椎名誠が自身の子供の頃を描いた私小説「家族のあしあと」
図書館で借りて、スイスへの出張中に読んだ。
私も最近になって時々考えることと同じことが、テーマの背景にあり、
思わず記録してしまった。本文と、あとがきの部分にそれがある。
(本文より)
家族全員と叔父、叔母のそろった食卓は賑やかで、楽しかった。いまはもうその楽しい会
話の断片さえ記憶にないのだが、こんなふうにして家族が全員そろって、あれやこれや言い
ながら、そして絶えず笑いながら一緒にごはんを食べる、という情景は人生のなかでもかな
り上等な至福の時間であったのだろう、と思う。一度につきわずか二時間程度とはいえ、そ
ういう時間は一生のうちにあまりないのだ、ということを後年、ぼくはよく考えるようにな
った。
(あとがきより)
やがて自分の家族ができる。それだって家族全員で顔をあわせていられる時間はわずかな
ものだ。この連続的大河小説(みたいなもの)の一番最初の「岳物語」では、ぼくは自分の
作った家族の話をベースにして書いていたが、いまは見事に夫婦二人だけになっている。
家族という、まあ基本はあたたかく強いつながりであるはずの集団は、実にあっけなくも
ろい記憶だけを残していくチームなのだ、ということをぼくはこの一連の私小説で書いてみ
たかったのかもしれない。
(ここまで)
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私自身、大学から家を離れて、そのまま就職してしまったので、
自分の親との家族の時間はそれほど多くない。両親とも亡くなって
しまったので、そう考えると、高校を卒業してから何回一緒にご飯を食べた
のだろうかと考えることがある。
今度は立場が変わって、自分の二人の子供も就職と大学で離れて住むことになる。
あと何回、一緒にご飯を食べるのかと考えるのである。
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