◎人命尊重という美辞麗句
(2012-08-16)
原爆の投下目標の選定については、まず軍事設備、工業設備だけを戦略爆撃するかあるいは、住居地域を含めて文字通り絨毯爆撃するかという議論が米軍内部にあったが、焼夷弾による爆撃はドレスデンの爆撃で既に実地に試されていたという経緯を見ると、米軍は広島、長崎以前から日本については軍民を差別しない無差別爆撃を意図していたようである。だから1945年3月10日の東京大空襲では原爆に匹敵する10万人の死者を出している。
ドイツへの爆撃では、無差別爆撃はドレスデン以外ではほとんど行われなかったのに、日本では無差別爆撃をやりすぎて、原爆投下の候補地となる無傷な都市を選定するの困るほど全国各都市に無差別爆撃をやっていた。この点で日本とドイツ人への扱いは根本的に異なっていたわけである。
こうして比較的無傷な原爆投下候補地として、京都、広島、横浜、小倉、新潟があったが、最終的に広島、長崎となったのは、いろいろなメディアで報道されるとおりである。
ナチスもドイツ敗戦前に原爆の開発を完了していたという説があって、英国リバプールへの投下を具申されたヒトラーが、大量の死は今必要ないとして、原爆投下しなかったということだったが、もしこの説が本当であれば、ヒトラーも一見識である。
軍事関係者の中でも、民間人・無辜の人々を戦闘に巻き込まないというのは古来常識であったが、第二次世界大戦ではこの常識が簡単に踏み破られている。特に日本に対しては。
こういった様を指して、出口王仁三郎はこの戦争は悪魔と悪魔の戦争であると表現し、更に日本人の被害のひどさについては、原爆が2発も日本に投下されたことも含め、その原因として大本教への弾圧と日本が原爆を最初に開発したらしいことをほのめかしている。
因果は昧(くら)まず。人間も国家もやったことの責任は問われるものである。
日本の主要都市のほとんどすべてが灰塵に帰したことで、さる人が「火の雨が降るという予言は実現しましたなあ」と出口王仁三郎に訊くと、出口王仁三郎は、「ほんものの火の雨はこんなちょろこいもんやない」と一蹴したという。
核戦略ではoverkill殺し過ぎという言葉があり、殺し過ぎは抑制させてきた。これが核軍縮から、次の究極兵器への流れの中でも意義を持っているかどうかは知らない。
人類の生存、文明の存続は、こうした基本ルールを守ることで為されるが、アメリカの軍事力衰退と他国への核拡散は、ルールを守らない国を増やす。
人命尊重と言うが、相手国ののど元に銃を突きつけ合いながら、わが国は人命尊重していると主張し合う時代を終わらせるには、国の内部から銃を引きあげる決断をしなければならない。そうした国とは、覚者が続々と出る国だけである。ただ現実にはそこまでは届かないのだろう。