軍歌「空の神兵」について書いたときに、同時にこの映画を観ました。
陸軍の落下傘兵教育をドキュメンタリーで映画にしたものです。
何の演出も(一部やらせ除き)無く、ナレーションも控えめ。
これこそドキュメンタリー。
ちゃんと過程を踏んで分かりやすく落下傘兵の訓練を説明しています。
購入で手に入れるのも、レンタルするのも、少し難しいお宝映画なので、全編写真を撮りまくり、
その内容を皆さんに説明したいと思います。
上画像のバックになっているのは、ひっくり返った十字架のようですが、落下傘。
部隊のマークで、軍旗にも入っています。
彼らの軍服の襟章、輸送飛行機の垂直尾翼にもこのマークがあったそうです。
先日南方で隊長をしていたある海軍軍人の回想録を読みました。
その経歴の途中、
「落下傘部隊に誘ってもらったが丁重にお断りする」
というようなことがあったそうです。
この方は、陸戦隊や潜水艦、法務部など、いろんなところを転々とした軍歴をお持ちですが、
そう言う方でも落下傘だけははお断りだった・・・ということのようです。
命を国に預けるべく軍人になり、死を覚悟した人にとっても、
高高度から生身で落下していくのは怖かったのでしょうか。
勿論いきなり落下傘を背負って何の経験もないのに
上空何千メートルの機上からつき落とされるわけではないのですが、
当時の若者にとっては、飛行機が新幹線レベルに簡単に乗れる現代人などより
はるかに遠い世界のできごとに思われたのに違いありません。
志願したのかそれとも強制的に配置されたのかはわかりませんが、
落下傘兵として集まってきた青年たち。
まずはエライ人の訓示から。
基礎訓練は写真の棒剣術のような武道に始まり、器械体操がその中心になります。
落下時の受け身から、というわけですね。
最初は「でんぐり返り」から始まるマット運動も、進むにつれハードルが上がって行きます。
数人の上を跳躍してマットで一回転できるまでになります。
次の段階は高いところから飛び降りてそのあと一回転。
このあともっと高いところから砂の上に飛び降りる訓練があります。
同時に落下傘の構造について事細かに学びます。
手入れの不備は死に直結します。
特にたたみ方が悪いと傘が開かないことにもつながるので細心の注意が必要です。
傘のヘリは定規できっちり揃え、ロープはからまないように図のようにたたみます。
傘が開くときはこのロープが解かれていくわけです。
物理学などの座学も命に直結するものともなれば皆真剣そのものです。
兵学校の授業のように居眠りをするひとなどここではまずいないと思われます。
さて、いよいよ落下傘降下のための第一歩訓練。
降下シミュレーターを使っての体感訓練から始まります。
最初は機械で釣り上げて、実際の降下速度と同じ速さで機械を降ろします。
地面に落ちた時の衝撃をシミュレーションするわけです。
それが終わると、傘を付けた機械で上りは機械、下りはフリーフォール。
傘の周りにはみんなが待機して次の練習者のために手早く傘を整えます。
お次は最初から開いた傘を背負って、塔の上から降下。
これまでは体育館での訓練ですが、いよいよ外での訓練です。
ここで訓練生は初めて落下傘での本当の降下を体験します。
「うをを~!気持ちええ~!」と内心叫んでいるのかもしれません。
この訓練でも、一人終わるとすぐさまこうやって骨に傘を貼り、引き上げます。
降下と同時に傘が骨から外れ、開いたままの傘で降下するのです。練習生の憩いのひととき。
ヘアカットしてもらっている人がいますね。
ここの雑談は、何を言っているのかあまり聞きとれませんでした。
そこに上官がやってきて降下服の支給をします。皆大喜び。
やっぱりこういうことが嬉しいんですね。
散髪してもらっていた兵隊さん、さっそく帽子をかぶって
「おお、よく映るぞ」と言われてご満悦です。
靴は衝撃吸収のためでしょうか、普通の靴より底が厚いように見えます。
それにしても、かっこいいブーツですね。今日でも履けそう。
ワクワクしながら着替えして、初めて一人前の落下傘兵の姿で次の段階の訓練です。
飛行機と同じ大きさの出口から降下の態勢で飛び出す訓練。
どんな態勢で落ちても一緒なのではないか?
とつい思ってしまいがちですが、姿勢が悪いと傘が開くときに手がひっかかったりするので、
少しでも危険な因子をできるだけ少なくするために、この訓練はしつこいほど繰り返されるのだそうです。
右下にいるのは教官ですが、姿勢が悪いものにはいちいち呼びとめて
「貴様の姿勢はこうだが、もしこうだと、傘に引っ掛かるから気をつけよ」などと注意し、
言われた方は真剣に「はいっ」とこちらもいちいち敬礼します。
ここまで進んだら次は降下予行訓練。
この時代の普通の青年で飛行機に乗ったことのある者は皆無であろうと予想されます。
高層ビルもありませんから、飛行機に乗ることそのものが衝撃体験。
皆の気持ちをよくわかっているらしい上官が
「飛行機は絶対に安全であーる!」と訓示していました。
緊張の面持ちで乗り込みます。
上空から下界を眺め、まずは地形を覚え、高さに慣れます。
そして、降下口から顔を出して風圧を体験します。
少しわかりにくいですが、顔の肉がぶるぶる震えて、瞼が五重くらいになっています。
「どう思ったかっ?」と上官に感想を聞かれて
「はいっ、もの凄い風圧でありましたっ」
なんて大真面目に答えていましたが、
風圧を体験することが生まれて初めてなら、そうとしか言いようがないでしょうね。
さて、ここまで来たら、残る訓練は・・・・。
そう、降下訓練です。
その前夜。
TOと一緒に観ていて「まさか遺書書くとか?」「いや、遺品の整理だろ」と笑っていたら本当に荷物整理してるし。
一応遺書も書いてるし。
もう寝てる人もいますが。
自分に言い聞かせるように日記を書く兵。
ここはやらせっぽいけど、絶対に「盛って」はいない、不安に苛まれるかれの心情がよく現れています。
「だが若し傘が開かなかったら」
ここで彼は手を止めしばし瞑目、自分に言い聞かせるようにこう続けるのです。
「その時は潔く散るまでだ。
そうだ。傘はさっき自分で十分注意してたたんだ。
絶対大丈夫、傘はきっと開く。
確実な、立派な姿勢で飛び降りよう」
いよいよ当日。
事故を防ぐために慎重に風速風力の測定、そして降下地点の整備が始まります。
全く演出なしの降下兵の表情。動悸が聞こえてきそうです。
この部分のナレーション。
いよいよ降下となると極度の緊張で顔がひくひくとひきつってくる。
唇が乾いてくる。のどが渇く。顔がむずがゆい。
ついに唇が白く粉をふいたようにカラカラになる。
顔がどす黒く青味がかる・・・・。
最も緊張する第一降下者。
上官が肩を叩く合図をすれば空中に飛び出すのです。
心臓が張り裂けそうな一瞬でありましょう。そして・・・
飛び出す瞬間。傘が開く瞬間。
両手を精いっぱい上にあげて「立派な姿勢」を保とうとしているのが覗えて泣けます。開いた・・・・。
全員が降下した後、士官がドアを閉めました。
バーにロープがかかっていますが、これは降下前に落下傘の紐を開くロープ。
自分で紐を引くのではなく、Dカンのようなものをここに留めて、
飛び降りると同時に落下傘紐が自動的に引かれるようになっているようです。
本人がパニクって紐が引けない、というような事故の防止なのでしょう。
着地寸前に予備の傘の入った小さいパラシュートを落とします。
着地したらすぐさま風上に向かって走り、傘や紐が身体にからまないようにします。
大抵着地後一回転するのですが、
この兵隊さんは二本脚で着地し、そのまま走り出しました。
どこに着地できるかなんて自分でコントロールできないのでは?と思ったのですが、
どうやら両手に握ったロープを引いたり緩めたりすることで着地地点を変えられるようですね。
この士官さんは下から降下する兵に向かって態勢や姿勢について指示するため、
ずっと声を張り上げっぱなし。
指導する方も真剣です。でも、空中ではたしてこの声が聞きとれるんだろうか・・・。
さて、全員無事に初降下成功。
上官に訓練終了の報告です。
こんなときでもちゃんと行進をする日本陸軍。
なんだか歩き方が面白いんですけど・・・。
そして、解散になってから、後続部隊の降下を眺めつつ一服のひととき。
いやー、この時の皆さんの気持ち、わかります。
このときに聞きとれた会話。
「飛行機に乗ってるときの気持ちなあー・・。
何とも言えんわー・・ほんまに」
関西出身の兵隊さんのようです。
そこに「敬礼は省略!」といいつつやって来た上官どの。
どうだ一本。と、自分の煙草を勧めます。
うわー。男同士ならではの、この愛情表現。
「太陽にほえろ」のラストシーンみたい。
ボスがよく最後に煙草の火を付けてやっていましたよね。
そして、上官どのは(おそらく映画監督から注文を受けてのカットと思われますが)
「どうだった、初めて降下した気分は」と尋ね、かれは
「は、無我夢中でありましたっ」と答えます。
まあそうでしょうな。
「何度も繰り返しているとだんだん冷静になるから、まあ、頑張れ」と激励するのですが、
上官どの、他にも兵隊いっぱいいるんだからみんなにも煙草勧めなきゃ。
えこひいきはいかんよ。
上官が去った後実にうまそうに紫煙をくゆらす兵。
こういうときの煙草は、本当に美味しいんでしょうねえ・・・。
はい。
白黒だと顕微鏡写真のウィルスみたいですが、一つ一つが落下傘。
こんなにたくさんの落下傘兵が同時に降下しているのです。
慣れてきたら楽しかったりするのでしょうか。
そして降下後、やはり投下された武器の梱包を解き、手にとってただちに陸戦に入るわけです。
その訓練も行われるようになります。
というか、こちらが目的なわけですから・・・・。
陸軍落下傘部隊は通称で、正確には挺進連隊といいます。
落下傘を使った戦隊の研究は1940年に始まり、翌41年にはもう設立されていました。
この映画はその一年後、42年の製作です。
43年の蘭印侵攻におけるパレンバン空挺作戦での大戦果をあげる前、
まさに部隊錬成期まっただ中の撮影だったのです。
映画には冒頭と最後に高木東六作曲、梅木三郎作詞の名曲「空の神兵」が挿入されました。
このとき初降下を果たし、喜びに顔を輝かせた兵たちが、その後過酷な訓練に耐え、
1943年2月15日のパレンバンの空を「純白の花負いて」舞い降りたのでしょうか。