大暦5年3月のことです。
宦官魚朝恩は神策軍を管轄し、増長し専権を極めました。代宗皇帝はその武力を懼れて
なかなかこれを制することができませんでしたが、宰相元載[これも朝恩と結託し宰相
となった人物ですが]の策によりなんとか誅殺することができました。史書では以下の
記載です。正史では自殺したことにしていますね。
通鑑は内実を書いています。[周皓は実は朝恩の護衛の將です。既に側近にも裏切られて
いたわけです。]
旧紀
詔罷魚朝恩觀軍容使。己巳,朝恩自縊而死。
新紀
内侍監魚朝恩有罪自殺。
通鑑
癸酉,朝恩將還營,上留之議事,因責其異圖。朝恩自辯,語頗悖慢,皓與左右擒而縊殺之
宦官魚朝恩は神策軍を管轄し、増長し専権を極めました。代宗皇帝はその武力を懼れて
なかなかこれを制することができませんでしたが、宰相元載[これも朝恩と結託し宰相
となった人物ですが]の策によりなんとか誅殺することができました。史書では以下の
記載です。正史では自殺したことにしていますね。
通鑑は内実を書いています。[周皓は実は朝恩の護衛の將です。既に側近にも裏切られて
いたわけです。]
旧紀
詔罷魚朝恩觀軍容使。己巳,朝恩自縊而死。
新紀
内侍監魚朝恩有罪自殺。
通鑑
癸酉,朝恩將還營,上留之議事,因責其異圖。朝恩自辯,語頗悖慢,皓與左右擒而縊殺之
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