「かが」ドック入り前の体験航海、いよいよお楽しみのカレー体験です。
士官室で「かが」についてのレクチャーを受けたのは、つまり
食堂がオープンする時間調整だったらしいのですが、何事も
ミリミリで動く自衛隊らしい時間配分の仕方だと思いました。
引率された全員でエレベーターに乗り、一挙に移動!
ヘリ搭載艦型の護衛艦が一般公開に向いているのは
大人数を引き連れて狭いラッタルを上り下りさせる必要が
最小限に抑えられるというところでしょう。
もっともあの事故ではそれが仇になってしまったというわけですが。
エレベーター内部の構造物は全体的に真っ黒な塗装をされております。
エレベーターパレットの下降の動きは独特で、一度停止位置より高く浮き上がって
甲板から数センチ高いところで停止してから、スルスルと降りていくという感じ。
そのことをいうと、案内の自衛官は
「台を支えるための何か(爪のようなもの?)を外すのだと思います」
この写真を見ると、「かが」があの事故以来、どれだけ一般客の安全に
慎重すぎるほど慎重な対処をしているかおわかりいただけるでしょう。
白い線のパレットの端っこに対して張られた柵が思いっきり内側。
この一段外側に柵を張っても十分安全なんじゃないかって気もしますが。
これならたとえ走り幅跳びして柵を越えようとする人がいても、
エレベーター端に到達する前に自衛官が捕まえることができますね。
てかしねーよ普通。
カレーをいただく予定になっている食堂は、一旦こうやってハンガーデッキに降り、
この右側にある通路から(確か)1階分下がったところにあったりするわけです。
右側に見えているのは白に赤のラインですが、消防車でしょうか。
ラッタル滑りますの注意書きポスター。一般見学者向けでしょうか。
西日本豪雨災害の際の「かが」の活躍に感謝する記事が壁に貼ってありました。
「かが」は呉港に停泊して呉市、江田島市の被災者に入浴施設を解放し、
救援物資輸送を行なった、という紹介なのですが、これはどこの記事かというと
「艦内に当社の神様を御分霊した『かが神社』をお祀りし、
乗組員の方々は日本国の防衛、世界の平和と安寧を日々お祈りされています」
とあることから、おそらくは白山比咩神社の社報(神社でもこういうのね)
であることは間違いないと思われます。
記事には、艦内では被災者の慰安のために呉音楽隊が演奏を行ったことも書かれています。
この社報のコピーは「かが」艦内神社の下に貼ってありました。
ところで、最初に「ひゅうが」に乗ったとき、艦内神社の近くにいた乗員に
やはり乗組員はここで手を合わせたりするのか、と聞いたところ、
その乗組員が知らなかったのか、艦内神社というものに全く関心がなかったのか、
「そんなことをしているのは見たことがない」
とまるで無関心そうな返事をされたものです。
それから、どの艦だったかは忘れましたが、
艦内神社のお賽銭はどうするのか近くにいた乗員に聞いたら、
「溜まったらジュースを買ったり・・・」
と答えたこともありました。
今回案内してくれた自衛官とTOに何気なく後者の話をすると、
二人とも目を丸くし、自衛官は
「そんなのとんでもない!
お賽銭ですから、ちゃんと溜まったら本社に納めにいくものです。
ジュースなんて言っている乗組員が知らなかっただけですよ」
と呆れたように言われました。
TOも、
「そんなことしたらバチが当たるって」
と・・・。
うーん・・・あの艦・・・その後大丈夫だったかな。
艦内神社がどこの御祭神か手近な隊員に尋ねても、即座に解答が返ってくるような
我らが「かが」に限っては、お賽銭がジュースに化けることもないでしょう。
神社のガラスの扉が開けられていたので、わたしたちはお賽銭を入れ、
「かが」が無事に日本の防衛に当たることができるようにお祈りしました。
ほとんどの自衛艦は、科員食堂のすぐ近くに艦内神社を祀っています。
案の定、神社を通り過ぎたらすぐキッチンが現れました。
ここは一部だろうと思いますが、このキッチンで日頃は4〜500名の
乗員の食事をまかなっているのです。
被災者を招待した時にはそれに約450名が加わったはず。
わたしたちは前もって、パウチされたこんな喫食券をいただいていました。
朝、バスに乗る前、私服の関係者らしき方にカレー代は支払い済みです。
確かとっても安かった記憶がありますが、いくらか忘れました。
喫食開始時間が1045とえらく早い時間だったわけですが、
すぐに港に着いてしまうのと、お昼の時間は乗組員が食堂を使うのでこうなります。
食堂の入り口に到達すると、係が喫食券を持って立っていたので渡そうとすると、
なぜか
「そのままどうぞお持ちください」
というので、乗艦記念に「海自かがカレー喫食券」と書かれたカードをいただき、
紙皿に福神漬けと共に盛り付けたカレーを受け取ります。
そして、その隣で牛乳をいただけるという流れになっていました。
カレーと牛乳、海上自衛隊ではいつからか切っても切れない関係です。
スプーンも使い捨てで、紙カップが倒れないようにテープで固定してあります。
ご飯茶碗8分目くらいのカレーは小腹が減った時向けで、決して多くありません。
ご飯は少し硬めに炊いてあり、具がほとんど溶け込んだルーとマッチしていました。
「んー、さすが!これは美味しいですね」
「ミルクを飲みながら食べると一層美味しい!」
わたしたちのテーブルに来られた案内係の自衛官氏によると、
「クレイトンホテルの『かがカレー』も食べましたがあれより美味しいです」
ほう、呉では一、二を争う高級ホテルのダイニングよりうまいとな。
「実際にレシピをわたして、作り方をこちらの者が指導に行くのですが」
どれだけ手間暇かけて渾身のカレーを作ってるんだ海上自衛隊。
「もしよろしかったらおかわり自由ですよ」
そう言われて、早速TOはもう一杯おかわりを取ってきて食べていました。
二杯で普通のカレー一杯分くらいの量なので、お代わり組は多かったかも。
ご飯を食べた後は喫食券にも書いてあるように、あまり長居できないので、
早々にもう一度士官室まで戻ることになりました。
廊下の展示物もまめに撮影しながら歩いていて、ふと気がついたのは
不肖宮嶋茂樹氏の撮影した、
「踊る立入検査隊 マラッカ海峡を封鎖せよ!?」
という記事。
先ほど行われたレクチャーでも写真を見せていただいた
平成30年度インド太平洋方面派遣訓練部隊
に宮嶋氏は同行されたようです。
護衛艦「いなづま」の立入検査隊は男性ばかりですが、
「かが」のには2名のWAVEが含まれると書かれています。
そうそう、これは自慢になりますが、昨年ある会合で不肖宮嶋氏にお会いし、
名刺交換したら、「不肖宮嶋茂樹」のお名前で賀状をいただきました。
ブログで散々お名前を連呼していることは内緒です。
どこの海自基地でも、自衛官が制作した啓蒙ポスターを見ることができます。
左は薬物に手を出さないように、右はとにかく違反をしちゃダメ、というポスター。
ところで、フランクで見知らぬ人にはやたら愛想のいいアメリカ人は
単なる通りすがりの人ですら、何かしらを褒めてくるものです。
わたしにも、駐車場で隣に停めた車の持ち主が、いきなり近づいてきて
「あなた素敵ねー!」
となぜか激賞してきて、一緒にいたTOもMKもびっくり、
ということが普通にあったりするわけですが、相手は女性に限らず、
スタバのカウンター越しに男性店員に服装などを褒められることも珍しくありません。
しかし今の日本では男性が女性の服を「可愛いね」というだけで
セクハラになってしまうということなんですわね。これによると。
しかもそう感じるかどうかを決めるのは言われた方、となると、
故岡田真澄でもない限り、どんなに相手を褒めたくなっても、
余計なことは言わず黙っていた方がいい時代になったってことなんですね。
セクハラについては男女雇用機会均等法にすでに規定されていて、
この春からはパワハラの方も本格的に法制化されるとか。
ちなみにわたしが今まで見た自衛官制作のポスターで最高傑作だと思ったのがこれ。
海上自衛隊八戸航空基地の隊員が描いたものと思われます。
嫌な思いをする人が一人でもいる限り、その人の人権に配慮しましょうってことか。
物言えば唇寒し、という句がつい浮かんでくるご時世です。
機関室も公開していましたが、団体行動だったので見学できませんでした。
「あきづき」の時にもオリジナルグッズが欲しい人が、先任海曹室で
あれこれお買い物をしていましたっけ。
乗艦記念に何か欲しい(できればカレー付きの帽子など)ところでしたが、
ここも引率されている身では横目で見ながら通過するしかできず・・。
退艦時には真新しい「かが」のキャップを被っている人もいました。
ちなみに、海曹室にある木の箱の中には自衛艦旗が予備の分も含めて収納されています。
なんでわたしがそれを知っているかは秘密です。
わたしたちは解散を許されず、そのままもう一度士官室に戻ることになりました。
さっききた道の逆に、ハンガーデッキをエレベーターに向かいます。
エレベーターの稼働を行うのは飛行科の隊員であることが
この人のヘルメットのシールでわかりました。
ところで写真を見て気がついたのですが、デッキの上部通路に
白い幕が張ってありますね。
これはなんのために、つまり何かの目隠しをしているようなのですが、
この後ろ側には何があるのでしょうか。
それとも単に見栄えを良くしているだけなのかな。
わたしたちはカレーを一緒に食べてからずっと一団を案内する自衛官のと
ご一緒する形になっていたのですが、その方が気を遣ってくださって
せっかくだからとまっすぐ士官室に戻らず、甲板に留まって、
ピンクの船が近づいてくるのを見ながら色んな話をうかがいました。
特に、「自衛官の再就職について」。
その方が援護業務課の勤務だったことと、たまたまわたしたちが今回
自衛官の再就職について深く考えさせられる事例に遭遇したことから
勢い話はそれらのことになったのでした。
自衛官として制服を着ていられる時期は短いですから、再就職先に
夢が持てないとなると、実利的な学生は就職先として
自衛隊を選択肢に入れることもしなくなるわけです。
実は再就職支援というのは自衛官募集にも関わってくるというわけですね。
ところで超蛇足ですが、知人のさらに知り合いの現役自衛官という人が、
「退官したらヒモになる」
と嘯いていると聞きました。
(こんな自衛官が実際にいるのかとちょっと驚きですけど)
そのことをTOに話したところ、
「ヒモを甘く見たらいけない!
女性に自分から貢がせる優しさと口先三寸のとさじ加減、なによりまず
自分に貢いでくれそうな女を嗅ぎ分ける才能がなくてはダメ。
自衛隊で全ての部下に慕われるよりあるいは難しいかもしれない」
いや、問題はそこではない(笑)
続く。