平成11年11月22日。
妙に数字の綺麗に揃った日付のこの日、
航空自衛隊入間基地所属のT-33ジェット練習機が入間川河川敷に墜落しました。
この事故機に乗っていたパイロットは、二名ともベイルアウト(緊急脱出)を試みましたが、
いずれもパラシュートが開く高度を遙かに下回る機位からの脱出であったため、
一人は全くパラシュートが開かないまま、もう一人は開きかけたところで地面に激突し、
死亡しました。
二人の飛行時間はいずれも数千時間を超え、年齢は47歳と48歳。
二佐と三佐ですから、いかなる事態にも対応可能なベテランパイロットであったはずです。
なぜ彼らはもっと早くベイルアウトしなかったのか。
年間飛行(パイロットの技量維持目的)のため彼らが入間基地を離陸したのは13時2分。
30分の訓練を終了し、帰投のため管制塔と通信を設定した直後に異常が起こりました。
13時38分、マイナートラブル(軽微な問題)通告。
(Minor trouble, request direct initial. Present position now 21 NM north)
事故機は、異臭、振動、異常音、オイル臭を通報。
13時40分、緊急事態を宣言。
(Declare emargency, now 10NW north)
13時42分14秒 ベイルアウトを通報。
この頃、機は急激に高度を下げてきています。(高度約1000フィート、約300m)
13時42分27秒 先ほどから13秒後、再度ベイルアウトを通報。(高度700フィート、213m)
13時42分34秒頃 後席操縦者は事故機が送電線に接触する直前脱出。
13時42分36秒頃 前席操縦者は事故機が送電線のグランドワイヤーに接触直後射出による脱出。
13時42分36,6秒 事故機はグランドワイヤーの下線を切断後、90m離れた位置に墜落炎上。
読者の元自衛官、「鷲」さんが、「13秒後のベイルアウト」というYouTubeを教えてくれました。
コメント欄でも書きましたが、わたしはこれを観るのは初めてではありません。
最初に観たとき、溢れる涙に嗚咽が止まらなかった記憶があります。
最初にベイルアウトを通告してから、再度ベイルアウトを告げるまでの13秒。
なぜ彼らは最初の通告でベイルアウトすることをしなかったのか・・・。
最初のベイルアウト宣言後、彼らは眼下に広がる住宅地に気づいた。
住民を巻き込む災害を防ぐため、必死の操縦によって入間川の河川敷まで事故機を誘導し、
それを確認したのち、つまり13秒後にベイルアウトを行った。
しかしそのときすでに機位は脱出に必要な最低高度(300m)を下回っていた。
YouTubeはそのように、命を捨てても自らの任務を全うした彼らの姿を今日の我々に伝えています。
このYouTubeには、事故後の12月1日、事故のあった入間と同市内の
狭山ヶ丘高等学校の校長が、校内紙に寄稿した文章を引用していました。
その全文によると校長は、二人の自衛官の勇気と崇高な自己犠牲を称え、
「もし皆さんが彼らだったらこのような英雄的死を選ぶことができますか」
と生徒たちに問いかけたうえで、
「わたしも皆さんと同じ選択をするでしょう。
実は、人間は、神の手によって、そのように創られているのです。」
「愛の対象を家族から友人へ、友人から国家へと拡大していった人を我々は英雄と呼ぶのです」
と締めくくっています。
この校長先生の手記は国会でも披露されました。
その中のこう述べた部分、
「防衛大臣は謝ることに終始して、部下である自衛官の職責を全うしたその死を称えなかった」
と、この点が質問者から大臣に厳しく問われたということです。
このような校長先生の元で学校生活を送ることのできた狭山ヶ丘高校の当時の生徒達は、
幸運だったとわたしは思います。
それはよしとして、この文章には1999年12月1日時点の校長先生の認識が、
そのままこの小文の趣旨となっている部分があります。
マスコミの、この事件への対応についてです。
しかし新聞は、この将校たちの崇高な精神に対して、一言半句のほめ言葉も発してはおりません。
かれらは、ただもう自衛隊が「また事故を起こした」と騒ぎ立てるばかりなのです。
今回、エリス中尉が注目したのは、この二人の死を、彼らの精神を、本当にマスコミは無視したのか?
全く報じることもなかったのか?ということです。
この校長の文章を元にしているYouTubeは、この点を
「マスコミは自衛隊を叩きに叩いた」としています。
今現在「マスコミは叩くばかりだった」と言われれば
メディア内部に巣くう左側の勢力による報道姿勢の歪みが、国益すら危うくしている昨今、
ごく自然なこととして「そうだったのだろうな」と納得してしまいがちです。
確かに、大勢としては圧倒的に自衛隊を責める報道が大きく、特に事故直後は、
この校長が言うような、メディアの集団ヒステリー状態が起こっていたのも事実でしょう。
「叩きに叩いた」というのも決して過ぎた表現ではないと思います。
しかし、本当にそれだけだったのでしょうか。
事故から半年後、平成12年の5月に、当時の森内閣が衆議院議員の質問に対し答弁書を提出しています。
ここから、事故調査委員会の報告を抜粋してみます。
【墜落の原因】
主燃料、緊急用燃料コントロールユニット付近の燃料ホース等から漏洩した燃料が発火、
同ユニットを加熱、エンジンへの燃料供給が絶たれたことから事故機の推力が急激に低下した
事故機は点検においてこの半年以内に一度も異常は見つかっていない
交信記録、航跡記録等から調査した事実に基づけば、
事故機操縦者は、マイナートラブルの発生及びイニシャル
(滑走路延長線上に設定された飛行場上空への進入のための通過点。以下同じ。)
に直行する旨を通報した13時38分39秒から、
入間タワーの着陸許可に対して脚下げを確認した旨応答した13時42分3秒までは、
着陸が可能との判断のもとで飛行を継続しており、
その後、急激な推力の低下が発生したため緊急脱出する判断を行ったものと推定される。
緊急脱出は、13時42分14秒及び同27秒に通報されたが、
この時点では、事故機は住宅密集地上空を飛行していたことから、事故機操縦者は、
脱出によってコントロールを失った航空機が民家等に被害を与える可能性を局限するため、
直ちに脱出することなく、入間川河川敷に接近するまで操縦を継続し、
送電線接触直前の13時42分35秒前後に脱出したものと考えられる。
次の事実に基づき、事故機操縦者は、脱出によってコントロールを失った航空機が
民家等に被害を与える可能性の局限を図ろうとしたと推定される。
(1)緊急脱出は、13時42分14秒及び同二十七秒に通報されたが、
この時点では、事故機は住宅密集地上空を飛行していたこと。
(2)事故機操縦者はその時点で脱出することなく、入間川河川敷に接近するまで操縦を継続し、
送電線接触直前の13時42分35秒前後に脱出したこと。
半年後の事故調査による考察から、彼らがどのような意図を持って最後に行動したかが
推定とはいえ明記されています。
それでは、この調査結果が出るまで、メディアはこのことに全く触れなかったのか?
私事ですが、当時息子を出産して、天変地異のカルチャーショックのあまり、
世間の情報を一切受け付けない世捨人状態だったエリス中尉には、
全く目にも耳にもましてや脳にもこの事件は入ってこず、
従って事件の記憶すら定かではありません。
要するに世間の論調というのも当時どうであったかさっぱりわからなかったため、
全く新しい事件を調べるようなつもりで、これについての記事を片っ端から検索したところ、
なかなか面白い(実は面白くない)サイトが見つかりました。
一言で言えば
「九条信者、自衛隊解体を叫び、沖縄からアメリカは出て行けと叫んでいるところの」
思想をお持ちの団体によるHPです。
この筆者は事故翌日の11月23日、すでに
「市民に甚大な被害を与えた恐るべき軍隊であるところの自衛隊がまた事故を起こしたので、
防衛庁こと日本軍大本営に怒りの叱責電話集中をHPにおいて呼びかけている」という、
まあ、つまり、そういった手合いです。
その防衛庁への叱責の電話というのが、祭日であったため出た留守番の電話応対係に
「直ちに飛行機を飛ばすのをやめろ!」と怒鳴りつけ、もう一人の「空幕」(?)がでると、
「生意気にも暗に北朝鮮を指し、ぐだぐだ言い始めたので
『かつての侵略行為を反省しろ!
日本は朝鮮や中国から10や20のミサイルぶち込まれたって我慢しなきゃならないんだ!』
と怒鳴りつけてやった」
と言う、まあ、なんというか、比較的香ばしい基地の外に属する方でございます。
この人物が、11月24日、事故後2日にして事故報道に対し怒り心頭です。
ちょっと面白いのと、この方の一風変わった文章に滲み出る何かを汲み取っていただくため、
この部分を、皆様にはご不快でしょうが抜粋いたします。
もし、ご本人、この掲載に異論があるなら、ぜひご連絡ください。
またまた、アメリカ製の日本軍ジェット戦闘機の墜落、送電線切断、
80万世帯ほかの甚大な被害を生んだ1999.11.22.月曜日の恐怖の事故に関して、
驚くべき「殉職美談デッチ上げ」報道の製造経過を暴かなくては、
ああ、ならなくなってしまったのです。
ああ、また敵が増える。しかも、今度は軍隊そのものまで含むとなれば、
ああ、命がいくつあっても足らなくなりそうです。
ああ、の使い方が決定的にキモチワルい、と思うのはエリス中尉だけでしょうか。
しかしここで注目すべきは筆者の文章センスではなく、当時の報道機関が最初の段階において
毎日新聞「同基地の交信などから、同機が住宅街を避けようと飛行し、墜落したとみられる」
読売新聞「民家避け脱出遅れる?」
朝日新聞「住宅避け脱出遅れる?
-防衛庁側は「二人は機体の向きを密集地から離すため逃げ遅れたのではないか」と話している
東京新聞「空自は操縦不能になった場合、操縦士にすぐ脱出しろと指導する一方、
「民家などは避けるように」とも伝えており、
過去の事故でも脱出が遅れて死亡したとみられる例がある」
このようなほぼ横並びで、操縦士たちの脱出の遅れとその予想された理由を報じていたという事実です。
この方がこれに対して「ねつ造だ!」と怒りまくってくれたおかげで、当時の資料を当たらずにすみました。
(^▽^)
さらに、
「テレヴィ放送に関しても、何度もそのことを繰り返すので不自然に感じた」
というこのサイトの「お仲間」からの報告も入っていたようです。
(テレヴィ、という表記センスにもなんだかなあと感じるのはエリス中尉だけ略)
そして、NHKラディオが報じたという、
「小渕総理は事故の際パイロットは迷惑をかけないよう人家を避けて墜落したのだろうと述べた」
というニュースに関してもこれは
「ぶら下がり取材の発言であることから全く信頼性がないもの」
さらにいきなり
「美談製造業者の内幕でした」
・・・・・ってそれ、どうしてそういう結論になるかな。全然内幕暴いてないじゃん。
(ラディオという表記も略)
ここで注目すべきはこの方の香ばしいお怒りの様子ではなく、
当時の報道機関が自衛隊叩きだけに腐心していたわけではなく、
小見出しとはいえ市街地を避けた飛行であったことを最初から報じていた、
という事実です。
この左巻きな方がこれだけ騒いでいることから観ても、YouTubeや校長先生の意見は、
多少一面的な見方であったと公平に見て思わざるを得ません。
同じ報道に接しても、ある考えの者からは「殉職美談」、別の考えの者からは
「彼らの自己犠牲を無視している」という、全く反対の意見が出てきているのです。
勿論、全体的な報道の調子は、まず「送電線切断による停電」「交通ATMがストップ」など、
被害ばかりを一面に報じ、彼らが住宅地を避けたことは小見出しの中にしか見当たらず、
「非難」ばかりが強調されて、自衛官たちを悼む様子が全く無いというのも事実です。
しかし・・・・。
ちょっと「藪の中」とか「神坂四郎の犯罪」なんて内的多元焦点手法の小説を思い出しますね。
人間の認識力というのは、このように自分が受動体として持っている「初期設定」
がフィルターとなって、案外それが入ってくる情報を振り分けてしまうこともあるのではないか、
と考えさせられます。
今後、これを物事を判断するにおいてこのフィルターを無意識にかけてしまっている可能性がないか、
わたし自身今後何かを判断するときに一応振り返ることを心がけようと思います。
・・・などというしおらしいことを言っておりますが、
どちらにしてもこの件に関して、どんなフィルター無しの公平な視点を心がけたとしても、
この九条信者さんには何の共感も感じることができません。
彼らは、事故後二日の、つまり何の情報も無い時点で、ねつ造だの何だのと大騒ぎしています。
つまりこういった論陣の論拠というのは全く科学的ではなく、常に「軍隊に対する怒り」
を基にしているから、感情的で説得力もないのだな、とよくわかりますね。
彼らの最後の13秒について、もう少しお話ししたいと思います。
(後半に続く)