ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

伊勢神宮参拝

2019-01-07 | 日本のこと

みなさま、初詣はどちらにお参りされたでしょうか。

年初めには、まずは地域の氏神にお参りし、感謝を述べて
しかるのち伊勢神宮などの有名な神社に行くのがいいとされていますね。

我が家はわたしとTOが靖国神社、息子はこれも恒例の
鎌倉の友人宅で大晦日を過ごすので鶴岡八幡宮といつも通りでしたが、
息子が帰ってきて言うには、

「あんまり人が多すぎて本殿に近づくことすらできなかった」

なんでも途中でこりゃダメだと諦めて、「ヤクザの店」(笑)を
冷やかして歩き、適当に何か買い食いして帰ってきたのだとか。

「じゃあまだ初詣できてないんだ。どうする?」

「どうするって・・・伊勢神宮行くんじゃなかったの」

あーそうでした。
今年三が日を避けて旅行かたがた伊勢神宮に参拝する予定だったんだ。

まずは新幹線で名古屋下車。
なぜここで降りたかというと、元々は愛知県在住の知人と
名古屋駅前のホテルで食事をする約束をしていたからでした。

3年前に新築された後もその名前を踏襲した「大名古屋ビルヂング」。

昔、名古屋には何もない、という世間の評価があり、いかに何もないかが
訪問した人によって面白おかしく語られていた頃(今もそうですか?)

「駅前に『大名古屋ビ・ル・ヂ・ン・グ』だってwww」

とバカにされていたこの名称を、堂々と新型ビルに使っているわけですが、
大名古屋ビルヂング、一周回ってむしろ無茶苦茶センスいいですよね。

実は約束の相手に退っ引きならない所用ができてしまったのですが、
レストランの予約そのものはキャンセルしなかったため、
結局家族三人で食事を食べるために名古屋で降りたというわけです。

名鉄グランドホテルの中華料理のコース、美味しゅうございました。

次の日は早朝から参拝と寝るだけなので、駅前ホテルを取りました。

駅前ホテルといってもそこは志摩ですから、フロントに生簀があって
(ホテルの人によると昔は噴水だったらしい)
そこには明日をも知れぬ命の伊勢海老が食卓に乗る順番を待っています。

テェックインの手続きの間眺めていると、フロントの人が、

「ここに超特大の伊勢海老がいます」

と物陰に隠れていたのを棒で引きずり出して見せてくれました。

「大きくなりすぎてもう絶対に食べられることはありません」

お客の中には、いくら出したら食べさせてくれるんだ、という人もいるそうですが、
この5分の1くらいの伊勢海老で4千円という値段だそうですから、
万が一ホテルが彼を身売りする気になったとしたら何万円という値段になるんだとか。

「こんな大きくなったら美味しくないでしょう」

「伊勢海老は大きくなっても大味になったりしないんです」

それじゃいつか、金に糸目をつけない客によって食べられてしまうのかしら。

翌朝7時。
地元で毎日伊勢参拝をしている「達人」が車で迎えにきました。
まず内宮からまわるため、周辺の駐車場に車を入れることになりましたが、
近くの駐車場はお正月の間は関係車両しか利用できないので、
五ヶ所ある駐車場がことごとく満車となっていました。

深夜から早朝にかけて参拝する人もいるので、車の動きはあります。
20分くらい待ったら中に入ることができました。

停まっている車のナンバーを見てびっくり。
三重ナンバーを筆頭に、近畿圏はもちろん、岡山や九州、
関東だと品川、横浜ナンバーもちらほら。

鶴岡八幡宮の参拝者も例年より多かったようですが、
やはり平成最後のお正月で御代がわりを控えていることが
人々が神社に足を向ける理由となっているのかもしれません。

駐車場から参道に向かう交差点には地下道が設置されていました。
地下道通路には伊勢参りを描いた絵巻や写真などが展示されています。

おかげ横丁の人手がこんなにガラガラなのを初めて見ました。
流石に早朝だけのことはあります。

おかげ横丁の物販店はもちろんですが、銀行や郵便局なども
参道の雰囲気を壊さない造りとなっています。

黒いポストには「書状集箱」、ATMは「現金自動預払」。

赤福の本店には、列を作って赤福を買おうとする人々が。

「でも赤福というかぎりは、京都のお◯べみたいに本家争いとかないですよね?
皆同じ工場で作ってるんですよね」

「何処で買っても同じです」

「でもここに並んで買うんだ・・・・」

ちなみに赤福は新幹線の名古屋駅のホームでも、その日に作られた
新しいものが買えるのですが、やはり本店で買うことで
ありがたみを感じるんでしょうな。

このおかげ横丁の整備は赤福の子会社「伊勢福」が出資し、
運営も全てこの会社が行なっているそうで、整備されたのは平成5年とか。

江戸時代にはお蔭参りが大流行して、庶民の憧れの街だった門前町も
高度成長時代にすっかり寂れてしまったため、赤福は子会社を設立、
江戸風の実在した建物を再現し、街ごと作り変えて現在に至ります。

日本棋院の支部もありました。
将棋では藤井聡太七段(16)の話題が日本中を席巻していますが、
囲碁界にも藤井七段に劣らない“天才少女”が誕生しましたね。

最近の日本には各界にスーパースターが矢継ぎ早に誕生しているといった感があります。

干物屋さんの秋刀魚の丸干しのディスプレイも、
昔のお店を再現したものなのでしょうか。

冷蔵ケースと水槽以外は皆木でできています。

猫さん体のお手入れ中。食事は済んだものと思われ。

この茂みの植え込みには猫が生息していたという覚えがあります。
餌をやるのを禁止するポスターですが、雰囲気からいって
先ほどのトラ猫も、何処かのお店の人が餌をやっているのでは・・・。

おかげ横丁を抜けるとそこは内宮の鳥居となります。
鳥居から五十鈴川を渡る欄干の橋は、真ん中に仕切りを置いて
右側通行となっています。

鳥居をくぐったら真ん中は神様の通り道だから歩くな、
という人もいるようですが、これじゃ歩こうにも物理的に無理。

わたしたちが早朝に来たのは、この日8時から行われる
お神楽を奏上申し上げることにしていたからです。

神楽を奏上する神楽殿はこの御饌殿(みけどの)の向こう。

御饌殿とは、神饌(神様に備える食物、つまり神様のご飯)を
用意するところで、お神楽の申し込みはこの左側の窓口で行います。

神楽は前にも説明したことがありますが、祈祷の後、
我々人間がスポンサーとなって神楽を催し、それをもって
神様に楽しんでいただくという意味を持ちます。

神楽に払うお金にはランクがありますが、大金を叩いてもお志だけでも、
特にお正月期間には同じお神楽を一緒に観ることになります。

何で区別をつけるかというと、まず祈祷の際に神職が名前を呼ぶ順番。
たくさん出した人から順番に名前がコールされます。
そして、特典として、皆が入れない塀の中の神殿近くで参拝することができます。

それだけですが、つまりそれで自分のスポンサーとしての神様への
貢献度が高いと、それだけ神様が喜んでくださるということなのです。

 

申し込みが済むと、神楽殿の右手の待合所から靴を脱いで入場。
中は大変広いですが、床暖房が施してありました。
(靖國神社も2年くらい前から床暖を入れるようになって随分楽になりました)

とはいえ畳に座るという観覧方法は変わらないので、正座の苦手なわたしは
周りの男性のようにあぐらをかく訳にもいかず、祈祷以外の時には
横座りして耐えました。

全員が揃うとお祓いを受け、神職が「スポンサー」の名前を読み上げます。
TOがいくら奉納したのかは聞きませんでしたが、名前が呼ばれたのは
最初から2番目だったので、おそらく奮発したのでしょう。

ひっつめで額を露わにし、髪を熨斗のような紙で巻いた巫女が六人、
笙や琴などの雅楽を奏する人たちが四人、
巫女たちはお供え物を受け渡し、正面に捧げるなどを、驚くほど
素早い動きで執り行い、それを見ているだけでちょっとしたアトラクションです。

巫女たちは中学生くらいに見えましたが、長い裾を踏まずに歩く
独特の足の運びといい、躊躇いのない舞のような動きといい、
相当修行を積んでいるとお見受けしました。

何より彼女らを見ていて、昔、人に頼まれて、ホテルの結婚式場で
巫女のアルバイトをしたのを思い出したのですが、改めて、
こんなインチキ巫女のお仕えで祝言をあげた方々には申し訳なかったと反省しました。

【伊勢神宮】神宮のご祈祷 御神楽 ISE-JINGU

この動画はわたしたちのお神楽と全く同じ内容となっています。
最後の蘭陵王という赤い着物で狐面の舞は、「唐舞」というのだそうです。

伊勢神宮に高々と伸びる木々は、それこそ長い長い時を経て、
どれも神木というくらい神々しく天に向かっています。

太い木の幹に参拝者が群がって触りまくっている光景を目にしましたが、
伊勢神宮の達人によると、

「なんの意味もないのでやらないほうが良いです」

とのことでした。

伊勢参りは広大な伊勢神宮に在わす神様の社を次々とめぐって
お参りをするという、言うなれば江戸時代の一大アミューズメントパーク。
お神楽を上げて一つ一つお参りをしていったら、午前中いっぱいかかります。

お神楽をあげるといただける袋の中には「黄色いチケット」が入っていて、
このチケットがあると、正宮である皇大神宮の塀の中に、
神職に連れられて入りそこで参拝することができます。

わたしたちは同時に来られた男女二人と合計四人で、
(息子はネクタイをしていなかったのでアウト)玉砂利を踏んで中に入り、
緊張しながら二礼二拍手一礼を行いました。

社殿の横にはこのような空き地と小さな小屋のようなものは、
現在の社殿に遷宮される前に社殿のあった場所で、遷宮して6ヶ月だけは
古殿地と呼ばれ、その後は「新御敷地」(しんみしきち)となります。

つまり、「次に社殿が立つ予定の御敷地」となるのです。

小屋のあるのは以前御正殿があった場所で、中には太さ30cmの
「御柱」と呼ばれる「御木」が埋まっているのだとか・・。

こちらが現在の「御正殿」で、「御敷地」には注連縄がされ、
もちろん立ち入ることはまかりなりません。

五十鈴川の近くにある瀧祭神(たきまつりのかみ)は、
伊勢神宮の達人曰く「大変強い」神様で、上空には
龍が舞っているということですが、そのお参りを終えると、
五十鈴川の御手洗場まで、この人通りの少ない道を歩いて行くことになります。

御手洗場にはどういうわけかお金がたくさん落ちていましたが、
達人に言わせるとこれもあまり意味がない、とのこと。
手を清めるところにお金を投げるというのもなんだかね、ってことです。

お金を投げ入れるともう一度帰ってこれるトレビの泉と一緒にしてないか?

わたしたちが出口に向かう頃、向こうからはものすごい数の参拝客が。

「これでも三が日よりはだいぶ少ない方です」

もう一度五十鈴川にかかる欄干の橋を通ると日の丸が見えます。

ところで、わたしたちが参拝した前日は政治家が参拝したそうです。

「午前と午後で自民と野党は別々に参拝するんです」

「野党・・・まさか共産党は来ませんよね」

「共産党は来たことないですねー」

野党が与党とは別に(公明党もこないらしい)伊勢参拝するのは
恒例の行事となっていて、ずっと行われていることなのですが、なぜか
パヨク連中が激怒し(笑)猛抗議するという騒ぎになっていました。

「ドン引きしました」

「もうパートナーズやめます」

「まさかどういう神社か知らないわけじゃないですよね」

「伊勢神宮なんかに行かず辺野古に行くべき」

「これ、靖国神社に参拝する会と同じ構図ですよ」

「まさか賽銭とか投げて日本会議の資金源に協力してないだろうな」

「右派支持者取り込み作戦なら、ここだけでなく
キリスト教会や寺院にもいかないと支持者のバランスが
取れないし、一宗教団体との密着関係を疑われる」

阿呆なのかこいつらは。(ペッ)

いやーしかし、近所の神社に参拝したことをツィートして
皆に突っ込まれた小池晃といい、民進党の皆さんといい、
変な主張の人たちに支持されないと政治家でいられない人たちって
ほんと大変そうで心から同情します(思いっきり棒)

おかげ横丁は先ほどと同じ場所とは思えないほどの人出でした。

朝見た猫さんは屋根の上に避難してお昼寝。

屋根瓦にお猿さんがいる店もあります。

百田尚樹氏の「日本国記」にも書かれていましたね。
自分が行けないご主人が飼い犬にお蔭参りをさせた話。

お伊勢参りをする犬を「おかげ犬」というのを初めて知りました。
ここではこんな可愛い「おかげ犬サブレ」を売っています。

お土産に買い、我が家用にも一つ買って食べてみましたが
土産菓子にしては出来過ぎというくらい美味しいお菓子でした。

注連縄つけた犬が可愛い!

箱の赤い鳥居のマークには、おかげ犬が
後ろ向きに、つまり鳥居をくぐる様子が描かれています。

おかげ犬・・・お伊勢参りする人々が、ちゃんと本殿まで連れて行って
お札を買ったりして世話してあげたってことなんですよね・・・。

ちなみに現在では犬は散歩はもちろん、中に入ることもできません。

この後は猿田彦神社に参拝。

「さるめ神社」は芸能の神様だそうです。
奉納されたのぼりには「南海キャンディーズ」からのものがありました。

外宮に向かう道で見つけたマンホールの蓋。

休憩中の巫女さんが携帯を熱心に見ているという、今ならではの図。

駐車場から出たところに、社殿を作るためのヒノキを浮かべている池があります。

伊勢神宮では、1300年のあいだ、20年に一度、社殿や神宝類、
ご装束類のすべてを一新する式年遷宮がおこなわれています。
この20年の繰り返しによって技術や匠の技が脈々と伝えつづけられています。

20年毎に遷宮しつづけるという仕組みは、日本でも他に例がなく、
この周期は、最初に遷宮を始めた天武天皇が定めたそうです。

遷宮に必要な木材の準備には4年をかけます。
伐採後2年間貯木池に沈める「水中乾燥」を行い余分な油を抜くのですが、
今その作業をここで行なっているというわけです。

ちなみに木材はその後1年間、野ざらしにし、自然条件に木を慣らして
そして1年間で製材をし、和紙をかけて遷宮の時を待つのです。

さて、わたしたちはこの後、知人の運転する車で
今回の旅行のもう一つの目的地である志摩に向かいました。

英虞湾を臨む温泉リゾート、アマネムに一泊するためです。

 

 

続く。