背信 [太宗と李勣]
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貞觀二十三年五月
「疉州都督を命じる、ただちに赴任せよ」
突然の左遷命令に宰相李勣は愕然とした。なんの原因も思い当たらない。
竇建徳や王世充と戦っている頃からの太宗を戦友と信じ、
困難な高久麗遠征にも全力で忠誠を尽くしていた勣である。
「たよりない皇太子をしっかり補佐してくれよ」
と病身の太宗から涙とともに頼まれ、感激して拝受したばかりであった。
「本当は、陛下は俺など信じてなどくれてはいなかった。すぐ裏切る盗賊上がりとみていたんだ。俺はまんまと騙されていたんだ」
家にも立ち寄らず疉州へ赴任する道で勣はどんどん覚めていった。
「皇帝など信用出来ない、二度とだまされない」
死期が迫った太宗は、皇太子治を呼んで言った
「勣は名将だ、俺は重恩を与え奴を使いこなせた。しかしお前からはなんの恩もうけていないのだ。使いこなすのは難しい」
「勣がぐずくずして赴任しないようであれば殺してしまえ。すぐ赴任するようなら、またお前が登用して恩を与えればよい」
即位した太子[高宗]は勣を再び任用して宰相とした。
しかし恩を謝する勣の内心は冷え切っていた。
*******背景*******
李勣は東都征圧や竇建徳と太宗とともに戦い、党項や吐谷渾の征討、太宗の大失策であった対高麗戦などにも勇戦し、厚い信頼を受けていたはずだった。
太宗には大きな功績をあげた将軍を、弾劾させてから赦すという悪癖がああったが、ここまで勣は免れてきた。
対高麗敗戦以降、太宗の精神状態はおかしくなり、張亮や劉洎のように冤罪のために誅殺されることが増えてきて、勣も不安であったが、太宗は厚い信任を示していた。
李勣は宰相の一員であったが、武人であるため行政には関与していなかった。
疉州は辺境隴右道の小さな州でそれまで都督府などは置かれていなかった。