がなかったように記憶している。水事情が悪ければ、風呂もシャワーもなかなか浴びれない。
明治や大正の人は、中国に留学し、中国語の舌の訓練が要る発音と「礼節」を学んだ人がいたものだが、彼らにさほどの中国での生活に違和感があったことは聞かない。中国での生活をやや不便と感じこそすれ、そこでの生活に耐えられないとまで思うことはなかったのではないか。
そうしたやや慣れた日本人であっても、中国人の徹底した虚無に近い部分の人生観に暗澹とし、また驚異の眼を見張るケースが時にあったようだ。
『大観園の解剖/佐藤慎一郎/原書房』は、そうした最もディープな中国人の生態と哲学と人生観に焦点を当てている。大観園は、戦前の旧満州ハルビンにあったアヘン窟。ここで中国人は、アヘン吸飲に終日を充て、アヘン購入を繰り返すため、やがて金も尽き、飢えと麻痺で最後は路傍に死体として捨てられる。
死体は大方衣服をはぎ取られ、寒中に真っ裸であり、その衣服はたちまち売られ、取得した者のおこづかいになる。日本におけるような死者への「仏」に対する尊崇などかけらもない。
中国人は本能的であり、人間より動物に近い。その国土では永久に飢饉が繰り返される。これに対し、日本では、本能を脱却することが人間の理性の発露であることを誰もが自然に理解し行動のベクトルはそちらに向かおうとする。日本でも飢餓の時期はないことはないが、その都度少ないものを分け与えて清貧に暮らすことを恥じない民族の知恵がある。
大観園では、瀕死の病人(アヘン中毒者)の衣服を生きているうちに剥いで金にする。衣服は金になり、宿で死なれては他の宿泊者が迷惑するからだそうだ。裸で病人を街頭に置けば凍死するのだが、中国人はそれを自業自得だとし、同情すらしない。
こうした個人主義の極みについて中国人は、「誰不管誰」(人のことは人のこと)言い、隣家に盗賊が来ても構いやしないという、ものすごい通念があることで説明する。
中国共産党だってたかだか略100年の歴史だが、漢民族は4千年こうやって生きてきた部分がある。これでは、孔子の儒教が大いに必要とされるわけだと思う。道教から出てきた功過格がどこか上滑りなままで終わっているのもわかる。
中国の風土、社会、伝統の下では、このように最低限の人間の尊厳すら簡単に侵されるのであるから、甘ちゃんで苦労なく育った今の若い日本人には、漢民族あるいは中国人の本質というのは、ますます想像もできない人間像なのだと思う。