◎ドナルド・シモダ(老子狂言)
ドナルド・シモダは、大ベストセラーのリチャード・バックの『イリュージョン』に出て来る聖者。彼は飛行機乗りで、最後頭を銃で撃たれる大けがを負いながら、リチャード・バックに末期の言葉を述べるシーンは印象的だ。水平の悟りを得ているドナルド・シモダには、透徹した孤独感がある。
リチャード・バックの前世記憶から出してきた救世主入門は、この本で初登場、世に知られることとなった。
『ドナルド・シモダ
オレたちゃ空の遊び人
オレと冥想とは流れもの
干し草畑をふらふらと
おてんとさまに包まれて
冥想 お前がオレの情婦だ
黒いガーターちらりと見せて
酒場で踊る女より
オレはお前と寝たいんだ
お前の中で寝ていたい
雲は二人の愛の巣だ
風や嵐は恐くない
すねるお前がなお恐い
白い尻から火を吹いて
お前が怒ればオレは死ぬ
死んでもくいはないけれど
王冠かむった帝王や
ペントハウスの金持ちが
手をのばしてもとどかない
七千フィートの甘い大気
それが二人の絹布団
オレたちゃ空の流れもの
いくたびもなく・・・
いくたびもなく・・・
ここに終わり
ここに始まる
今は死ぬに最高の時だ!』
(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)
以下【】内は上掲詩から引用。
【いくたびもなく】は、「鳥は鳥に帰るのだ(老子狂言)」とモチーフが同じ。
出口王仁三郎の「死生観」の転生観と同様に、大悟の後、ただの凡俗に戻って再び大悟を冥想により目指す、超長期の転生観を感じる。
【今は死ぬに最高の時だ!】
これは、自殺を勧めているわけでなく、禅でいう大死一番を遂げ(十牛図第八図)、今しかない今ここを生きるのだ。
詩全体を通したメインテーマは、冥想の戯れ。
『今 ここに 冥想は戯れ
かつて誰も見知らぬ
まったく新しい 人間と文明とを産んだ』
(超宗派的冥想/雨宮第慈 巻頭言から引用)』