旅行中、このエゾキスゲの花をよく見ました。
北海道では、少し郊外に出ると、これに良く似た花で、カンゾウユリ(甘草百合)をよく見ます。
見た目はそっくりで、同じ花だと思っていたのですが、同じ種類ではあるけれど、違うようです。
エゾキスゲは蝦夷の地に咲くことからエゾキスゲなので、本州のキスゲとは同じなのでしょうね。
キスゲと言えば、中原中也に、この花に因んだロマンチックな詩があったような気がして、思い出そうとしてみましたが思い出せません。
思い出せないとなると、尚更気になって、検索してみました。
ところが、全然ヒットしません
おかしい、その詩の挿絵にあった、「爽やかな風が吹き渡る草原に佇む青年」の姿さえ、私の目の前に浮かんでいるのに。
諦めきれず、いろいろ言葉を変えて検索を続けたら、やっと見つけました。
何と、作者を間違えていました
中原中也ではなく、立原道造だったのです。
やっぱりドジな私です。
私は、詩が好きというわけでも立原道造のファンというわけでもないのですが、絵に惹かれて見ていたら、その説明のように詩が載っていた、という感じで記憶に残っていたのです。
その詩は、「ゆふすげびと」というのですが、ゆうすげ(夕菅)はキスゲ(黄菅)の別名だそうです。
ゆふすげびと 立原道造
かなしみではなかった日のながれる雲の下に
僕はあなたの口にする言葉をおぼえた、
それはひとつの花の名であった
それは黄いろの淡いあはい花だった、
僕はなんにも知ってはゐなかつた
なにか知りたく うつとりしてゐた、
そしてときどき思ふのだが 一体なにを
だれを待つてゐるのだろうかと。
昨日の風は鳴つてゐた、林を透いた青空に
かうばしい 光のまんなかに
あの叢に咲いてゐた さうしてけふもその花は
思ひなしだが 悔ゐのやうにー。
しかし僕は老いすぎた 若い身空で
あなたを悔ゐなく去らせたほどに!
恋の詩だったんですね~。
立原道造という人は、詩人でもあり、建築家としても才能豊かな人だったようです。
でも、残念なことに、弱冠24歳で亡くなったとか。
結核でした。
そのことを知って、あらためて「ゆふすげびと」を読むと、「残り少ない日々を、瞳に醜いものを写さず、美しい物だけを写して過ごしたのかな」と、そんな気がします。
言葉が、きらきらと輝いているようですよね。