画像と題名が全く一致していませんが、と思われた方、あなたは正しい。
が、間接的には関係あります。
画像は観たことのない人も知っているエイゼンシュテイン監督作品「戦艦ポチョムキン」の一シーンです。
1925年の映画ですし、エイゼンシュテインが死んでもう50年以上経っているので安心して画像を載せました。
ポチョムキンという名前、どこから取ってきたのかというと、エカチェリーナ二世時代の側近であり事実上の夫であったポチョムキン公からではないかと思っているのですが、思っているだけですすみません。
さて、この話、船上の下士官の反乱がおおごとになりこの画像の「オデッサ階段の殺戮」に発展し乳母車が転がるに至るわけですが、きっかけは
「食い物の恨み」
でした。
下士官のスープに蛆が入っていたのがきっかけです。
日頃から士官の横暴に業を煮やしていたのが、これを契機に爆発したというものです。
反乱のきっかけが食べ物であるという例は古今東西どこにでもあるもので、米騒動は言うに及ばず、フランス革命も「パンがないならお菓子をお食べ」と言われてブチキレた民衆の反乱ですし、二・二六事件も背景には農村を始め国民の窮乏があります。
しかし、この神戸事件と言われる「食い物の恨み」は、流血騒ぎになったわけでも誰かが処分になったわけでもなかったようで、まあ微笑ましいっちゃ微笑ましいのですが、何しろ当人たちは真剣だったようです。
してその理由は。
簡単に言うと「米の飯食わせろ」ということだったようです。
この事件に遡ること一年、時は明治一五年のこと。
帝国海軍のもっとも頭の痛い問題は「艦における長期航海中の兵の脚気」でした。
脚気はビタミンB1不足で発病します。
つまり、日本人の食生活では「精白しない玄米や分搗き米」さえ摂っていればなることは無いのですが、当時はまだビタミンの存在すら発見されていませんでした。
海軍兵学校10期生27名を乗せ遠洋航海に出た軍艦龍驤(乗組員370名)では長期航海中何人もが脚気に倒れ、死亡者も出て、ついには士官や艦長がボイラー焚きをすることになってしまいました。
脚気にならなかったときに何を食べていたのか、という帰納法的な方法で対処法を模索したのですが「アメリカに寄港して肉を食べていたときには皆元気だった」ということからその後そのフネはたんぱく質を重視した食事にシフトし、脚気は撲滅されたのです。
野菜を積む冷蔵庫がなかった頃の悲劇です。
今の常識でいえばテレビの健康番組でしょっちゅう啓蒙しているので脚気といえば「豚肉、野菜、無精白米」とたちどころに正解が出るのですが、当時はその演繹法的結論で「艦上では西洋式食事がいいらしい」ということになってしまいました。
ただでさえ鹿鳴館の影響を受け、兵食が西洋化されたばかりのころです。
そんなころにこの神戸事件は起こりました。
主食はパン、ビスケット、おかずはシチューやスープ。
最初は困惑していた兵たち、しまいには怒りだしました。
「こんなオヤツばっかりで腹がふくれるか!」
というわけです。
兵学校でも「パンに砂糖に味噌汁」という珍妙なメニューの朝ごはんを食べていたわけですが、現代の我々には首をかしげるくらい、当時の、(そして戦後も)「パンは米より栄養がある」という説はその筋から盲信されていました。
エリス中尉、朝はコップ一杯のスープともち麦のトーストに蜂蜜バターのカテージチーズのせ一枚。
豆乳ミルクティーと決めています。
今気づいたけど、なかなか兵学校風ですね。真似したわけではありませんよ。
しかし、彼らとエリス中尉のカロリー消費量は優に3倍は違いそうだなあ。
さらに余談ですが、戦後アメリカからの小麦を輸入させるため、あらゆる御用学者が「白米を食べると馬鹿になる」という説をもっともらしく流布し、国民は簡単に信じてしまいました。質の悪い廃棄処分相当の小麦や脱脂粉乳を敗戦国の子供は給食という形で食べさせられたというわけです、
去年たまたま「サザエさん」を読んでいて、パンをありがたがるシーンがあまり多いのに驚きました。
サザエ「今日はパンよ」ワカメ、カツオ「ほんと?」
みたいな。
確かに白米にはビタミンはほとんどありません。
しかし、精白してあればパンでも栄養価は同じこと、決してどちらが優れているというものではないことは皆さんももうご存知ですね。
むしろ日本人の体質には同じ炭水化物なら米の方がずっと合っているそうです。
さて、神戸事件に戻りましょう。
彼らは実力行使に出ました。
首謀者の命令で下士官、兵は「総員起こし」のラッパが鳴っても起きてきません。
労働ストライキ発生。
甲板士官が怒鳴ってまわるも、全員頭から毛布を被って反応なし。
軍刀を抜いて彼らを甲板に追い立てる騒ぎになりました。
スト首謀者が言うには
「わしらは白い米の飯が食えるという理由で海軍に入ったのに・・・」
だから、白いご飯は脚気が、と言っても当時の人々に通じる話ではありません。
取りあえず白米を食べさせ事態は収束に向かいました。
しかし、杓子定規の艦長はこのときに白米を兵に与えることを決断した大尉を左遷してしまったそうです。
件の「脚気艦」では、白米の日本食からたんぱく質の多い洋食に変えて脚気の兵はいなくなったかに見えたのですが、実は約10人ほどの主計兵、こっそり白米を炊いて食べていて与えられたものを食べず、この者たちだけが脚気に罹ってしまったそうです。
以前山本長官が「大事にされ過ぎて体の不調を」と書きましたが、これは脚気です。
かなり重症だったそうです。
脚気の症状は倦怠感、吐き気、関節痛、しびれ、浮腫、歩行困難など。
山本長官、かなりこの症状に耐えていたようです。
貧乏人は麦を食えと言ってやめさせられた大臣もいましたが、山本長官に白米以外のビタミンたっぷりの玄米や麦飯を食べさせようとするコックはまずいなかったのでしょう。
不幸なことです。
「日頃温厚で怒らない日本人がブチ切れるとき。それは食い物が絡んだときだ」
という説を聴いたことがあります。
そういえば腰砕けの外交の中で中国製毒ギョーザや狂牛病肉の検査問題では、びっくりするくらい政府は強い態度にでましたね。
特に糠に含まれるビタミンに対する知識がなかった頃の日本人の銀シャリに対する執念にはものすごいものがありました。
戦地で白米を出さなかったといって殴られた主計士官もいたといいます。
この騒ぎがポチョムキンほどの悲惨なものにならなかっただけ良かったとすべしでしょう。
参考:帝国海軍料理物語 高森直史著 光人社NF文庫
日本海軍のこころ 吉田俊雄著 文春文庫
家庭医学大全科 法研
写真 ウィキペディア フリー辞書「戦艦ポチョムキン」より
が、間接的には関係あります。
画像は観たことのない人も知っているエイゼンシュテイン監督作品「戦艦ポチョムキン」の一シーンです。
1925年の映画ですし、エイゼンシュテインが死んでもう50年以上経っているので安心して画像を載せました。
ポチョムキンという名前、どこから取ってきたのかというと、エカチェリーナ二世時代の側近であり事実上の夫であったポチョムキン公からではないかと思っているのですが、思っているだけですすみません。
さて、この話、船上の下士官の反乱がおおごとになりこの画像の「オデッサ階段の殺戮」に発展し乳母車が転がるに至るわけですが、きっかけは
「食い物の恨み」
でした。
下士官のスープに蛆が入っていたのがきっかけです。
日頃から士官の横暴に業を煮やしていたのが、これを契機に爆発したというものです。
反乱のきっかけが食べ物であるという例は古今東西どこにでもあるもので、米騒動は言うに及ばず、フランス革命も「パンがないならお菓子をお食べ」と言われてブチキレた民衆の反乱ですし、二・二六事件も背景には農村を始め国民の窮乏があります。
しかし、この神戸事件と言われる「食い物の恨み」は、流血騒ぎになったわけでも誰かが処分になったわけでもなかったようで、まあ微笑ましいっちゃ微笑ましいのですが、何しろ当人たちは真剣だったようです。
してその理由は。
簡単に言うと「米の飯食わせろ」ということだったようです。
この事件に遡ること一年、時は明治一五年のこと。
帝国海軍のもっとも頭の痛い問題は「艦における長期航海中の兵の脚気」でした。
脚気はビタミンB1不足で発病します。
つまり、日本人の食生活では「精白しない玄米や分搗き米」さえ摂っていればなることは無いのですが、当時はまだビタミンの存在すら発見されていませんでした。
海軍兵学校10期生27名を乗せ遠洋航海に出た軍艦龍驤(乗組員370名)では長期航海中何人もが脚気に倒れ、死亡者も出て、ついには士官や艦長がボイラー焚きをすることになってしまいました。
脚気にならなかったときに何を食べていたのか、という帰納法的な方法で対処法を模索したのですが「アメリカに寄港して肉を食べていたときには皆元気だった」ということからその後そのフネはたんぱく質を重視した食事にシフトし、脚気は撲滅されたのです。
野菜を積む冷蔵庫がなかった頃の悲劇です。
今の常識でいえばテレビの健康番組でしょっちゅう啓蒙しているので脚気といえば「豚肉、野菜、無精白米」とたちどころに正解が出るのですが、当時はその演繹法的結論で「艦上では西洋式食事がいいらしい」ということになってしまいました。
ただでさえ鹿鳴館の影響を受け、兵食が西洋化されたばかりのころです。
そんなころにこの神戸事件は起こりました。
主食はパン、ビスケット、おかずはシチューやスープ。
最初は困惑していた兵たち、しまいには怒りだしました。
「こんなオヤツばっかりで腹がふくれるか!」
というわけです。
兵学校でも「パンに砂糖に味噌汁」という珍妙なメニューの朝ごはんを食べていたわけですが、現代の我々には首をかしげるくらい、当時の、(そして戦後も)「パンは米より栄養がある」という説はその筋から盲信されていました。
エリス中尉、朝はコップ一杯のスープともち麦のトーストに蜂蜜バターのカテージチーズのせ一枚。
豆乳ミルクティーと決めています。
今気づいたけど、なかなか兵学校風ですね。真似したわけではありませんよ。
しかし、彼らとエリス中尉のカロリー消費量は優に3倍は違いそうだなあ。
さらに余談ですが、戦後アメリカからの小麦を輸入させるため、あらゆる御用学者が「白米を食べると馬鹿になる」という説をもっともらしく流布し、国民は簡単に信じてしまいました。質の悪い廃棄処分相当の小麦や脱脂粉乳を敗戦国の子供は給食という形で食べさせられたというわけです、
去年たまたま「サザエさん」を読んでいて、パンをありがたがるシーンがあまり多いのに驚きました。
サザエ「今日はパンよ」ワカメ、カツオ「ほんと?」
みたいな。
確かに白米にはビタミンはほとんどありません。
しかし、精白してあればパンでも栄養価は同じこと、決してどちらが優れているというものではないことは皆さんももうご存知ですね。
むしろ日本人の体質には同じ炭水化物なら米の方がずっと合っているそうです。
さて、神戸事件に戻りましょう。
彼らは実力行使に出ました。
首謀者の命令で下士官、兵は「総員起こし」のラッパが鳴っても起きてきません。
労働ストライキ発生。
甲板士官が怒鳴ってまわるも、全員頭から毛布を被って反応なし。
軍刀を抜いて彼らを甲板に追い立てる騒ぎになりました。
スト首謀者が言うには
「わしらは白い米の飯が食えるという理由で海軍に入ったのに・・・」
だから、白いご飯は脚気が、と言っても当時の人々に通じる話ではありません。
取りあえず白米を食べさせ事態は収束に向かいました。
しかし、杓子定規の艦長はこのときに白米を兵に与えることを決断した大尉を左遷してしまったそうです。
件の「脚気艦」では、白米の日本食からたんぱく質の多い洋食に変えて脚気の兵はいなくなったかに見えたのですが、実は約10人ほどの主計兵、こっそり白米を炊いて食べていて与えられたものを食べず、この者たちだけが脚気に罹ってしまったそうです。
以前山本長官が「大事にされ過ぎて体の不調を」と書きましたが、これは脚気です。
かなり重症だったそうです。
脚気の症状は倦怠感、吐き気、関節痛、しびれ、浮腫、歩行困難など。
山本長官、かなりこの症状に耐えていたようです。
貧乏人は麦を食えと言ってやめさせられた大臣もいましたが、山本長官に白米以外のビタミンたっぷりの玄米や麦飯を食べさせようとするコックはまずいなかったのでしょう。
不幸なことです。
「日頃温厚で怒らない日本人がブチ切れるとき。それは食い物が絡んだときだ」
という説を聴いたことがあります。
そういえば腰砕けの外交の中で中国製毒ギョーザや狂牛病肉の検査問題では、びっくりするくらい政府は強い態度にでましたね。
特に糠に含まれるビタミンに対する知識がなかった頃の日本人の銀シャリに対する執念にはものすごいものがありました。
戦地で白米を出さなかったといって殴られた主計士官もいたといいます。
この騒ぎがポチョムキンほどの悲惨なものにならなかっただけ良かったとすべしでしょう。
参考:帝国海軍料理物語 高森直史著 光人社NF文庫
日本海軍のこころ 吉田俊雄著 文春文庫
家庭医学大全科 法研
写真 ウィキペディア フリー辞書「戦艦ポチョムキン」より