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軍人俳優としての丹波哲郎

2012-01-17 | 映画

丹波哲郎シリーズ第二弾です。
「何だって丹波哲郎のことばかり書くんだ?」
と思われた方、自分でも同じように思っておりますとも。
何故丹波哲郎のことばかり書きたいのか。


撮影現場には遅れてくるのが当たり前、皆が困り果てているところに悪びれず登場し、
「わたしが来たからにはもう大丈夫!」
と言ったとか、台本を自分の部分だけ破いて持ってくるとか、
俳優の丹波哲郎にさして興味を持っていない程度の人間でも知っている大物伝説の数々。
戦争映画を集中して観るようになってからは、
その演じる軍人姿の有無を言わせぬ説得力に、無理やり?納得させられてきた大俳優。

とりよせた本、ダーティ工藤著、「大俳優 丹波哲郎」によると、思っていた以上の「傑物」。
このたびの集中記事となった次第です。

前回、丹波が演じた主な軍人役を冒頭にあげましたが、
いまのところわたしが個人的に一番好きなのが、本日画像、
映画「連合艦隊」における小沢冶三郎役
沈む瑞鶴に胸も張り裂けんばかりの威儀をこめ、敬礼するその姿に
「連合艦隊10の泣き所」で言及しました。

「大空のサムライ」では、台南空の隊員に「おやじ」と呼ばれた好々爺の斎藤正久大佐を、
実際の斎藤司令のイメージとは全く別の、しかし包容力のある司令官として演じ、
「二百三高地」では、怒りを抑えるために「歯が痛い」とうそをつく児玉源太郎元帥
「零戦燃ゆ」では、山本五十六に大出世。
この丹波五十六は、実に丹波らしいというか、ラバウルで隊員とウミガメに舌鼓を打ちます。


丹波本人は、自分が軍人を演じるということについてどういう風に思っていたのでしょうか。
陸幼を受けて落ちてからは、学徒で動員されてもまったくやる気を見せず、
立川の「落ちこぼれの吹き溜まり」で毎日何となく終戦まで過ごし、終戦に際しては
「何となく終わって良かったと思った。争いは嫌いなんだ」
と述懐する、最も軍人とは対極に位置する実像を持つこの俳優は、
役者として軍服を着ることを、またどう思っていたのか。

気になりました。

ところで、映画「連合艦隊」では丹波哲郎、義隆が「親子共演」していることをご存じですか?
永島敏行演じる本郷大尉の友人、茂木大尉役です。
本郷大尉を機銃から庇って身を伏せた後、空襲を迎撃するために単機飛び立って死んでいく、
という役だったのですが、この役が来たとき義隆氏は最初
「五分刈りにするのが嫌で断った」といいます。

ところが、そこで何故か父親である丹波哲郎がでてきて言うには
「お前の七つボタン姿が見たい」

父親にそこまで言われてはもう出演するしかないと、オファーを受けたのですが、なぜかこの映画、
「そんな大した役でもないのに」
義隆氏だけ、短刀をさした七つボタンの全身写真が残されているのだそうです。
(ということは第二種軍装ですね)
これは・・・、大物出演者でもある父丹波が、映画の写真部か宣伝部かなにかに、
「(あいつの軍服姿)撮ってやってくれ」とわざわざ頼んだのでしょうか。

丹波哲郎本人は長いインタビュー上で軍人を演じることについて一言も言及していません。
しかし、息子によると、
戦争ものに出るのが好きで、軍服が似合うことをいつも自慢していた、そして
「この帽子(軍帽)は俺が一番似合う」
などと言っていた
というのです。

息子にお見合い写真のような軍服姿の写真を撮らせたのも、軍服姿を自慢していたのも、
「憧れたものの魅力を知っていて、それを演じていた」(義隆氏)ということなのでしょう。
そして、映画を観る観客が自分に求めているものを誰よりも知っていたと。



陸幼を受けたことからも、少年期には軍人のあこがれがあったのは確かですが、
丹波家には色弱があって、パイロットには絶対になれないことや、
実際に学徒動員で軍隊生活を経験したがゆえに、自分の生きていける世界では決してないことを、
かれはおそらく誰よりも知っていたでしょう。

しかし、なおかつその世界の中の「映画的な虚像」の部分を自分に引き寄せ、
「軍服が誰よりも似合う役者」として、軍人を演じることでその憧れを叶えていたのに違いありません。

瑞鶴に敬礼する丹波、若い将校に対して悠揚迫らざる戦術家の貫録で一席ぶつ丹波、
どれも、頭の中では演じる人物の経歴すら、想像で全て経験できているのではないかとも思える演技です。

義隆氏によると、映画「連合艦隊」で、最後に飛行機に茂木大尉が乗り込む、そのとき、
「じゃあな」と本郷大尉に向かって言う、そのセリフが、義隆氏は非常に気にいっていたそうです。
ところが、本番になったら松林宗恵監督に「そのセリフはいらない」と言われてしまいました。
共演していて近くにいた父親にその話をすると、
「本番はおまえのものだ。お前がどうしても言いたければ言えばいい。
どうせ、火薬の仕掛けの関係でドンパチやるから撮り直しは利かない」
というやってしまった者勝ちの確信犯的アドバイス。
さすが長年現場で丁々発止を繰り返してきた役者です。

それを受けて義隆氏は本番で「じゃあな」と言ってみたものの、
やはりラッシュでは切られていたようですが・・・(笑)
それが、息子が俳優である父から貰った最初で最後の役者としてのアドバイスだったそうです。


誰かを演じるときに、それが例えば山本五十六であっても、それについて詳しく調べたり、
資料を読みこむことなど、丹波は決してしなかったようです。
ただ天性のカンで自分の感じるところを追体験するかのようにその人物になりきるだけ。
それがどうやらこの「大俳優」の役作りの方法だったのかもしれません。