ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

平成30年度 想い出アルバム〜自衛隊イベント編2

2019-01-03 | 自衛隊

関東地方は晴天に恵まれ素晴らしい陽気の元旦でしたが、
皆様はどのようにお過ごしになりましたでしょうか。

わたしは日の出の時間にいつも歩きに行く公園で初日の出を迎えました。
いつもは誰もいない公園の芝生広場にご来光を拝みに来た人がいっぱいです。

ちなみに息子は鎌倉の高校の同級生のうちに泊まりにいき、
鶴岡八幡宮に二年参りに行ったそうですが、あまりにも参拝客が多く、
拝殿にたどり着くことができなかったと言っていました。

おせちはいつもの東京駅前ホテルの加賀料理の店で。
お雑煮は薄味かつおダシの鴨入りでした。

初詣は靖國神社で昇殿参拝に上がり、御祭神の皆様に
これからの日本の安寧と、ついでに家内安全をお願いしてきました。

境内では奉納芸能や獅子舞が催され、昇殿参拝に上がる人々で賑わっていました。


さて、2018年度に参加した自衛隊イベントご報告の二日目です。

海上自衛隊練習艦隊壮行会「かしま」艦上レセプション5月11日

東京湾晴海埠頭にて行われた「かしま」艦上レセプションにご招待いただきました。

金子純一「かしま」艦長が挨拶中。
練習艦隊司令官泉海将補(右)は、このレセプションでも

「三つのC(うれCおいCうつくC)」

を練習艦隊の目標にしたい、と皆を湧かせました。

「かしま」艦上でのこの日の自衛艦旗降下。

日が沈んで夜の灯りに包まれた「かしま」を退艦したその翌日は、

練習艦隊体験航海「まきなみ」乗艦 5月12日

で、同じ晴海から横須賀に移動する練習艦隊に座乗することになりました。
自分で書いていてハードなのにちょっと驚いています(笑)

晴海埠頭を出航した後、レインボーブリッジ下を潜ります。

艦上ではSH-60ヘリのローターを回す展示などが行われました。

「まきなみ」を追い抜いていく練習艦隊旗艦「かしま」。
この追い抜きがこの日の体験航海に参加した人たちにとってある意味
最大のイベントといえたかもしれません。

追い抜かす時に、「かしま」との間では発光信号が交わされました。

横須賀港に到着すると、「かしま」は一足先に入港作業を行なっていました。

自衛隊のイベントではありませんが、このこともお話ししておかなくては。

海上保安庁の観閲式、

海上保安制度 創設70周年記念観閲式および総合訓練 5月19日

に参加しました。
もちろん海保のイベントに参加したのは初めてです。

乗船した瞬間から下船まで、とにかく海自との文化の違いに
驚かされっぱなしの観閲式でした。
同じ海の安全を守る団体でありながら、運用はもちろん全てが全く別物です。

特に驚いたのが出航作業で、革靴に真っ白な手袋をつけた姿で
舫を手に持って捌いていく海自の出航を見慣れた目には、
甲板のウィンチで淡々と舫を巻き取る海保の方法は寧ろ斬新でした。

「海自が出入港作業をほとんど海軍時代と変わらぬ方法で行なっているわけは、
おそらく、彼らが乗っているのが海軍時代とおなじ「軍艦」だからです。

古より干戈を交えた時代を経て代々受け継がれ、研ぎ澄まされてきた作業は、
恐ろしく合理的で、武器を搭載することが第一義の甲板で行うことを考えれば、
これが最良の方法であり、それがゆえに変える理由もないのでしょう。

かたや、船の甲板を埋め尽くす機械で舫を処理する海保のやり方は、
安全で確実な出入港のために考えられた最善の手段であり、むしろこちらが
『普通』なのだということを、わたしは眼下の光景を見ながら思っていました。」

とこの時のわたしは観察しております。なるほどね(笑)

乗船していた船医どのは民間人。
お祖父さんの時代から「海保の船医」だそうです。

海保の観閲式はとにかく見ていて楽しいの一言です。
招待された船舶が色付きの水を放水するなんて、信じられます?

「飛龍」という名前が海保の放水船に既に取られていたことを知りました。
しかもひらがな表記で「ひりゆう」。

海保の救難訓練展示は「本気」と書いてマジモードでした。
ケミカルタンカーから転落した人をへロー降下して救出、
その後消火活動を行う、という筋書きで展示が行われます。

ただし水はかけるフリだけ。

訓練展示でもっとも観客が湧いたのが海賊船対処訓練でした。
トッケイと呼ばれる特殊警備隊が行う高速機動連携訓練。

不審船の周りをトッケイのボートが警告(という名の威嚇)しながら
円を描いて足止めを試み、その後色々あって強行接舷、乗り込んで海賊確保。

わたしの見た日には強行接舷と乗り込みは省略されていたようですが、
その壮絶さは訓練といえども顕で、海保の皆さんが日頃どんな現場にいるのか
片鱗なりとも知ることができた貴重な機会となりました。

あのP-1の動画公開で、自衛官が日々どのように任務を行い、
いざ、という時にいかに沈着に対処しているかに初めて触れた人々から
驚嘆と賞賛の声が上がったことは、あの事件の思わぬ副産物かもしれません。

日本の平和は実はこのような人々の日々の研鑽と、
危険を顧みない任務行動によって守られているということです。

アメリカ合衆国からもコーストガードのカッターが参加し、
海上自衛隊からは護衛艦「はたかぜ」が招待されて加わりました。

白と青の船列に加わるたった一つの「鉄(くろがね)の城」。
実際は灰色ですがそれはともかく、これがどんなに頼もしく強そうに見えたか。

この日参加した知人の全てが全く同じことを言っていました。

警備区の特色を生かした最後の「フェアウェル」も、
海自の観艦式では決して見ることのできない和やかな展示です。

わたしはこのおかげで「宮古島まもる君」の存在を知りました。

高知の警備に当たる第五管区「とさ」には坂本龍馬が写真のポーズで立っています。

個人的に注目した警視庁のピーポくん(怖い)


海上自衛隊練習艦隊遠洋航海出航 横須賀 5月21日

一連の出国関連行事に一通り出席させていただいた今回、
約半年にわたる遠洋航海に出発する練習艦隊を、いよいよ

横須賀地方隊の岸壁より見送る日がやってきました。

岸壁を離れる「かしま」の艦上と岸壁とで交わされる帽振れ。

海軍時代の練習艦隊もまた、全く同じしきたりの上に行われていたことを、
わたしはこの年紹介した大正15年度練習艦隊記念アルバムで確認しました。

わたしはこの後単身車で観音崎まで駆けつけ、そこから練習艦隊を見送りました。

護衛艦「いずも」横浜大桟橋寄港

「いずも」が大桟橋に寄港したという知らせを受け、
一眼レフでの夜間撮影の練習を兼ねて、
三脚持参で
ライトアップの写真を撮りに行きました。

くじらのせなかから見る「いずも」。
ポートタワーと「氷川丸」の電飾を背景に。

ちなみにこの「くじらのせなか」は、年明けの時には周りの船舶が
一斉に汽笛を鳴らす中、愛を誓い合うカップルで満載になるそうです。


海上自衛隊 掃海隊殉職者 追悼式 5月26日

毎年5月の最終週に金比羅神社で行われる、海上自衛隊掃海隊殉職者追悼式。
ここのところ、わたしは前日の立て付けから見学させていただいています。

立て付けが始まる前に、指揮官が金比羅神宮参拝を行うのが恒例で、
これを外から見届けるために本殿までの長い石段を上っていたら、
後から来た自衛官の集団にあっという間に抜かされました。

今年初めて拝殿に向かう呉地方総監、掃海隊司令以下の写真を撮ることに成功。

次の日の本番ではわたしは来賓席での参列となり、そこから
写真が撮れないので、立て付けの時だけ儀仗隊の前から撮影しました。

追悼式のために高松港に寄港している掃海母艦「うらが」では
毎回恒例の艦上レセプションが行われます。

「うらが」で自衛艦旗降下を行った一人は女性乗組員でした。
掃海艇はようやく女性の艇長が生まれたかどうかというところですが、
掃海母艦には女性隊員が普通に乗り組んでいます。

ライトアップされた「うらが」退艦後、掃海隊の撮影がライフテーマである
カメラマンのミカさんと高松名物うどんを食べに行きました。

翌日、追悼式の本番です。
参道にいきなり現れた白いセーラー服の儀仗隊に参拝客は目を見張ります。

この日の弔辞で元民進の小物議員小川某が掃海隊への弔辞に見せかけて
モリカケ疑惑をあてこすった安倍総理批判を「言い逃げ」し、
出席者のみならずその日のうちに全国的な顰蹙を買った、
ということを除けば、粛然としたいつも通りの追悼式典でした。

艦内帽を被った一人の出席者の後ろ姿が印象的でした。

 

続く。