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国旗降下を江田島で〜海上自衛隊幹部候補生学校訪問

2019-01-31 | 自衛隊

旧海軍兵学校跡、現海上自衛隊第一術科学校、通称江田島。

海軍に興味を持つようになって初めて知ったこの地に
わたしはこれまで何回訪れたことでしょうか。
ざっと頭で数えたら、海自OBによって行われる一般向けのツァー2回、
元自衛官と一緒に参加したツァー1回、海軍兵学校の同窓会で
それまで見たことがない高松宮邸まで見学したのが1回。

これに部内と幹部候補生の卒業式が各1回ずつ、計6回ですが、
今回は、これまでのどの訪問とも違い、正道ど真ん中の「表敬訪問」です。

どうしてそうなったのかという詳細を公表するのは差し控えますが、
とにかく、海軍兵学校跡というわたしにとっての「聖地」に、
いつの間にか曲がりなりにも「客」として訪問することになったのです。
「単なる海軍ファン」から始まって以来の来し方を思えば、
その感慨にはあまりあるものがあります。

この度の呉でのホテルも、最初に来た時と同じ呉阪急ホテル。
ロビーに飾ってあった製菓部制作の「大和」はいつの間にか無くなりましたが、
お正月月間ということで、「千福」の酒樽が飾ってありました。

最近の訪呉では安くて朝食付きのコンフォートホテルが多かったのですが
今回久しぶりに阪急ホテルに泊まってみたら、部屋がいつの間にか改装済みでした。
特に水周りも全部新しくなっていて、大変快適なステイでしたよ。

呉訪問に合わせて、元自衛官の方と夕食をご一緒する機会もありました。
食事するところをお任せしたら、ここに。

もしかしたら呉では自衛官御用達(ちょっと高級の部)の料理屋さんかな。

入り口にのぼりがあったように、ここはカレーラリー参加店の一つらしく、
潜水艦「もちしお」カレーを扱っていました。

認定証にはその時の艦長が

「これはうちのカレーだ!」

(呉海自カレーパッケージの説明文よりそのまま採用)
と認定したという印が捺されております。

「もちしお」と認定証をお店に授与する艦長の記念写真も。
「もちしおカレー」は少し甘めの牛肉と野菜のカレーで、
トッピングに目玉焼きを載せているのが特徴だとか。

なぜ目玉焼きかというともちしおは漢字で書くと「望潮」、
つまり「満月時の満ち潮」を意味する艦名だからですって。

なるほど、それで艦のマークが「月と人魚」なのか・・。

ところで余談ですが、今もちしお のエンブレム画像を探していて、
ヤフオクでこんなものが出品されているのを見つけました。

海上自衛隊海将補制服セット

もちろん本物なのですが、こんなの買う人いるんだろうか・・。
元海将補だった人くらいしか欲しいと思わないよね。

さて、幹部候補生学校に訪問することになり、レンタカーで
岩国から旅をしてきたわたしたちの車は、途轍もない渋滞に巻き込まれ、
やっとの事で呉にたどり着きました。

おなじみの「瀬戸内バル 五十六」がようやく見えましたが、
ここから江田島までは結構遠いんだよ。

運悪く、フェリーのない時間なので、音戸の瀬戸経由、
早瀬大橋を渡ってぐるーっと迂回していくしかありません。

しかも一本道で、帰宅時に重なったこともあり
車の進むのが遅いこと遅いこと。
 
 
やっとの事で術科学校に到着。
前もってレンタカーのナンバーを向こうに告知しておいたせいか、
降りて入場の手続きをさせられることもなく、
そのまま駐車場に停めるように言われました。

 
懐かしいなあ。
 
一般の見学ツァーを申し込むと、ここの一階で待機し、
ここから出発を行います。
食堂は見学者でも利用できるので、二度ほどカレーを食べた覚えあり。
 
 
駐車場に停まっている車はほとんどが軽。
地方の幹線道路(大抵二車線道路)を走っている地元ナンバーの車は
軽自動車が多いのですが、こういうところは一家に2〜3台車があって、
各自が通勤に使うからではないかと思います。
 
とはいえ、今回敷地内で外国製スポーツ車も目撃しましたが。
車の後ろには、自衛隊の基地駐屯地ではどこでも見るパイプ。
お風呂などの水パイプではないかと思っているのですがいまだにわかりません。
 
到着したことを担当の自衛官に電話したところ、駐車場まで
お迎えに来ていただけました。
 
前の予定が押してしまった上、予想を上回る渋滞に巻き込まれ、
約束時間に海軍5分前どころか大幅に遅れての到着。
わたしは、かつて将官まで務められた方が、
 
「私は時間に遅れてくる人を信用しない」
 
と書いておられたのを読んだ後、その方とお会いすることになった時には
いつも以上に遅れることを警戒して、1時間前には現場に着くように
家を出たものですが、その方の
 
「信用しない」
 
という声が脳内にリフレインする状態での江田島到着、誠に恐懼する思いです。
 
 
暗くなる中歩きながら撮ったのでボケていますが、
この「頑張ろう江田島」のバナーは、
昨年江田島が見舞われた大水害の後、復興支援を行う中
ここでも何らかの受け入れを行ったらしく、その時に
被災者たちを励ます意味で作ったものだそうです。
 
 
歩きながらわたしはこの光景に感動せずにはいられませんでした。
昔はガス燈であったに違いない大講堂脇の灯が点っています。
 
 
いつ来ても、いつ見てもその威容に感銘を受けずにいられない
堂々たる建築の大講堂をこの時間に見ることそのものが、
わたしにとって記念すべき初体験でもあったからです。
 
 
「まるで京都のお寺のような目立てがされてますね」
 
TOが砂地を見て感心していうと、エスコートの自衛官が
 
「毎朝候補生がちゃんと筋目をつけるんです。
そのあとは御構い無しに歩くので夕方にはほとんど筋が無くなりますが」
 
幹部候補生が桜の花びらも一枚一枚つまんで(!)取るのだ、
という話を初めて聞いたTOは目を丸くして驚いています。

 
幹部候補生学校の前に立つと、また再びこの光景がわたしを感動させました。
この人生で、夜の灯が室内に点っている赤煉瓦を見る機会が訪れるとは。
 
しかも、赤煉瓦内に灯る明かりは、全国津々浦々の自衛隊の建物が
そうであるような寒々しい蛍光灯などではなく、昔の通り、
電灯色の電球を採用していて何と美しいことか。
 
アメリカやヨーロッパでは日本のように蛍光灯を実用以外に使いません。
わたしも昔から蛍光灯が嫌いで、部屋の灯りは電球色にしていますが、
その理由は、蛍光色は顔色が悪く見えるし、食べ物を美味しく見せないからです。
 
全体を「艦」に見立てているがゆえにドアがない、と言われる
赤煉瓦の入り口の外側には、自衛官が立っております。
 
 
今回は幹部校長閣下への表敬訪問ということで、通していただいたのは
この階段を上がったその正面の部屋になります。
 
階段の踊り場に設えられた鏡は、候補生たちが身だしなみを
点検するためのもので、海軍時代からの伝統です。
男が鏡をまじまじ見るということすら、当時の日本では
画期的な(かつ文化的な)ことだったのに違いありません。

海軍は常に「時代の先端」だったのです。
 
階段の腰板などは、大改装の時に新しくされたものですが、
当時のままに残された部分もたくさんあり、手すりなどもその一つです。
 
真鍮の唐草模様は精緻でレースのように美しいですね。
 
 
そしてここが今回会談を行った応接室。
外から見ると赤煉瓦正面右側の部屋になろうかと思われます。
飾り棚の中やその上に色々と面白そうな?ものがあったのですが、
こちらが遅れて会見時間が短くなったことと、遠慮もあって撮れませんでした。
 
 
天井の照明器具も改装の際に新しくされたようですが、
よく見ると一つ一つに錨のマークが刻まれていました。
 
天井に埋め込まれたダウンライトに混じってよく見ると
スプリンクラーも備え付けられています。
 
井上成美が、草鹿任一が、あるいは遡って鈴木貫太郎が
海軍兵学校の校長であった時も、その来客はここに通され、
ここで会談を行ったわけですが、その同じ場所に、わたしが・・・。
 


ブレてしまいましたが、応接室の壁には昔からあったらしい
「咸臨丸」の航海を描いた油絵が掛けてありました。
 
目黒の幹部校長たる海将に幹部校のメダルをいただいたことがありますが、
そのモチーフはまさにこの絵から取られていたと思います。
 
さて、会見に至った経緯をお話しできないので中身も
お話しできないのが残念ですが、ともかくその会談中のことです。
 
この日の日没時間になり、窓の外から喇叭譜「君が代」の
最初のサウンドが聴こえてきました。

前に「かしま」に乗艦し、舷側を歩いている時に喇叭がなったので
エスコートしてくれている自衛官に、
 
「立ち止まらなくていいんですか」
 
と聞くと、
 
「任務遂行中はしなくてもいいことになっています」
 
と答えて、彼はその時行なっている任務、つまりわたしの案内を
最後まで遂行したということがあります。
実はそのとき、わたしは会場に入ることなどより、
君が代の時に自衛官と一緒に気をつけしたかったので、後から
 
「今度同じことがあったら国旗への礼をしてもらおう」
 
と堅く誓ったのでした。

そして、よりによって赤煉瓦の二階にいるときにその「今度」が来たのです。

部屋にはわたしたちと幹部校長の他にも自衛官がいましたが、
彼らは一般人であるわたしどもに遠慮?してか、それまで通り
会話を続ける様子を見せかけるので、わたしはここぞと
 
「いえっ!・・・・なさってください」
 
と他の人が聞いたらなんのことかわからないけど、
自衛官が聞いたらなんのことかわかる言い方で、彼らがいつも通り
国旗に対して敬意を表する姿勢をすることを促しました。
 
♪ドーソードドミー ドーソードドミー ミミソーミミソー
ミードミソーソ ミードドドー
ソーソソソーソ ミードーミードーソ ーソソソーソ ミードーミードー
ドーソードドミー ドーソードドミー ミミソーミミソー
ミードミソーソ ミードドドー♪
 
この間、応接室の椅子に全員が座ったまま姿勢をただし、
握った拳を膝に載せたままラストサウンドまで気をつけ。
 
わたしは猛烈に感動しました(笑)
 
他ならぬここ、旧海軍兵学校の赤煉瓦で自衛官と共に
喇叭譜君が代を聴きながら瞑目する日が来ようとは。
 
遅れてしまったため短い会見時間となってしまいましたが、
わたしはこの体験のためだけにここに来たような気すらしました。
 
 
時間通りにこちらから会談を切り上げ、下まで送っていただきながら
赤煉瓦一階の床が軍艦「金剛」の甲板であったことなども説明してくださいます。
 
わたしには周知の事実ですが、自衛官の口から聴くことに意味があります。
 
 
エントランス上のガラスが当時からのもので、古いガラス(左から二番目)は
昔のガラスであるため歪んで見えることも教えていただきました。
 
 
そして、この幻想的な大講堂の佇まいをご覧ください。
おそらく自衛官くらいしか、こんな時間の構内の様子を見ることもないでしょう。
わたしは心の中で呟きました。
 
「これで後は、深夜の江田島を見れば完璧だな」( ̄ー ̄)+
 
深夜の幹部学校・・・どうやったら見れるかなー(棒)
 
 
幹部候補生や術科学校生の生活が行われている場でもあるので、
建物はどこも灯りが窓から漏れています。
 
何度振り返ってもそこには自衛官が起立して
いつまでも見送ってくれているのに感激しながらわたしたちは
赤煉瓦を後にしました。
 
 
 
急いでフェリー乗り場に行き、待っていた最終便に乗り込むや否や、
船はすぐに岸壁を離れ始めました。
 
さようなら、江田島。またすぐ会いましょう。
 

終わり。