ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

サンフランシスコの一日~クリフとフォートポイント

2014-08-12 | アメリカ

さっき車の中でラジオを聞いていたら、突然

「ロビン・ウィリアムズが自殺した」

というニュースが繰り返し始まりました。
昨日、黒人のティーンエイジャーが警察に撃たれて亡くなり、
黒人の暴動が起こって32人が逮捕されている、というニュースが
朝から繰り返されていたのですが、 
一挙にこの話題にかすんでしまいました。

昨日はサンフランシスコに来ていたという証言もあるそうですが、
自殺とは・・・・一体何があったんでしょうね。 



さて、かつてサンフランシスコに住んでいたことがあり、
帰国してからもほぼ毎年ここに来て夏を過ごしていた我が家は
2年前から息子のキャンプの内容の充実を求めて
ここスタンフォードのITキャンプにくるようになっても
かつての懐かしい場所を求めて滞在中何度かSFに行きます。

わたしはお気に入りのブティックがあるので、それらを
一回ずつ訪れるだけでも結構な回数になります。
顔なじみで名前も知ってくれている店もありますが、
それほどでもないところでもレジで

「わたしあなたの顔覚えてるわ」

と言われたことが何度かあります。
どの店も一年に一回しか行かないのに・・・。 

ところで、その中でも最も仲良くしていて、スタッフの名前も
全部熟知している店を先日訪れたのですが、
3年くらい前から働いている70台のおばあちゃまスタッフが、
なんとジャズギタリストの

Bruce Forman (wiki)
ホームページ

のお母さんであることが判明しました。
なんてこった。
ブルース・フォアマンといえばリッチーコールのバックで
日本に来たりしている、ちょいカントリー風ジャズギタリスト。

あらためて写真を見たら、ママンと全く同じ顔をしています。
本人にそれを言うと

そうなの。髭があるだけの違いなの」

ちなみに、彼が何歳からギターを始めたのかと聞いてみたところ、
小さいときにはピアノをやっていたのだが、20歳のときに
急にギターを始め、すぐにプロになっていたということです。
まあ、プロになる人というのはそんなもんですよね。

「プロになろうと思って音楽を始める人はいない、
なろうと思うのではなく気がついたらなっているのがプロだ」

というのは、不肖エリス中尉の名言です(笑)

母上によると現在彼は「ルート66ツァー」をやっていて、
あの「Route 66」に登場する街のライブハウスを次々に
回って演奏しているそうです。

つまり、シカゴを出発してLAまでの2000マイル、

Saint Louis

Joplin,
Missouri

Oklahoma City
Amarillo
Gallup
New Mexico
Flagstaff

Arizona
Winona
Kingman

Barstow
San Bernardino


という順番ですね。
きっとライブの一番最後にこの曲をやるのでしょう。 

ママンによるとブルースは何度も日本に来ているので、
今度行くときにはメールをくれるとのことでした。



翻って当方の息子は相変わらず機嫌良くキャンプに行っています。
ITキャンプなので合間には皆でゲームをするそうですが、
朝のドロップオフのときに

「お前が「X」か。昨日一人で勝ちまくってたという」

などといわれていて、彼が有名人であることに気づきました。
大抵100人近くのクラスの中のゲーム「2強」の一人になるそうで、
カウンセラーといわれる講師に勝つこともしょっちゅうなのだとか。
わたしとしてはそんなことで有名になられても、と思うのですが、
本人はいたって大得意。

「気がついたらゲーマーになっていた」

というのだけは親の立場からもやめてほしい、と祈る今日この頃です。

関係ないですが、彼はまた


「お前デスノートの主人公に似てるな」

とも言われたそうで、それもちょっと嬉しい様子。
どのキャラのことか知りませんが。



さて、その息子がサンフランシスコに一度は行ってみたいというので
先日、I-280で北に向かいました。
サンフランシスコ上空には今日は霧がかかっているようです。
今からあの雲の中に突入だ!
わたしも息子もパロアルトを出発するときからジャケットやマフラーで装備。



隣をまるで絵はがきのようにきれいなオールドカーが
走っていたので息子に写真を撮らせたのですが、失敗。
青い、やはりレストアカーと連れ立ってドライブを楽しんでいます。
タイヤホイールなんかもぴかぴかですね。



こだわってオールドカーに乗る人はここアメリカにも
たくさんいます。
これはサイドミラー越しに撮ったメルセデスのオープン。
カリフォルニアの人はオープンカーが大好きです。
強い陽射しは彼らにとって苦ではないようです。



280を出て太平洋沿いのスカイラインハイウェイを走りました。
パラグライダーを楽しむ人が集まる崖の上の公園があります。
いつも崖沿いや海の上を飛んでいるのですが、
見ているだけでどこに着陸するのか心配になります。
皆個人で楽しんでいるので、日本のように何かあっても
業者に責任を問うみたいなことにならないようです。



サンフランシスコの地図で言うと右上、太平洋を臨むサンセット地域。
この向こうには日本があります。



車から降りるなり激しく冷たい風にあおられて震え上がりました。
海岸を歩く人も寒そうです。

「これが8月の海岸の光景だなんて・・・」

いつ来てもサンフランシスコはクレイジーな気候です。



ここにはかつて風力発電のために使われていた風車が二つあります。
勿論今はその姿が残っているだけです。  



レストランに行くことにして車を停めました。
ここは「クリフ」と呼ばれています。



海岸の向かいにはアパートなどもありますが、
よくボードを抱えて道を横切っている人を見かけます。
近くに住んでいるサーファーも多いと見た。
しかし、冬でもやるのがサーフィンとはいえ、ここで水に落ちたら
さぞかし寒いだろうなあ・・。

風が強いので結構いいチューブが来ているようでしたが。



おばかさん発見。

サンフランシスコの海で海水浴をする、などというのは
体を張ったギャグ以外の何ものでもありません。

おそらくただウケを狙っての決死のパフォーマンスと思われます。
何が君をそうさせている。



というわけで、レストランのあるビルの近くに車を停めました。
ここは3年くらい前に長年かかって行われていた改装があいなって、
観光客や地元の人たちが訪れる人気スポットとなっています。



中のカフェはものすごい人で順番待ちが出来ていましたが、
レストランの方にはすぐに座れました。
ホテルのダイニング並みのお値段設定なので、
ちょっと休憩、という観光客などはこちらを選ばないからです。



案内された席からの眺め。
下のテラスにはしょっちゅう人が来ます。
いかにも寒そうな二人。



海岸にある岩の小山にはしょっちゅう人が登りにきていました。



どこから降りるのだろうと不思議に思って見ていたのですが、
右下の亀裂の隙間に立った墓石のような岩の上に移り、
そこから亀裂の右にさらに移って砂浜に降りていました。



そんな観察をしているうちにスープが来ました。
息子と二人でシェアした人参のスープ。



ここの売りはシーフードです。
素直にスキャロップを注文してみました。
付け合わせにはアサリとポプコンシュリンプもあって
食べ応え十分すぎるほどでした。



息子の頼んだコッドのフライ。
どちらも美味しくて、量が多いのに全部食べられました。



しかもデザートも頼んでしまうのだった(笑)
二人で一つ頼んだ「ラーバ・チョコレートケーキ」。
付け合わせてあるのはホイップクリームとピスタチオのクリーム。



ラーバ、即ち溶岩のように熱々のチョコレートが中から・・。
アメリカのデザートなのに甘さ控えめで激うまでした。



全てに満足したのですが、一点精彩を欠いたのが紅茶。
アメリカ人には紅茶の文化がないので、お湯のポットに
はいどうぞ、とティーバッグを一つ持ってきたりします。
まあ、ポットで3ドル50セントですから文句も言えませんが。



ここにはかつてStro Baths(ストロバス)という温水プールがありました。
よりによってこんなサンフランシスコで一番寒いところに、
と思わないでも無いのですが、決して泳げない海だからこそ
それを見ながらせめて暖かい室内で泳いでみたい、と
考えたサンフランシスカンが多かったということでしょう。

先ほどの水車もここに電力を供給していたのではないでしょうか。




まるで養殖場のいけすのようですが、こんなプールだったようです。

1896年、ユダヤ系ドイツ人で初のサンフランシスコ市長となった
アドルフ・スートロが世界最大の屋内スイミングプールとして建てたもので、
運転コストとメンテナンスに費用がかかりすぎたため経営は思わしくなく、
閉鎖に追い込まれました。

その後ここにはかつての遺跡だけが残っていましたが、
1966年、放火による火災で全ての建物は焼失したそうです。



ここがその跡地。
建物の基礎の跡と、プールに移動するための階段、
そしてトンネルが見えます。



ここに立つとあまりの風の強さにわたしたちはさらに震え上がりました。



そして、水槽の跡のようなものが見えています。



それがこの部分。
今ごはんを食べている建物のあるのが向こうの崖沿いです。



温室ドームは大きなもので、この下の階にもプールがあり、
吹き抜けの二階はこのようなスペースになっていたようです。



さて、息子のリクエストにより、わたしが先日車の鍵を失くしたところの
ゴールデンゲートブリッジに行ってみることにしました。



この日はサンフランシスコ中が深い霧に覆われていました。
晴れているように見えますが、真っ白な写真を加工したものです。



ゴールデンゲートブリッジのある地域をプレシドといいます。
プレシドに建っている家は殆どが築100年もので、
しかも壁や屋根の色をぬりかえることは許されません。
従ってどこにいってもクリーム色の壁にレンガ色の屋根の建物ばかり。
色彩に統一があって実に美しい一帯です。



ブリッジのたもと、フォートポイントに来ました。



ウォーキングでここにたどり着き折り返すときにタッチするパネル。
前に見たものとは違う新しいものになっていました。



下の方にある犬用はそのままです。



上空に水上飛行機発見。
アレスティングワイヤーのようなものを付けていますが・・。

 

駐車場に車を停めて釣りをしている中国人あり。
今夜中華街にある彼の店で「TODAY’S CATCH」として料理されます。(たぶん)
見ている前で瞬く間に一匹釣り上げ、観光客が周りを取り囲み大騒ぎ。
ちょっと得意そうな陳さん(たぶん)でした。



ところで、わたしの今乗っている車です。
え?
前に鍵を失くしてからダッジに乗ったといってなかったかって?
はい、乗り出して数分でGPSがないのに気づいたんです。
そして次の日またもやスイッチしにいき、
すったもんだでプリウスに代えてもらったというわけです。

つまりわたしがこの滞在で乗った車、その数8台。
平均週一回車を代えていたことになります。

このまま最後まで行けますように・・・。(切実)



ここには1800年代に作られた要塞の跡があります。
時々は公開されるのですが、入り口にあった案内によると
それは来週の土曜日でした。
最後の週末になりますが、どうしようかな・・。 


このあと、市内のスーパーで買い物をし、パロアルトに戻ってきたのが夜8時。
夜なのに明るく暖かく感じ、サンフランシスコの異常さをあらためて実感しました。

しかし、また別の日になれば行きたくなるんですよねこれが。

やっぱりサンフランシスコはクレイジーな街です。