映画の内容を全く把握せず、戦争ものDVDをまとめて購入し、
夏に渡米して鑑賞する時間が出来るまでこのタイトルの
「不沈艦」
というのが何をさすのか考えてもみず、もしかしたら
戦艦大和が関係ある?などと薄々思っていたくらいなので、
それが「プリンス・オブ・ウェールズ」であったことに
観終わって初めて気づいた次第です。
戦争ものといいつつ、戦闘シーンは全く無く、つまりこれは
「銃後の日本」
たる日本国民の一億火の玉精神と言いますか、撃ちてしやまんと言いますか、
まあとにかくそういう覚悟を賛美する、国策映画です。
国策映画でもいいから、フィルム払底のおり、とにかく映画を撮りたい、
そういう生粋の「映画人」であったマキノ雅広監督が、
あえて挑戦した国策映画。
国策とはいえ、長回しのシーンもいくつかありますが、
全体的にテンポが良く最後まで全くだれることなく進み、退屈しません。
まあ、この「国民の覚悟」を説く、という意図がはっきりしすぎて、
そんなもなーゲージツじゃねえ!という向きも勿論あろうかとは思いますが。
さて、続きです。
2倍の増産体制になって、フル稼働していたポンコツかつ危険な、
6号機械が、ピンポイントで爆発事故を起こした、
ということろまでお話ししました。
現場の責任者だった宮原(安部徹)、宮原を励ますようなからかうような、
何が目的で来たか分からないままそこにいた大川(佐分利信)は
爆風に巻き込まれて共に負傷します。
工員の家族も、安否を心配して病院に駆けつけます。
大川の父親は、通りすがりの工員同士の
「2人が取っ組み合いの喧嘩をして機械が壊れたんだと」
「喧嘩してて気づかなかったそうだ」
「あの2人はやたらこのごろ仲悪かったからねえ」
「みんな働き過ぎさ」
という話を小耳にはさみ、何事かを決心します。
兄と今や婚約者となった宮原を案ずる大川妹。
医師から、大川が宮原を庇うために覆い被さって火傷を負った、
と聴かされます。
場面変わって栗山大佐の自宅。
ちびなのにやたらペラペラと達者にセリフを言うガキ、
いやお子様が走って大佐をお出迎え。
このお子様がかわいい。
もし生きていたら、この子は今74歳くらいかな。
「おとうさま、ぐんかんにのってたの?」
「いや、どうして?」
「だってちっともおうちにかえってこないんだもん」
「おやくしょが忙しかったんだよ」
お父様は軍令部だから、もうぐんかんには乗らないんですよ。
「へんだなあ、
のぼるちゃんとこのおじちゃんもおやくしょいってんだけど、
おじちゃんはばんになるとちゃんとかえってくるよ!」
大佐が晩婚で、年齢に比して若い奥さんを娶っており、
まだ小さい子供(必ず男の子)がいる、というパターンは
この映画の他にもいくつかの作品で観たような覚えがあります。
そこに来客を告げるベルが鳴ります。
何事かを決心した大川父が向かったのは栗山大佐の自宅でした。
大川父は栗山大佐の中学校の恩師でもあります。
宮原の父親は栗山大佐の江田島時代の恩師だし、
この世間、狭すぎ。
何をわざわざ言いにきたのでしょうか。
まず、工場の事故の原因が海軍の
「一見して無理な注文」
にあるとし、その目的が
「皇国を泰山の安きに護り、仇する者あらば
これを一気に撃滅せんがため」
なのであるとすれば、海軍は今何をしておるか、
というのが大川父の海軍への不満でした。
ここでも演説が始まります。
「傲慢なアメリカとの外交交渉を観たまえ。
我が国の武力蔑視があの例の強腰を生じさせている。
ABCDの包囲陣、浮沈戦艦プリンスオブウェールズの東洋回航、
彼らは嵩にかかって日本の喉を締め上げにかかっておる!」
「国民はそれをすでに感じておる。
君らにはそれがわからないのか。
ん?誰も彼も鬱陶しい顔をしておるじゃないか。
これは誰の責任だ?
5・5・3の比率がそれほど怖いか!」
5・5・3とは、ワシントン軍縮条約で日本が飲まされた
アメリカ・イギリス・日本の戦艦保有の比率です。
実はこの後に1.67・1.67(フランスとイタリア)が続くのですが、
仏伊ともに、保有数は前後で変わることはありませんでした。
つまり日本の「一人負け」状態だったのです。
当時の国民が、この軍縮条約の結果に不満を感じていたことが
こういったセリフで表されます。
一介のジジイ、いや恩師といえども民間人にそこまで言われて、
瞬間気色ばむ栗山大佐。
「過酷な犠牲を国民に要求して、海軍は何をしておる!
言いたまえ!・・・・・・沈黙の海軍か?」
要はこれが言いたかったわけですね。
こういうのを観ても思うのですが、こういった空気は作られた、
つまりお上の主導によるものではなく、
海外からの不当な圧力に、当時国民の反発は充満し、
むしろ「沈黙の海軍」に歯がゆく思っていた、というのは
実際のところであったようです。
あの朝日新聞に至っては、天皇の御意を受けた時の東条内閣が
戦争回避の道を探っていた時期に、こんな見出しの記事を書いていました。
「勝てる戦をなぜやらぬ」
「日米戦わば必ず勝つ」「弱腰東條」
もちろんそれにはそもそも世論の支持があったからに他なりません。
新聞も煽ればその方が売れるからやっていたのです。
マスコミに取っては何が真実かではなく、それによって日本がどうなるか
でもさらになく、つまり商売上の戦略というやつです。
今だって同じことです。
嫌韓が売れれば嫌韓、都議のスキャンダルが売れればそれを暴く、
マスコミとは昔からそういったもので、
「何が正しいか、正しくないか」は全く斟酌されていないのです。
さらに朝日には「身内の韓国人元慰安婦の裁判を有利にするため」
という理由で天下の公器を私事に悪用した記者もいましたね。
「戦争は軍部が起こした」ということにして、未だに
A級戦犯の靖国合祀がどうしたこうした言っている某朝日新聞は、
(もちろん朝日だけではありませんが)こういう過去を見ても
つくづく罪深い組織であるとわたしは断罪します。
話が出たついでに(笑)
「誤報については謝罪する必要は無い」
と社長が言い切ったそうですが、それが「過去のことだから」
という理由なのであれば、日本の「過去のこと」だけをなぜいつまでも
隣国と一緒になって非難し続けるのかって話なんですけどね。
話を栗山家の客間に戻しましょう。
大川父の叱責に対して何も言い返すことの出来ない栗山大佐。
何かを知っていたとしても言えるわけはありませんし、
おそらく一介の大佐では、確たる日本反撃についての情報を
知る立場にないのです。
唇を噛む栗山大佐に、大川父は追い打ちをかけるように
「昔の海軍には豪傑が揃っておった。
中牟田倉之介、樺山資紀、井出影範、赤松則良。
彼らにしてもし今生きておったなら、この情勢に
為すところ無くして手をこまねいてはいまい。
世相も変わったが海軍も変わったのう!」
皮肉まで繰り出してもう、言いたい放題。
物陰で聴いていた栗山の美人妻も辛そうです。
「あなたがお可哀想で・・・あれほど苦労されているのに」
それに対して栗山は穏やかに
「海軍は何をしているか、か・・・。
さあねえ、何かしてはおるだろうさ」
とひとりごちるようにつぶやくのでした。
「何かしている海軍」を表現するつもりか(笑)、
ここで急に海軍省提供による実写フィルムが登場します。
戦艦の甲板に始まり、
砲座の射撃訓練?
魚雷が海に放たれる決定的瞬間もありました。
艦載機のパイロット。
この人は戦後まで無事でいることができたでしょうか。
飛来する爆撃機。
これはどうやら鹿児島湾で大々的に行われていた
真珠湾を想定した爆撃訓練(のつもり?)であるようです。
おそらくこの通信塔の形状から、これが何か、そして
向こうを航行しているのが何か、分かる人もいそうですね。
この映画が制作された1944年4月にはすでに多くの
戦艦始め軍艦が失われていたわけですが、
おそらくこのときにまだ生存していた艦のフィルムを
海軍省は映画用に貸与したのだと思われます。
そして明らかに空母もちらっと写るのですが、
1944年4月にまだ戦没していなかった空母は
大鷹、神鷹、信濃、大鳳、瑞鳳
このどれかであろうと思われます。
最終回に続く。