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来賓入場と小西議員の呆れた挨拶(の裏側)〜平成31年度 降下始め

2019-01-17 | 自衛隊

今日はちょっと昨日参加した団体で仕入れたネタがあるので、
またしても陸自第一空挺団の降下始めの話題にします。

unknownさんからリクエストがあったので、当日のいでたちを再現し
鏡に向かって自撮りしてみました。

わかりにくいので解説しておくと、帽子は白のハンチング、
マスクも布製で顔の半分をすっぽり覆って俯いたところまで再現しています。

前回言い忘れましたが防寒パンツもオムニヒートで、しかも内側には
謎の保温素材がジュラ紀の化石でも発見されかねないくらい多層をなしており、
人体と外側の関係はまさに「安いエビ天の中身と衣」。

でも、この衣と中身の間の空気が強力な保温力を産むのです。

上下ともアメリカのMで少し余裕のあるサイズですが、素晴らしいのは
下に重ね着せずとも十分暖かいところ。
いずれも昨年の夏、ボストンのコロンビアアウトレットで購入したものです。

タウンユースではフードなど飾りにすぎませんが、実際に
酷寒の天候下で被るとこれがなんと暖かいことか。
写真のように帽子にフードを重ねることで完璧に寒さを防げます。

ふと気になって周りの人々を観察すると、フードつきジャケットの人は
全員もれなくフードをフル活用して観覧していました。

さて、指揮官降下も無事に終わり、並み居る降下指揮官は
立派にその任を果たした、というところまでお話ししました。

演習展示が始まる前に、会場には来賓を乗せたCH-47が二機やってきました。

チヌークが着地するときには必ず後ろのハッチから乗員が
ご覧のように下を確認するため体を乗り出します。

もちろん落ちないように体は安全索を装着しているのだと思いますが。

最初に着地したヘリからは一般人の来賓が自衛官に混じっておりてきました。
ヘリに乗る人には、迷彩のジャケットを貸してもらえます。

左側に着陸するもう一機のチヌークに向かって、二人の自衛官が
まるで宙を飛ぶように駆けていきます。

降下初めの時に貸し出されるのは観察したところ防寒用迷彩。
陸自隊員の迷彩とは色合いが違います。
防寒着は言うなれば枯葉色で、習志野駐屯地演習場においては見事な保護色です。
降下始め式典中に敵から襲われた場合の視認性を考慮しているのです(嘘)

2機のチヌークのローターが巻き上げる枯れ草が観客席まで飛んできました。
このヘリに乗ってきたのは防衛省関係でしょうか。

画面手前を走っているのは指揮官降下を行なった副官の付かない指揮官と思われ。

2機目のチヌークからおりてきた一団の中にはアメリカ陸軍の軍人さんが一人。
最後尾で陸自隊員と会話しながら歩いているようです。

3機目のヘリの窓を確認したのですが、将官が乗っていることを表す
星などは確認できなかったにも関わらず、降りてきた中には統幕長がおられました。

自衛官と防衛省職員のグループのようです。

先日、河野統幕長は「もう法律的に年齢が限界にきているので」
もうすぐ退官されるだろう、と聞きました。
2014年10月からですから、まる4年と3ヶ月統幕長でおられるわけですが、
こんなに長く統幕長を務めた自衛官は、戦後初めての自衛隊で
統幕長の前身だった統合幕僚会議議長を10年間務めた内務官僚出身の
林敬三陸将を除けば河野海将が初めてとなります。


話が横道に逸れますが、戦後の自衛隊が警察予備隊時代、日本国が
軍のトップに内務官僚出身者を宛てたこと、つまり「文官統制」は、
いわば間違った「文民統制」解釈の結果だとわたしは思っています。

一度ここでも書いたことがありますが、この「文官統制」を
文民統制の本来の形に改正すべく、制服組と背広組が対等に防衛大臣の補佐を行う、
という形になったのが、2015年の防衛省設置法第12条改正です。

軍人が軍隊のトップになれない、つまり内部部局が軍をコントロールする、
というのは間違った文民統制の解釈の表れでしたが、その後実に65年もの間、
統幕長がを自衛隊出身者が務めるということになってからも組織によくない
(とあえて言います)影響を及ぼし続けた、
これが戦後の自衛隊だったということです。

もうひとつついでに言うと、わたしは防衛大学校の校長を、軍人ではなく
民間出身の学者が務めることも、戦後体制に基づく誤った文官統制だと思ってます。

その話はさておき。

これまで見た全ての降下始めでは、防衛大臣はヘリで来場していました。
レンジャー出身の中谷元元大臣はもちろん、小野寺元防衛大臣も、
確か初回には、同伴の夫人もヘリに同乗されていたと記憶します。

2年前の降下始め当時防衛大臣だったのは稲田朋美元大臣ですが、
後から知ったところ、稲田氏は降下始めには参加しなかった模様。

まさかルブタンのハイヒールが履けないから辞退した・・ってことはないよね?

 

さて、ここで本日の本題と参ります。

タイトルでも薄々お分かりのように、この日の演習終了後に行われる
野外での祝賀会(野宴)で起こった、小西ひろゆき議員のやらかし事案についてです。

わたしは祝宴にご招待されておらず、そこから隔離された場所で観戦し、
終わるや否や暖をとるために帰宅したので、この目で見たわけではないのですが、
その日のうちにこの事件はネットを通じて全軍布告状態になりました。

わたしはこのURLをunknownさんに送っていただきすぐさま知ったわけです。

第一空挺団新年初降下における、小西ひろゆき議員の残念な振る舞い

日本国自衛隊データベースのブログ管理人様は
「残念な振る舞い」という穏やかな表現をされておりますが、
こちらに詳細がある通り、コニタンは新年早々「やらかしちまった」のです。

「最悪のタイミングで最悪の選択をする」

というのは「いわゆる徴用工問題」「レーダー照射事件」などで、
最近日本にとっていよいようざい存在になりつつある某国を
表す言葉であるようですが、小西議員の今回の振る舞いもまさにそれ。

なぜこういう時にこういう場所でそういう選択をする?

をピンポイントでやっちまう、それが小西議員なんだな。

ところでいきなりですが、この写真をご覧くださいませ。

降下始めの直後に行われた地球防衛団体(仮名)の賀詞交換会での写真です。
宇都隆史議員を中心に、小野田紀美議員、地方防衛会長、3K新聞の記者の方、
そしてエリス中尉(仮名)というメンバーで撮ったものです。


実はこの会の始まりに際し、恒例の出席している政治家先生の挨拶が
与党防衛関係→与党その他→野党
と進み、最後に野党の番になって、かの長島昭久先生が登壇しました。

「野党で出席させていただいているのはわたし一人なんですが」

長島先生、民主党を離党し無所属になった時にも

「やっと堂々とこの会に来ることができるようになりました」

などと結構自虐ネタで場を笑わせる一面をお持ちなんでございますが、
先生、なんとこんなことを仰いました。

「先日の陸上自衛隊の降下始めのおめでたい席で、野党の跳ねっ返りが
場を読まず失礼なことをしたようで、わたしからも謝罪させて頂きます」

事情を聴き知っている会場の人々から笑いが漏れましたが、それより、
わたしはその直後に代理人出席議員の紹介で

「小西ひろゆき様代理、なんとか様」

と皆に大注目されながら手を挙げた小西議員の秘書がちょっと気の毒でした(笑)

しかし、降下始めが行われてすぐだったこともあり、現役自衛官と、
ネットをチェックしていた人、出席していた人以外は長島議員のいうところの

「野党の跳ねっ返り」

が誰で、何をやらかしたんだろうと首を傾げていた方も結構いたのです。
その後ご挨拶した人々にわたしは僭越ながら事情を知っているか尋ね、
知らないとおっしゃる方には事の次第を懇切丁寧に教えて差し上げました。

 

小野田議員とお会いするのは何度目かというところですが、
挨拶もそこそこにわたしたちは「女子会トーク」状態。

彼女もこの件はすでにご存知で、

「現場では帰れ!とか怒号がすごかったみたいですよ」

「何考えてるんでしょうね。
小野田さん、いつだったか小西議員に野次飛ばしてませんでした?」

「国民の敵!亡命はいつするんだ〜!ってつい」

キャッキャウフフと話に興じていると(笑)そこにやってきたのが宇都隆史議員。
あけおめのご挨拶を終えた後、

「今降下始めの時の小西議員のあの話をしてたんですよ」

と話を振ると、宇土議員、

「コニタンはね・・・・もう仕方ないですね。
まあ、山◯太◯と同じと思っていればいいというか・・・」

山◯太◯!といえば。

小野田さん、こんな汚らわしいものを見るような目つきで山◯太◯のことを・・・。

わかる。わかるよー。
わたしも練習艦隊の艦上レセプションなどでHSK議員とニアミスした時には
いっつもこんな目で見ていると思う。
もしここにいて山◯太◯の質疑を聞いていたらやっぱりこんな顔になるだろうし。

パヨク連中が顔が怖いのなんのとこの表情を論って非難していたけど、
小野田さんはまだ議員になって日も浅く、他の政治家のように
政治家標準装備のポーカーフェイス、或いは蛙の面に水が身についてないんですよ。

つまり、彼女は一般国民の山◯太◯に対する嫌悪感を代弁してくれているのです。


さて、わたしと小野田議員の話に加わった宇土議員、実は降下始めには
毎年参加しておられ、今回もあの時小西議員の隣に座っていたのだそうです。
そこで、こんな話を聞かせてくださいました。

おそらくこれは、唯一の「壇上から見たあの日の小西」証言となるはずです。
一字一句は正確に再現できないのですが、出来るだけ思い出してみます。

「実は挨拶の席で僕、コニタンの隣に座ってたんですよ。
僕はいつもキミちゃんにもいうんだけど、政治家は個人的な好き嫌いを
外に出してはいけないと思っているので、コニタンに対しても大人の対応だし
普通に会話もするんです。

で、話していると、

『挨拶することになってるんですけど、どんな風にすればいいですか』

と聞いてくるので(!)僕は、

『普通に思ったことをご挨拶にすればいいんじゃないですか』

と言ったわけです。するとコニタン、背広の内ポケットから紙を出して

『そうですね。それでは』

と・・・・」

「で、それがあの自衛官の”反省文”だったわけですか」

先ほど貼り付けたブログから引用させていただくと、

小西議員はマイクを握ると、まず最初に、

「自衛官から罵声を浴びせられた小西です」

と自己紹介。


うーん、ここからの持っていきよう、例えば長島議員式自虐テクで
笑いに乗せて相手の立場を思いやる発言をしていれば、あるいは
汚名返上できたかもしれないのですが、残念ながら小西選手、
ここでそのチャンスを永久に失ってしまいます。

なんだろうな・・・きっと頭が悪いんだと思う(迫真)


さらに小西議員の驚きの発言は続きます。

「それではここで、暴言事件について防衛省が発表した
調査結果を読み上げさせて頂きます」

という趣旨を述べて、ポケットから紙を取り出す。
そして、自衛官の反省文などを朗読し始めます。

とほほ・・・宇土議員の証言によると、寸前まで小西議員、どう挨拶するか、
つまり他の議員先生のように(野田さんとか)場をわきまえた常識的なものか、
爆弾となりかねない事件へのエクスキューズぶちかますか、
ギリギリまで迷っていたようなポーズを取っています。

無難にその場を収めることと、積年の?私憤を晴らすこと、
この二つを天秤にかけた結果、自衛官を前にした千載一遇の機会を得て、
彼は後者の誘惑にどうしても勝てなかったのでしょう。

なんたる執念深さ。

あの自衛官のいわゆる「国民の敵」事件で、その場では

「武士の情け」

という言葉を使ってまで許すと思いきや、次の瞬間(笑)
蒸し返して大ごとにし、防衛大臣の罷免まで要求したんでしたっけ。

パーソナリティ障害、という言葉さえつい浮かんできますね。

小野田議員は

「議員が目の前で帰れとか言われているのを初めてみた」

と言っていましたが、上記ブログの方は、そんな小西議員に対し
拍手を送ったのは自衛官とその家族で、それはむしろ

「自衛官をなくせと言っている人でも救うのが自衛隊」

という彼らの崇高な精神が図らずもあらわになったと考察しておられます。

しかし、わたしはこのブロガーの方のように心が広くないので、

「小西議員のような存在も必要」

とは(もちろん皮肉の類だとは思いますが)死んでも言いません。
わかりやすいヒールとして国民の敵という名のダーツの的となることで、
最近の某国の斜め上のように

「もっと派手にやって無関心な者の目を覚ましてやってくれ」

とは思いますがね。

自国の防衛組織に向かって

「(この法案成立によって)自衛隊員は他国の子供を殺傷する恐怖の使徒になる」

と捨て台詞を吐き、すでに何十年も使われている軍旗を
「大日本帝国の軍旗だから」と否定する議員。
「国民の敵」と防人に面と向かって罵られるような議員。

実は、こんな輩に議席を与えている我々こそが
どんな人間でも国民である限り守る、という彼らの尊い決意に
あまりにも甘え過ぎているのではないでしょうか。

もうそろそろいい加減にした方がいいと思います。

 

 

続く。