唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

鳳翔隴右節度使 その5

2012-05-06 11:04:55 | Weblog
・克用が去ると茂貞は再び反し、乾寧3年[896年]京師侵攻し簡単に禁軍は潰滅し昭宗皇帝
は河東へ逃れようとしたが、鎭国韓建の誘いに乗って華州に入った。
・乾寧4年[897年]嗣覃王嗣周指揮下の禁軍が鳳翔を伐ったが敗北した。
・光化元年[898年]茂貞は継戦が建のみを利することに気づき、京師に昭宗皇帝を戻した。
・光化二年[899年]頃には原・邠寧・鄜坊・山西・武定など關内や山西諸鎭の大半を支配
するようになった。
・茂貞は唐朝の宦官勢力と連携し、宰相崔胤と対立した。胤は天復元年[年]朱全忠の来援を求めた。
・茂貞は11月昭宗皇帝を鳳翔に移した。全忠は鳳翔を攻囲し、茂貞は敗北を重ねた。
・天復2年[902年]に入っても敗北は続き、西川王建に山西諸鎭を奪われ、来援した邠寧李繼徽・
鄜坊李茂勲も敗れ降った。
・天復3年[903年]昭宗皇帝を全忠に引き渡し和を請うた。その後昭宗皇帝は洛陽に移され茂貞
の策動できる余地はなくなった。
・茂貞は岐王を名乗り、蜀の王建の支援を得て全忠の勢力と対峙したが劣勢であった。
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