唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

放浪する唐の皇帝達

2013-11-01 22:31:08 | Weblog
遊牧民族たる鮮卑の出身である唐の皇帝は放浪するのを好む。
・初代高祖はまだ帝国が安定していないため長安付近を毎年狩猟と称して放浪。
武徳元年~九年まで毎年である。
しかし温泉に行ったのは武徳六年一回である。
・二代太宗は突厥を大破する貞觀三年まではおとなしく長安にいた。
しかし四年温泉に行くと、八年まで連年付近を放浪
しばらく間をおいて、十一年に東都洛陽へ始めて赴いた。
それからは連年のように東都と温泉通いを繰り返し
十九年には高句麗親征にでかけて失敗した。
その後二十三年に死ぬまで毎年放浪を繰り返した。
・三代高宗も即位してから四年間は長安にいたが、永徽四年より放浪を開始
顯慶二年からは則天武后の影響もあってか東都通いが始まった。
その34年間の統治のうち、東都に16年間滞在している。
・武后が即位すると東都が首都となり、晩年の数年を除き長安にはいっていない。
・中宗・睿宗は長安に滞在し、近辺を放浪するだけである。
・玄宗は温泉通いが多く、在位44年中に43回も通っている。
そして東都滞在も11年に及ぶが、晩年の天寶に入ると東都には行かなくなる。
・そして安史の乱後は唐帝は長安を動かなくなり、東都は荒廃するままになる。
吐蕃・朱・黄巣・朱玫等に逐われて長安を離れることはあるが、治まると
舞い戻り。せいぜい近郊で狩猟するだけになる。もはや狩猟民族の血は薄れ
漢民族に同化していったのであろう。

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