ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

台湾の「おしんちゃん」

2012-01-07 | つれづれなるままに

台湾の記事にコメントを下さった「はんきち」さんのブログにお邪魔してみたら、
台北で王貞治さんの知り合いに連れて行ってもらった王さんもお気に入りの
ディン・タイ・フォン(鼎康豊)のことが書かれていました。
はんきちさんとは台湾、入れ違いくらいの感じだったんですね。

ブログの写真で見ると、ちゃんとお店のサインに日本語でディンタイフォンって書いてあります。
あまりに違和感が無いので気づきませんでした。

 

鼎康豊のウェイトレスが皆日本語がしゃべれて、しかも一生懸命働いていると一度書きましたが、
どこの国に限らず若い女の子が笑みを絶やさず、こまねずみのように働いている様子は、
実に見ていてこころ楽しくなる光景です。


今はだいぶ変わっているかもしれませんが、ひと昔前の中国では、
上海などの都会でもまだ共産主義の名残りがあって、とにかく従業員の態度が悪すぎ。
フロアーで従業員同士、大声で会話は当たり前、声をかけると面倒くさそうに来て、
今までの笑いが嘘だったように仏頂面でオーダーを取り「それはできない」というのも、
つっけんどんな「メイヨー」一言。
これをわたしは「いわゆるひとつのメイヨー攻撃」と呼んでいましたが、
同じ中華民族でもここ台湾で「メイヨー」を一度も聞いたことがありませんでした。

(いや、一度だけ、故宮博物館の手荷物預かり所で傘を預けようとしたら
「チーバーサンメイヨー」傘は預かれませんと言われているのは分かったけど、
サン(傘)はともかくチーバーはわからず)

  

台湾で商売をしている方が

「なんかね、台湾のお店(殿方の行かれるようなところ含む)に行くでしょう。
みんな一生懸命日本語喋るんですよ。で、健気なんですよ。
まるで心が洗われるような気がするんです」


なんておっしゃっているのを聞いて、
「なんだって日本の男は拙い日本語をしゃべる女に弱いのか」などと、
「アグネス論争」のとき、なぜか感情的にアグネス側につくマスコミ男性陣を糾弾していた、
林真理子の論陣を思い出しました。

言っては何だけど、自分の国の言葉を一生懸命喋ろうとしてくれる女性に対して、
「自国ではただの男」である日本人が感じる先進国民の優越的な庇護意識ってもんではないのか?
などとやや、いやかなり否定的な見かたをしていたわけ。
一時韓国におじさんたちが鼻の下を伸ばして行っていたころ、おじさんにとって彼女らキーセンは、
片言の日本語で一生懸命お世辞を言ってくれ、ひたすら尽くしてくれる(ような気がする)、
金銭が介在するにもかかわらず「胸キュン」なお付き合いができる「仮想恋人」だったそうです。

15年も前になりますが、上海で上海雑技団を観に行ったときも、こんなカップルを見ました。
日本人男性・・・・小太り、禿気味、全然イケメンとは逆方向のただのおじさん
中国人女性・・・・おじさんよりは若いけど20代後半、きれいではないが不細工でもない

女性は地味な土色の洋服の中国人の中で、中国人すら着ない、真っ白の、
しかしペラペラの化繊のチャイナ服を着て、ただその格好の特異さだけで人目を引いていました。
中国に工場でも持ったのかもしれないおじさんは、月せいぜい一万円くらいのお小遣いで
「現地妻」を囲える身分になってご満悦の様子。
そして、傍で見ていて気の毒になるくらい甲斐がいしくおじさんの世話を焼く女性。
アイスクリームを買ってきたり、うちわであおいだり。
アイスクリームの塊りを安物チャイナ服にべっとりこぼしてしまっても、気にする風もなく、
むしろおじさんの背広を拭いてあげる始末。
まだ中国人の観光客を日本で見ることがなく、
中国で繁華街を歩くと気が付いたら後ろに何人か中国人がついてきて、
服装や持ち物をガン見されていたころです。

女性がハンドバッグのつもりで持っているのが日本の「サンアイ」ショップの紙袋で、
それがくしゃくしゃになっているのが、また何とも言えない哀しい眺めでした。

 


さて、ここ日月譚のザ・ラルーというホテルで、そのきめ細やかな、しかしマニュアルではない
暖かみのあるホスピタリティに、すっかり台湾のファンになってしまった我が家の面々ですが、
先日「閉店後なのでもうオーダーできない」と言われ、外の椅子に座って星を観ていたら、
お店の女の子がお菓子とお茶を持ってきてくれ、いたく感動したTOはその筆頭でした。

「少し日本語教えてあげたんだけど、なんかもう、すごーくかわいいの。
いまどきこんなコが日本にいるかなあ、ってくらい純朴で『おしん』みたいなの」

「ふーん」

片言日本語で一生懸命喋る女の子に、こやつも他愛もなく感動してしまっておるわい。

わたしもここにきて台湾の女の子って可愛いわねえ、とは思っていましたが、
ここまで感動するのも男だからかしら、などと思いながら話を聞き流しておりました。

ところがホテル滞在最後の夜。

息子がルームサービスにある「パイナップル入り酢豚」を食べたいというので、 
日本語の上手い陳さんに案内してもらってホテル内の中国料理を食べに行きました。
しかし、マネージャーは「あれはルームサービスキッチンで作っている北京料理。
ここは上海料理なので、作れと言われれば作るがきっとがっかりさせる」
といってオーダーを受けてくれません。
「これがお薦めあるよ」と強く勧められたのは自慢のトンポーロー。


 
念のために?故宮博物館の「肉形石」を並べてみました。
左上のパンに、肉を挟んで「トンポーローバーガー」にしていただきます。
端っこの見えているのがエリンギの紅茶炒め。

これらのお皿に舌鼓を打っていると、冒頭の二人組がレストランに現れました。
左が件の「おしんちゃん」ことアイリスちゃん、右がアンバーさん。
二人は仲良しなのですが、おしんちゃんが
「大学時代日本語を一年半も習ったのに、真面目にやっていなかったから今大変」で英語も苦手
(でも履歴書に日本語ができると書いたので採用された)
というのに対し、アンバーはゲストリレーションで働いているくらい英語が達者。

おしんちゃんは、アンバーちゃんをどうやら日本語が通じないときの英語通訳で連れてきた模様。
カンニングペーパーを見ながら彼女が一生懸命伝えるところによると、
仕事をしてお礼をもらうなんてとても嬉しかった、ということだったのですが、またその言い方が可愛い。
「わたしはだいすきです~」

よっぽど嬉しかったらしく、TOのあげた金平糖のお礼に、地元の紅茶と、ホテルで売っている
「パイナップル味のナツメ」を、わざわざ買って持ってきてくれたのでした。
連絡先を、という彼女にTOが「フロントデスクに僕の名刺を名刺を預けておくよ」というと
「フロントデスク~よくない~」

私が横から
「フロントはどこでもホテルのエリート集団だからいろいろ従業員の言動にはうるさいのよきっと」
と察して、翌朝、アンバーねえさんに名刺を預けることでその夜は別れました。

チェックアウトしてから、アンバーさんを探していると、なぜかおしんちゃん、早く来ていて、
わたしたちをみると、遠くからまるで子犬がころがるように走ってきました。
・・・・か、かわいい。
なぜか思わず抱き合うわたしとおしんちゃん。

うちのTOは学校の先生なのですが、その名刺を見たアンバー、大喜び。なぜなら、
「わたしは日本に旅行に行ったときに、わざわざこの学校を見に行った」そうで、
私達に見せるためにスクールマークの入った名刺入れもわざわざ持ってきていました。
「今度日本に来たら学校の中も案内するよ。二人でおいでよ」
大好き攻撃に加え、憧れの学校の先生であったことで、さらに尊敬のまなざしで見られ、
いよいよ目尻の下がるTO。

二人と別れ、ホテルを後にする車の中の会話。
「TOがメロメロになるのわかる。かわいいよねえ」
「でしょう?たとえばもし日本に遊びに来るのならいろいろしてあげたくなるよね」


帰りの飛行機には、友だち同志らしい二人連れの台湾の女の子が何組もいました。
ウィンズの橘くんの写真を見せてくれたティーハウスの女の子のように、
お気に入りの日本のスターのコンサートにくるのか、原宿でお買いものするのか。
そうかと思えば斜め前の、お洒落なネイルアートをした女の子は、
英語の電子工学のテキストを、何枚も附箋を付けながらずっと読んでいました。


この旅行のいろんなところで目にしたり触れあった台湾ガールズのひたむきな可愛さが、
わたしたちをより一層この国のファンにしてしまったような気がします。

そうそう、「二人の写真を撮らせて」というと「えええ~」と二人は照れることしきり。
アンバーさんは眼鏡をはずして前髪を整え、おしんちゃんは背伸びをしていました。
思わず「若い子はいいのう」とおじさんのようににやにやしてしまったわたしでした。



                    


ディスプレイ購入した

2012-01-06 | つれづれなるままに

つまりテレビを買ったのね、などとおっしゃらないでいただきたい。
テレビは観ない、買わない、払わない(NHKに)という家訓を守りつつ今日まで来たのには
理由があります。
しかし、どうせあっても観ないとか、テレビ局の作るものがいろんな意味で酷すぎるとか、
特にメディアそのものについての文句は今日はさておき。

テレビのケーブルさえ繋がなければテレビを目にする必要も無いので、DVDを観るためだけに
大きな画面があってもいいとは思っていたにもかかわらず、昔、テレビというものが箱型であったときは

何故テレビを家に置かないか。
答え:インテリア的に許せない


であったのですが、待てば海路の日和あり、壁にかけられるタイプが出てきました。
でも、
それでも何故買わなかったか
答え:もっと待てばもっと薄いのが出てくると思っていた


ここで余談。
先のクリスマス、息子は相変わらず「サンタクロースに頼むものが見つからない」と
直前まで言い続けながら、24日になって
「ねえ、サンタに頼むもの、今から言っても間に合う?」とふざけたことをぬかすので、
「間に合うか―いっ!」
と一蹴してやりました。
去年の今頃、「サンタクロースの仮眠室」という当ブログ内記事で、
宅の愚息(11歳)はいまだにサンタクロースの存在を信じている、という話を書きましたが、
今年現在、サンタ実在に対するかれの確信はいささかも揺らいでいません。

息子は
「友だちの誰それくんはサンタクロースは両親だっていうんだけど、
俺は、俺だけは、サンタの存在を信じているんだぜ!」
と熱く語っていましたので、親としても、

「サンタはリストをもとに配達してるんだから、一旦プレゼントリストから外されたら、
来年から卒業したとみなされて来てくれなくなるらしいよ。
だから何でもいいから早く頼んでおかないと」
(意味:親の買い物の都合もあるから早く欲しいものを言え)

などと、もっともらしいことを吹き込みつつ何が欲しいか聞きだしてきたのですが、
案の定言いだしたのが当日。

「エックスボックス欲しいんだけど」
「サンタクロースは24日の深夜0時をもちましてプレゼント受け付けは締め切りました。
また来年のご利用をお願いします」
「じゃ、パパとママからのプレゼントってことでもいいや」
「でもいいとは何だっ!ちゃんとお願いしなさい!」

まあ、結局同じことなんですけどね。

本人にインターネットでXBOXがMacでできるかを調べさせたところ、できるということだったので、
TOと一緒に買いに行ったのはいいのですが、これも案の定というか何と言うか、
その後やっぱりつなげないようだ、と言いだしました。
そして、ディスプレイがどちらにしても必要だというんですね。

XBox買ってきてしまってから。


今日まで買わずに操を(何に?)守り通したこのわたしにディスプレイを買えと申すか。
しかし、ものごとには何かと縁というか、潮時というか、そういったタイミングがあるのですね。

それを感じたのは24日の晩。
仕方なく電気店に駆け込んだら、液晶ディスプレイの世界が凄いことになっていたのです。
皆さまは地デジ切り替えのときにすでにご存じの情報だと思いますが、なんといっても

安い!
(2~3万円から買える)薄い!(画像の通り)軽い!(同じ大きさの額より軽い)

わたしは高田社長か。
2万円台の商品にも驚きましたが、国粋主義の我が家としては、
画像のシャープ・アクオス、亀山ブランドの40型をチョイス。
しかも、当日7時までに購入すれば(6時半だった)次の日配送してくれます。すごい国だこと。

そして、次の日、二人で設置に来てくれたのですが、しばし「あれ?」「あれ?」みたいな
はてなマークの会話をふたりでぼそぼそ。そののち、
「あの~、テレビのケーブル差し込み口って、どこですか?」
「ああ、言うの忘れてた。うち、テレビ観ないので繋がなくていいんです。
ゲームのモニターとしてだけ使うので」
「はあ~・・・そうでしたか」

よっぽど特殊な客だったんでしょうか。かなりびっくりされました。
画像でもお分かりのように、お見苦しい配線コードは全て暖炉の後ろに隠れてしまい、
使っていないときは時計モードにしておけばインテリア的にもおk。

そして、何と!
知っていればもっと最初から全面的に賛成していたと思うのですが、
しかも欲しがった本人も知らなかったのだそうですが、XBOX、ただのゲーム機と思っていたら
DVDと、youtubeが見られるということが判明。
さっそく「The Earth」などを大画面で観て「いや買ってよかった」と手のひらを返す母親。


さあ、そこで当面の課題は「次回NHKの料金聴取係員が来たときどうするか」なんですが、
皆さん、ご存知でしたか?
「受信機器を持っていたら払わなくてはいけない」とだけ係員は言うらしいですが、放送法には

「受信が可能な設備が無い場合は払わなくてもよい」


とちゃんと明記されているのだそうですよ。

今までは
「うち、テレビ無いんです。見に来られます?」と言ったらおとなしく帰っていったのですが、
これからは、

「もし我が家に一歩でも踏み込んでテレビのケーブルを見つけだすことができたら
そのときは料金を取るがよい。
しかし見つけられなかったときは・・・・・、どうなるかわかるな?」
とか言っちゃうもんね。


ところで、ディスプレイでさっそく「戦艦大和」(藤田進の出ているやつ)を観て、
やっぱり大画面で観る映画はいいのう、と嬉しくなったわたしですが、
(なぜわざわざ白黒のその映画なのかについては突っ込まないでいただきたい)
一つ問題が。

息子がゲームをしている間ずっと聞こえる銃声。
イライライライラ・・・・ぷちっ*
「なんなの~そのゲームはぁー! ずっと銃声ばかりじゃないの!」
「ママの観てる映画もしょっちゅうこんな音してるじゃない」

ママは銃声が好きで観てるわけじゃないです。

というわけで、息子はゲームの時間をいままでよりかなり厳しく制限される結果になりました。
彼にとってはこのプレゼント良かったのかどうなんだか。




涵碧樓THE LALUに見る台湾の洗練

2012-01-05 | つれづれなるままに

ザ・ラルー宿泊も後半に入りました。
台湾に年末到着してから、ずっとお天気がぐずつき気味だったのですが、今朝は晴天です。
台湾は日本より勿論気温は高いのですが、日月譚は高地でもあるため、日向は暑く、
日陰はひんやりと肌寒さを感じる程度。
陽が沈むとさすがに寒いし、部屋の中では暖炉の火が嬉しいといった感じです。
レイク・ビューの部屋から、今日はヴィラに部屋を移動しました。
冒頭の丸いドアは、庭つきプール付きパティオ付きのこのヴィラの入口。
 

寝室とバスから臨む、外で打たせ水を(何のために?)する為のシャワーのある中庭もあります。
 
我が家の旅行は基本、どこの国に行ってもあまり観光に駆けまわることをしないので、
このような居心地の良い空間でのんびり本を読んだり、スパに行ったり、美味しいものを食べたり。
せっかく部屋に離れがついているので、ランチはここにセットしてもらいました。
 

この日、ランチにピザ、クラブハウスサンド、コルマカレー、サラダなどを注文しましたが、
台湾に来て感心するのは、何を食べてもおいしいこと。
中国本土では、中華料理は何を食べても当然のように美味しかったのですが、
パンとかケーキの中国以外のものが、みんなハズレでした。
しかし、少なくとも今回の旅行では何を食べても日本レベル、いや、日本以上。


わたしは、パリで早朝できたてのクロワッサンのために、数ブロック歩いてパン屋に突撃した、
筋金入りのクロワッサン・マニアですが、あまりにも点が辛すぎて、
日本国内では一度も、合格点を出したことがありません。

メゾン・カイザー?エシレ?ロビュション?ちっちっち。

フォーシーズンズであろうが、リッツであろうが、バターと小麦の絶妙な分量は、
とてもパリのクロワッサンに及ぶものではない、というのが結論です。

しかし、ここ、ザ・ラルーのクロワッサンには、そして、パイには、普通の食事パンにすら、
負けました。
この写真のクロワッサンの形、ただものでないオーラ、お分かりですか?
朝のビュッフェに並んでいるペストリーなど、甘いだけで、表面のつや出しがベトっとして、
朝からわざわざ食べる価値など全く認めてこなかったのですが、
クロワッサンがあまりにも美味しいのでもしかしたらこれは・・・、といただいてみれば。
完敗です。

「これは絶対フランス本国のブーランジェリーが指導してるね」
「ピザもやたら美味いし、西洋料理の味も洗練されてるし」
「全てにおいてセンスがただものでないっていうか」
「うーむ、台湾侮れんな」
「ていうか、もしかしたら日本よりずっとイケてる部分があるかもしれない」



このホテルは、湖の臨めるところに普通のランクの客室を配しているのですが、
このヴィラは全く湖の見えない、本来高く売れないような屋上を使って、専用プール、専用庭、
という「特別な空間」を演出し、スイートとして売っているのです。

こういう「知恵の利く」感じが表れているのが、部屋に供えられたディレクトリー。

分かりにくいですが、部屋にある備品の全てに値段がつけられているのです。
日本のホテルは性善説の上に立って経営されています。
今まではそれでもよかったのですが、特に最近近隣諸国の観光客が来ると、
必ず何か持って帰ってはいけないもの(ドライヤーとか、ガウンとか)を持ち帰られるので、
最近はフロントで足止めしている間に部屋をチェックさせるそうです。

しかし、この方法ならば。
何が無くなっていても、後からでも、
「ちゃんと値段を表示したものをお持ち帰りになったのですから、チャージさせていただきます」
ということが可能なんですね。
しかも、これだと客を疑っているようにも見えません。
「全ての備品は販売しております」
バスローブはもちろん、ランドリーバッグ、花瓶、ドアに掛けるドンディスカードまで。
これって、コロンブスの卵って言うか、頭いい方法ですよね。
某国の団体を宿泊させるときはわざわざ廃棄寸前のタオルを入れておく、
という話をホテル関係者から聞いたことがありますが、こちらの方法の方がいいのでは・・。



七言絶句のかかれたのは大きな煙突のようなもので、前にいる男性の右に暖炉があります。
昨日の夜、TOが一人でこの、バーの横にあるテラスの暖炉横で星を見ていたそうです。
バーは店じまいしたあとなのに、従業員がそっとお菓子とお茶を置いていったのだとか。

京都の枯山水を何時間も眺めていたドナルド・キーンの若き日の話のようです。
キーン氏の横にも、いつの間にか横にお茶が置かれていたのでしたっけ。


これに感激したTOが、何かの時のために持参した京都の金平糖をお礼に持っていくと、
非常に恐縮しつつ、嬉しそうに受け取ってくれたということです。
ホテルはあくまでも都会的で洗練されたサービスなのですが、決してマニュアルではない
暖かいもてなしを一人一人が精いっぱいしてくれる、という印象です。
チップ社会であるアメリカでは当たり前のことですが、ここではチップはありません。

「日本に来た外国人の気持ちもこんなのかもしれないね。
チップもとらないのにこんな一生懸命サービスしてくれる、って」

どんな国か、ではなく、出会った一人一人がどんな人々だったかによって、
その国を好きになり、また訪れたいと思うかどうかが決まるのだとあらためて思いました。

台湾、また来たいです。




「涵碧樓THE LALU」台湾人と教育勅語

2012-01-04 | つれづれなるままに

台北から車で二時間。
ちょうど台湾の島のど真ん中、おへそのような位置に、日月譚という湖があります。
今回、元旦明けからこのリゾート地にある「ザ・ラルー」に滞在しました。
洗練されたインテリアとサービスで日本人に大人気の高級ホテルです。

日月譚という湖そのものが、日本という国に大いに関係があります。
昔、日本統治時代までは、このあたりは現住のサオ族だけがひっそりと住む秘境でした。

 

鳥居博士の研究からはじまり、もともと黒い部分だけだった湖を斜線の部分まで広げ、
水力発電のダムを当時の統治政府が建設しました。
黒い部分だけ見ると、日月譚という名前の由来である
「日の部分」「月の部分」が今よりはっきりしているのが判りますね。

ザ・ラルーの場所にあった涵碧樓 は、統治時代の日本人高官の保養所として人気でした。
中華民国建国後、ここは蒋介石の避暑用別荘として使われていたそうです。
 
吉田茂元首相や、当時の皇太子殿下も訪れた模様。
ホテル敷地内には当時の建物が保存され、記念館として残されており、
蒋介石の使用した家具や、このような歴史を学ぶ資料を見学することができます。
 

本物の火の燃える暖炉がついた部屋は、アジアン・モダン。
 

この前日、31日、6割の宿泊客が日本人だったそうです。
TOは一人で行ったバーのウェイトレスに筆談で日本語の教授をしてあげたのですが、彼女に
「何故日本人はここが好きですか?」とマジで聞かれたそうです。
ビーチリゾートのように西洋人、特にアメリカ人はめったに来ない観光地で、
本土から来た中国人、台湾人、そして日本人というのが客層の全てのようです。

着いてすぐ、お昼を食べそこねたので、水上茶屋のようなところで軽く飲茶をいただきました。

 

池に鯉がいたので「餌やりたいんだけど」と言ってみると、
売ってくれたお洒落な鯉の餌、50円。

 

左は餌を投げたとたんピラニア化する鯉の皆さん。
右は頭に日の丸を付けた、小ぶりな鯉。「日本くん」と名前をつけました。
日本人のよしみ、日本くんの前に餌を投げて食べやすいように贔屓してあげたのですが、
日本くん、大国主義の弱肉強食な皆さんが水面から身体を乗り出して餌をむさぼり食い出すと、
下の方にすーっと沈んでしまい、他魚を押しのけてまで食べようとしません。

「あーもー、何で食べないの日本くん!」
「そんなんじゃこの世界で生きていけないよ~!」


日本くんには全く余計なお世話な檄を飛ばすお節介な日本人観光客。
昨今の草食系日本男子のように生存意欲に欠ける日本くんです。
鯉にも性格があるんでしょうが、そのせいで日本くん、他の鯉より小柄でした。
それでも鯉は鯉。(←これが言ってみたかっただけで深い意味は無し)

夜は和食のお店に鉄板焼きを食べに行きました。   

日本の鉄板焼き屋のように、客の前に料理人が現れ、挨拶の後会話の一つもしながら、
ずっと最後まで焼きつづけたり、ましてやベニハナのように包丁をジャグリングしたり、
玉ねぎの富士山に火を付けて煙を出させて見たり(本当にするんです)はしません。
眼の前で焼いているのに、焼きあげたらウェイトレスに運ばせるのが中華式。
 
料理人の口元をご覧ください。
顎のところで軽く支えられた透明のプラスチック製唾液飛散防止マスク。
ここは調理人が全員これを着用して料理しています。
潔癖症の多い日本でもこれは見たことがありませんが、顔を隠してしまうこともなく、
着用している人の不快感も(多分)なく、そのうち日本に上陸するかもしれませんね。

ここの板長さんは台湾人で、和食を横浜で修業した人です。
挨拶に出てきて日本の想い出を語ってくれたのですが、そのうちかれが今チンタオ(中国の)
のホテルに板長として呼ばれているのだが、という話になりました。

「でもねえ、ワタシの友だち、何人か行って、みなやめて帰ってきた。
みな、合わない、っていうんです。中国人と。
言葉は通じますが、何と言うか・・・、違うんですよ。人を信じるとか、そういうことが」


うーむ、中国4千年の血で血を争う王朝の興亡を繰り返し、
自分以外は誰も信じないというメンタリティがDNAにすでに組み込まれている大陸の中国人は、
「騙されるものが馬鹿」「人を蹴落としてでも自分は生き残る」といった、
徹底的な利己主義がその性格の特徴を形作っているとよく言われますが、
同じ中国人でも民主化された台湾と大陸もすでに相容れないものがあるのでしょうか。

「それは、裏切るのが平気、とか、自分のことしか考えない人間が多い、とか?」
「そうです」
思いきって言って見ました。

「もしかしたら、そのあたりは日本人と台湾人の方が近いのかもしれませんね」
「そうそう。わたしそう思います」


その昔、台湾の人々も、日本に統治されているということは民族の誇りからいっても、
心から歓迎するべきことではなかったはずです。
一部、統治に反対する一派もあり、当然ながら抵抗運動もありましたし、
一般においても彼らが日本人と全く同じ扱いを受けたかというと、決してそうではありませんでした。
したがって被差別意識も色濃くありました。

ですから、戦後、蒋介石の中華民国建国の際、人々は独立の喜びに熱狂しました。
しかし、ほどなくこんなことがささやかれ始めます。
「アメリカは、日本には原爆を落としたが、台湾には蒋介石という爆弾を落として行った」

戦後の政府があまりに酷かったので、人々は「日本の方がずっとましじゃないか」と、
統治時代を懐かしみだしたのでした。
それを親日と言っていいのかどうか、あくまでも比較の問題なのでためらわれるところですが、
少なくとも台湾の人々は日本のしたことを良い点も悪い点も公平に受け止めるだけの、
冷静さと度量があったということなのでしょうか。
 
今滞在している日月譚を作ったのは、実は日本であったわけですが、
この話はちゃんと調べれば(ホテルの資料館にももちろん)詳しく史実として残されており、
同じ被統治国でも「日帝時代の残渣」を全て隠匿するだけでなく、
あたかも民族抹殺があったかのような史実改ざんをする朝鮮のようなヒステリックな歴史観は、
台湾においては全くありません。

ただ、台湾も一筋縄ではいかない「流れ」があるようで、「日本が日月譚を作った」とは、
この日月譚を説明するとき一般向けのパンフレットには明記されていない、というのも現実です。
しかも、日本語のパンフレットにもダム、鉄道、駅を作ったのは日本であると書きながらも
「日本の暴力的な統治に耐えきれず原住民は日本人を殺すなどの抵抗があり」
などと、抗日記念碑を観光案内しているのです。

「日本人が何故たくさんくるかって?それは日本が統治時代ここをつくったからじゃないの?」
と、ホテルのお嬢さんにそれを聞かれたTOに逆に聞いてみると、
「そんなことみんな知って来るかなあ?」
「まあ、知るわけないか。台湾人は知ってるのかな」
「それはみな知ってるでしょ。日本の作ったもの壊さないでみんな保存してる国だから」


統治時代、日本政府は最高学府の台北帝国大学を始め、学校を作り、
子供に「教育勅語」を日本語で暗唱させました。
台湾の老人には、いまだに教育勅語を全部そらんじて言える人がいるそうです。
「父母に孝行し兄弟仲良く、夫婦仲睦まじく」
「友人とは信じあい、行動を慎み深く、他人に博愛の手を差し伸べ」・・・

こういった精神的な訓育が、もしかしたら「中国人より日本人に近い」と言うべき台湾人の
メンタリティの一部になってはいないかと、日本人としては思ってみたりもするのですが。






2011年最後の日・台湾

2012-01-03 | つれづれなるままに

    
台湾で美味しいトンポーロー(豚肉角煮)でも食べたのか?って?
この角煮の話は後でするとして。
2011年最後の日、あなたはどのような一日をお過ごしでしたか?

ヘタしたらホテルでずっとうだうだして一日を終わってしまいかねない観光意欲のない我々、
しかしまあ一日くらいはちゃんと名所というところに行こうではないか、ということで、
この日は故宮博物館に行ってきました。

 
孫文先生の像がポインセチアに飾られている・・・。
日本と違ってここではお正月は1月1日ではないので、街の飾りつけはまだクリスマス仕様。
この故宮博物館というもの、実は天安門みたいな、建物を観るものだと思っていたのですが、
実は中華民国の国家の威信をかけ巨額の国費を投入し、最新設備を備えた近代的博物館。
条約締結の調印書や、歴史的文書に始まり、古代からの様々な国宝を一堂に集めてあり、
丁寧に見学すれば一日では足りないのではないかと思われます。

冒頭の豚の角煮は、この博物館の目玉、肉に見える「石」なのです。
天然の石を肉に見たて、皮の表面に細かく細工を施し、そっくりに造り上げた職人の匠の技。


もう一つの目玉はこの「天然のヒスイの色の違いを利用した白菜」。
バッタとイナゴがとまっていて、肉の石と並んで人気の展示。
これを観るのには少し列を作って並ばなくてはいけませんでした。
この白菜、売店には「白菜くん」キャラでぬいぐるみもできているんですよ。
 
お土産に買った「有名皇帝の4種類チョコレート」とペンダント。
唐の高祖と元のジンギスカンしか覚えていません。
本当、学校で習うことって、ほとんどが忘却の彼方なんですよね。
ペンダントは、おそらく展示品の何かのモチーフなんだと思います(が全く覚えていない)。
こちらも忘却の彼方。

さて、博物館を出てタクシーを拾おうと門に向かうとそこでこんな人たちを発見。

法輪功の信者たちです。
法輪功は単なる気功団体だったのですが、爆発的に人数が増えたため、
江沢民の共産党政府が第二の天安門を怖れ弾圧を繰り返しました。
理由も無く捕えられ、拷問の末臓器を抜き取られたり、人体の不思議展に死体を売られたり、
(不思議展の展示体には明らかに生きているうちに加工されている例もあるのだとか)
といった弾圧が学習者に加えられていると言われています。
それを公開で政府に抗議した弁護士は行方不明。

この学習者たちの並んでいるところの反対側には、弾圧をパネルで訴える展示と、
署名運動をしている運動家たちがいました。
臓器を抜き取られたあとの縫い目も生々しい死体、拷問の後の死体。
そういった眼をそむけたくなるような写真が大きく引き伸ばして展示されており、
人々はそれを複雑な表情で眺めながら通り過ぎていました。
ニュースでは知っていましたが、実際にそのような人々を見るのは初めてです。
同じ中国でも、ここ台湾と共産中国の空気の違いを目の当たりにする思いでした。




この日の夜は、昨夜の海鮮料理を推薦してくれた方の再びの紹介で、ふかひれ専門店へ。
 
ここのメイン料理はふかひれ。
中華料理を食べに行くとほんの数本ふかひれの浮いたスープが出ますが、
ここではそのふかひれがカタマリで出てきます。
大中小とランクがあり、われわれは二人で中の大きさを一つ頼みましたが、
だいたいそれが子供の手のひらサイズ。

こちらでもふかひれは高級料理ですので、店内にはシャネルづくめのおばあちゃまとか、
どう見ても原宿を歩いているかのようなスタイルの茶髪の今風お嬢さんとか、
凄く仕立ての良さそうな中国服を着て、なぜか頬のほくろから20センチくらいの長ーい白髪を
伸ばしっぱなしの仙人みたいなおじいちゃんとか、
何しろただものではなさそうなリッチそうな台湾人がいっぱい。
みな一人に一皿ずつふかひれを頼んで食べていました。

あまり値段のことを言うのもなんですが、中サイズふかひれ一鉢が1万5千円。
ふかひれの相場など全く知らないで今日まで来ましたが、これは日本の、
例えば赤坂の福臨門などで食べることを思うと異常に安いのだそうです。
(福臨門でふかひれなんぞ食べたことが無いので、TOの受け売りですが)
生まれて初めて「糸状でないカタマリのふかひれ」をガブリと食べました。

この直後、ホテルのナショジオチャンネルで「いかにふかひれを採るのが残酷か」
という番組を観て思わずこのときの悪行を反省しそうになりましたが、よく考えれば
ナショナル・ジオグラフィックって、海犬や緑豆の味方でしたっけね。
ガチョウのフォアグラを始め、牛馬雉兎魚。
生きて飛んだり歩いたり鳴いたり泳いでるものを食べるのやめてから非難してくれるかな?


ホテルに帰る道でバーガーキング発見。
 王
・・・・・・・・だそうです。
 

ホテルに帰って、年越しまでの間、時間つぶしのためホテルの映画館に行きました。
毛布付きのソファで、ほとんど寝転がった状態で映画を鑑賞します。
頼めばアイスクリームや飲み物を持ってきてくれます。
やっていたのは不可能的任務の鬼影行動。すなわち
「ミッションインポッシブルのゴースト・プロトコル」です。

字幕が中国語というのも分かるような分からないような。
イーサン・ハントのイーサンを「伊森」って書くんですが、いちいち
「伊森!」「伊森!」って字幕に出てくるので、頭の中では「いもり」としか思えなくて、
それだけが理由でもありませんが、いまいちのめり込めないうちに終わってしまいました。
個人的には例の「ミッションインポッシブルのテーマ」インド風がツボでした。

日本にいる皆さま方が、一時間前に新年を迎えている中、我々は、2012年の年明けを
101の花火で祝いました。
101とは、台湾にある超高層ビル。
このビルそのものと、回りに仕掛けられた花火のカウントダウンショーがあったのです。

   

相変わらずまともに撮れていない写真で申し訳ないのですが、ビル全体が火に包まれているように、
花火が点火し、部屋の窓から眺めるだけとはいえ迫力がありました。


というわけで、台北の花火を観ながら迎えた2012年。
ここ数年、一度として同じ所で新年を迎えていない我々ですが、
来年、どこで新年を迎えるにしても、世界がとにかく無事でありますように。

何が起こっても不思議ではない昨今の世界を見ていると、それだけが願いです。




旅しながら淡々と写真を貼る ありが台湾

2012-01-02 | つれづれなるままに

怒涛の台湾シリーズ、第二日目です。
台湾棒球教会の会長である蔡さんを紹介してくれたのは、いわゆる名士と呼ばれる方で、
日本国内はもちろん、台湾での美味しいものにも精通されています。
その方の紹介で訪れたのが、ここ
台南担仔麺。(タイナン タンツーミェン)
何でも台湾で一番美味しいと評判の海鮮料理の店だとのこと。
 
こういうアーケードの中にあるということで探しながら歩いて行ったのですが、
まるで大阪の東通り商店街(だったかな)みたいでしょ?
そしてなぜか「銀座」という名前のマッサージ店が。
賭けてもいいけど、この経営者は日本とは何の関係も無いと思われます。
アメリカの鮨屋でも「銀座」「東京」「大阪」なんてつけるのはまず間違いなく、中国人か韓国人。
この看板のハングル占有率から推察するに、オーナーは、
台湾での日本人気にあやかろうとした韓国人と見た。


さて、お店に到着。いきなり、水槽の前に連れて行かれました。
日本語の達者なおじさんが水槽の「トゥデイズ・キャッチ」の中からお客の注文を受けてくれます。
しかし、日本人にはこの方法、あまりウケないのでは、とちらっと思いました。
 

我々日本人、生きてもぞもぞしているものを見ていきなり
「美味そう~」と唾液腺に直結させてよだれを垂らすほど直線的な食物観は持っておらんのよ。
シャコがうじゃうじゃしている水槽なんて、TOも息子も気味悪そうにうち眺めるばかり。
わたしは昔香港で水槽のシャコを「これ」と選んで蒸してもらい、屋台で食べたことがあるので、
「トコブシと、サワラと、ロブスター」という具合にさっさと選びました。
一応主婦もやっていたりするので。
しかし、それらを選んだあと、先ほどのアーケードの道向かいの客席に案内されると、それが
ゴーヂャスなヨーロピアン調のインテリア。
天井にはシャンデリア、家具はイタリア製。
ここ、場所はいまいちですが、地元の人たちには「高い」ことでも有名なんだそう。
まわりは見るからに裕福そうな台湾人の家族か、日本人のテーブルだけでした。

そしてもう一つのテーブルは、大阪のおっちゃん二人と、片言日本語の台湾ギャル二人。
「新地、いやミナミで語学留学ついでにお水バイトしていた女の子が、正月休み、
ゴルフに行くと言って家族をまいてきた自営業の自称ちょい悪おやじに、
台北を案内するということでこちらで逢い、高価なお食事をタカっているの図」
と見ました。
適当なこと言うんじゃない、と思います?
実はわたしのこの観察、異常にあたるので有名なのです。
多分これも90パーセント当たってると思う。

さてそこでいただいた、掛け値なしに美味しかった海鮮料理の数々。
カラスミ。
軽く味付けして炙ってあります。
カラスミなんて今まで美味しいと思ったことはありませんでしたが、
この薄切りの大根とネギにはさんで食べる香ばしいカラスミは本当に絶品でした。

トコブシ。
バターなどでいただくことが多いかと思いますが、何味と言っていいのでしょう、
醤油でもない、薄味のソースが、素材の淡白さを補って見事に調和しています。
ボラの白子。
巨大な白子を、軽く炒めて、あんかけ風のソースを絡めてあります。
サワラ。
これも下味を付けてソテーしてあるだけ。
日本だと、さらにソースをからめてしまうんでしょうが。
ライムの横にあるのは生姜の「ガリ」で、日本のと全く違う「甘いガリ」でした。
ロブスターのグラタン。
マヨネーズのような黄身ソースでグラタンにしてありました。
息子は特に頼んでマグロの刺身を注文し、これが一切れ400ドル(1200円)。
「なんかマグロ高くない?」
と首をかしげていたのですが、そのマグロ代のおかげでお勘定は8000台湾ドルに。
とはいえ、これだけ絶品の素材をふんだんに使ってこの値段は、決して高くはないと思います。
因みにウェイトレスさんは日本の方でした。

さて、このレストランに行く途中、その東通り商店街のようなアーケードをあるいていると、
お洒落な悩殺下着のお店を見つけました。
もの凄く迫力のあるおばちゃんが椅子に座って、後ろに不釣り合いなスケスケランジェリーが
所狭しと吊ってあるのですが、その看板を行きにちらっと見て、わたしが
「看板に『性感唾衣』って書いてあったような気がする!なんでツバなんだろう」
TO「生唾飲み込むくらいセクシー、ってことでわ?」
「おばちゃんが怖いから、あまりちゃんと見られなかったのよ。帰りこっそり写真撮ろうっと」
というわけで、だいぶ遠くからズームして看板を写真に撮りました。

それがこれ。
「唾じゃないじゃん!睡眠の睡、つまりネグリジェってことなんじゃないの」
「そうか・・・変だと思った」

こんな話の後で何ですが、昨日も言ったように、
先の地震、台湾は世界一たくさんの義捐金を寄付してくれました。

セブンイレブンの店頭募金だけの累計ですが、その額3億ドル。
2位のアメリカ+カナダが6千5百ドルくらいですから、
いかにたくさんのお金を台湾の人々が日本のために出してくれたかがわかろうというものです。
こちらに来てわかったのですが、台北におけるもっとも主流のコンビニは、セブンイレブン。
セブンイレブンそのものの数が多い、ということも、この結果につながったとも言えますが、
それにしても、桁違いです。
テレビのチャリティーでも、またたく間に二十一億円が集まったといいます。

そして、中国や韓国にばかり配慮し、特に中国の顔色をうかがう政府が
ちゃんとお礼をしないことに業を煮やした民間の団体が、台湾の新聞に
「日本の国民は台湾の支援を心から嬉しく思っています」という広告を出しました。

ここでお馬鹿ニュースです。
先日、台湾で覚せい剤所持していて捕まった日本の暴力団関係者。
捕り物のときは包丁を振り回して暴れたくせに、一旦つかまったらいきなりおとなしくなり、
警察で犯した罪を後悔するとともに、「台湾の被災支援に感謝している」と話している
ということです。
その前に犯罪をするなって話ですが、これ、わざわざ取り調べた台湾警察が発表したんですよね。
台湾の人には「日本人はヤクザですら感謝してくれてる!」と、話題になったのかも。

そして、昨日。
台湾の中華テレビとYahoo台湾が、ネット上で今年の「十大幸福事件」を募集したところ、
1位に選ばれたのが・・・・
「日本の震災に台湾人皆が募金して感謝されたこと」
だったというのです。

なにこれ、台湾の人、かわいい・・・。

今、こちらでホテルのエグゼクティブラウンジのお姉さんや、タクシーの運転手さん、
お店の人たちと毎日のように触れあっておりますが、皆さん実に感じがいい。
冒頭写真は、海鮮料理の店で予約してあったテーブルに飾ってあった日台の国旗。
こういう心配りが、旅先ではとても嬉しいものです。
日台友好ばんざーい。




 


旅しながら淡々と写真を貼る 台湾

2012-01-01 | つれづれなるままに

新年好!しんにぇんはお~。
あけましておめでとうございます。

今年のお正月は台湾で過ごすことになった我が家です。
先の地震では異常なくらいたくさんの義捐金が寄せられ、
中国に配慮する政府に援助を断られても民間対応で救助隊を送ってくれた台湾。
旅行することでささやかな恩返しを、と言うのは大げさですが、
この安近短の近隣諸国の中では最も日本を理解してくれる親日の国に、一度行ってみるべく、
12月頃バタバタと予定を決め、29日から台北にいます。

羽田からはわずか3時間。
「善き人のためのソナタ」を泣きながら観るうちに、台湾松山空港に到着。

台北の空港は松山空港と言い、わたしたちはつい「まつやま」と読んでしまいますが、
「ソンシャン」です。
松山空港は昔旧日本軍の航空基地で、ここから多くの特攻機が飛び立ったそうです。
そう言えば、というかそう言わずとも台湾と言えば台南航空隊のあった高雄基地があるところ。
「台南に行きたい」
台湾旅行が決まったときこうつぶやいてみたのですが
「なぜ?」
「たいなんこうく」「ああ、また次のときにね」
あっさり却下されてしまいましたとさ。

空港からホテルに向かうタクシーの中で、どう聴いても演歌!という感じの歌が流れていて、
「なんかこんな日本の歌あったっけ?」とTOが言うので、不肖わたくしが
「チェイカ・シ―・タイワンダ?」(これ台湾の?と超ブロークン)
と聞くとおっちゃんが「とえとえ」(そやそや)と答えたのですが、
そのときのTOの妻に対する尊敬のまなざし。

「えっ!中国語しゃべれたの?」
「超基礎だけ」
「すげー。フランスに行ったときもいきなりしゃべりだして驚いたけど今回も驚いた」
実は、語学の勉強が趣味だった時期があるんです。

ホテルは前半は台北、後半は日月譚湖のほとりの「ラ・ルー」に宿泊予定。
そこは少しは台南よりなので、気持ちだけでも高雄基地に近づけるかなと淡い期待を。
ここ台北ではウェスティンに泊っています。
 
メインダイニングはなんと祇園という和食の店。右はビュッフェのご案内です。
ランチ1250台湾ドルですから、だいたい3700円というところでしょうか。
ここには「中華」が日常食の国ですので、上海料理と北京料理のレストランが別にあります。
 
この日上海レストランで食べたコースの前菜と、やたら躍動感あふれる非常口案内板。
うっかりコースを頼んだら途中で小一時間くらい待たされ、終わったときには3時間経過していました。
この日は日本人の客も多かったようで、キッチンが忙しかったみたいです。



羽田からわずか3時間とはいえ、この日は疲れていたのでそのまま部屋で寝てしまいました。
次の日のホテルの朝ごはんバッフェは、さすが中国。
 

紅茶漬けの卵、おかゆ、麺が標準装備。

中国語の本に「揚条(ヤウチャオ)」とかいう揚げパンのことが載っていました。
中国人は朝この油パンを豆乳に浸して食べるそうで、一度食べてみたかったの。
興味半分で一本取ってみましたが、「カチカチになった油揚げ」って感じ。
あまりおいしくありませんでした。


 

ジムから見える大きな看板なのですが、お姉さんの胸のあたりにあるものは何?
これは、この看板のあるビルのクーラーの室外機なんですね。
看板に穴を開けてしまいました。
日本なら最初から看板を作るときにサイズを考慮するんでしょうけど・・・。



こちらのちょっときれいな女性は議員立候補者。政治家です。
中山、松山地区の候補者という意味でしょう。
こう言う国ですから、人々が政治にかける関心は日本より高いのかもしれません。
街中どこに行っても候補者の大きな看板が目につきました。

 
英語学校。
中国語ではアメリカのことを美国(メイクォ)といい、英語を美語と言います。
看板には
「あなたのお子さんもたちまちアメリカ人レベルの英語がはなせるようになりますよ」と。

吉野家、洋服の青山、大戸屋(!)セブンイレブン、ファミリーマート、セブンイレブン・・・。
日本語の看板も多く、町並みの日本との違和感のなさは全く驚くばかりです。
そしてこちらでも教育熱心さを反映して、街中に英語塾や進学塾が溢れています。

 
省エネを呼び掛ける看板も。
「少し節約すれば、北極熊の絶滅を防ぐことができるのです」
だそうです。

この日のお昼は台湾人の蔡さんの案内で点心のお店に行きました。
蔡さんは、TOの知り合いが紹介してくれた方。
昔早稲田大学に留学し、今は息子さんが九州の医大で研修中とのことです。
名刺を頂いたら「台湾棒球会長」
棒球、ってご存知ですか?そう、野球のことですね。
それでは台湾、野球とくれば?
そう、蔡さんは王貞治さんの台湾の知人。
王貞治は昔はもちろん、今も「台湾の英雄」なんだそうですよ。
王さんが台湾に来ると必ず立ち寄るという点心のお店につれて行っていただきました。

因みに、台湾の棒球は「全然ため」とのことです。

 

なんなんだこのカオスな世界は。
観光客も多いですが、台湾っ子もここの点心が大好き。
蔡さんはここのオーナーと知り合いで、この悪夢のような混雑をすり抜け、待つことなく
テーブルに連れて行ってくれましたが、
おそらくこんな案内が無ければ行くことなどなかっただろうなあ。

立ったまま注文を書きつけている蔡さん。
これならオーダーミスもなく、非常に合理的です。
何でもこのお店、新宿高島屋にも入っているそうですが、蔡さんが言うには
「やっぱりここのとは全然違う」
ということです。
因みに、周りの団体は全て日本人で、店員は全員見事に日本語がしゃべれました。
学生のバイトのようでしたが、中国本土の態度の悪いウェイトレスと違い、皆、
健気なくらい一生懸命働いていて、愛想も良く、そして可愛い子が多かったです。
 

あまり美味しそうに見えませんが、点心は見かけではありません。
どれも適度に薄味が人気の秘密かと。
この後蔡さんと別れて街を散策しました。

中国茶道?(飲むだけだと思うけど)をやっている姉に
「東方美人」というお茶をお土産にする約束をしたのでお茶屋を探して街に出たのですが、
探すも何も、その辺一帯お茶屋さんばっかり。

「有機栽培」を売り物にしているらしいこの小さなお店で、はちみつ紅茶とほうじ茶、
二軒目の大きな店で「東方美人」をゲットしました。
この東方美人ですが、ウンカという虫にわざわざ葉っぱをかじらせるんですって。

昔、ウンカにかじられてしまい、もう廃棄するつもりの茶葉を試しに飲んだところ、
「なにこれ、うめー!」「ウンカのかじったお茶の方がうめー!」
ということになり、それからというもの、計画的にかじらせて甘くしているのだそうです。
でも、よく考えたら、いやよく考えなくても、これ、
「虫の唾液がお茶を甘くしている」って理屈よねえ・・・・。

でも確かに、甘いんですよ。
お茶というより、紅茶のような、そして紅茶より渋みのないまろやかさ。
やはり貴重なものなので、150グラムが日本円で2200円しました。
お土産用と我が家用に二つ購入。
お茶やさんも日本語が普通にしゃべれました。
 

街角。ここ、広尾の交差点そっくりじゃないですか?
(左後ろが広尾病院、前方広尾駅)


広い道路の中央にこんな分離帯。
 

勿論こんな魔窟の入り口みたいな一角もまだまだたくさんあります。
右は小さな商店街ですが、大阪や京都にこんなところありそうですね。
 

映画のタイトルが漢字。当たり前ですが。
左はカウボーイ&エイリアン。ホリブル・ボスのポスターは「肉食欲女」がツボでした。
 

ミッション・インポッシブル(不可能的任務)とシャーロックホームズ。
因みに、トム・クルーズは湯(女偏に母)克魯斯福爾摩斯がホームズ、そして
上の小さい字の小労勃道尼ですが、労勃が小ロバート、道尼がダウニー

小ロバート・ダウニー=ロバート・ダウニー・ジュニア。

ウェスティン館内には地下に超ゴージャスな映画館があり、
広々としたソファーでウェイトレスの運ぶ飲食物を楽しみながら映画を鑑賞できます。


 

東京風菜。東京風の美容整形外科?
と思ったら、東京風菜の方は和食、整形外科とは別でした。
こちらでも仕事をしてるエクステリア関係の方の話によると、こちらのお金持ちは
「何から何まで日本製、日本から取り寄せた材料を使って作ったもの」にこだわるそうで、
ある意味ヨーロッパ製のものより日本製を使うことがステイタスなんだそうです。
街にも日本語が溢れていますし、皆日本語喋れますし、勿論みな日本人には好意的。
思っているよりずっと、台湾の人は日本好きのようです。

 

コンビニなどは全く日本と同じ。
DHCの化粧品やハイチュウなんかの日本のお菓子もあります。
この日、セブンイレブンに入ってみたら、ここにもありました。コンビニおでん。
この煮タマゴが、少し日本とは違う匂いを放っておりました。

 

ホテルの隣にスターバックスがあったので、入ってみました。
看板の感じも、世界共通ですね。
さすがお茶の国。スターバックスで飲める中国茶。

なんとこれ、「東方美人」なんですよ。
このスターバックス、期待したのですがwi-fiは使えませんでした。
ホテルもwi-fiではなくケーブル式で、一度に一人しかインターネットが使えません。
そこで、ホテルのクラブラウンジへ。


ここなら親子家族全員けんかすることなく?パソコンが使えます。

この日、TOがお茶を買うのに現金を使い果たし、ホテルの部屋に取りに行かないと
タクシー代が払えない!という状態になってしまったのですが、
運転手さんは嫌な顔一つせずホテル前で待ってくれ、
わたしが「トエブチー(ごめんねー)」を連発して謝るとにこにこして「いいですよー」。
運転手さんはほとんど英語も日本語もダメな人が多いのですが、わからないと
「書いてください」
ウェスティンはなぜか六福飯店と称するのですが、書けば一発で通じる漢字の国のよしみ。

でも、わたしたちが映画のポスターを観て大笑いするように、中国人が日本に来て、
日本での漢字の使われ方に大笑いすることって、多分いっぱいあるんだろうなあ。


続きます。