らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

台湾旅行(2) 延平郡王祠

2019-04-27 | 旅行

一昨日に続き台湾旅行の2回目です。
関西空港から台南空港に到着後、すぐに市内観光を始めました。
前回の赤嵌楼を見学した後、オランダ支配下ら台湾を開放に導いた英雄・鄭成功を祭る廟、延平郡王祠を見学したのでご紹介します。

 「延平郡王祠 」
延平郡王祠(えんぺいぐんおうし)は、台南市中西区開山路にある鄭成功を祀る祠で、開山王廟(かいざんおうびょう)ともいいます。
オランダ支配から台湾を解放に導いた民族的英雄・鄭成功を祭る廟です。
1662年の創建で、日本統治期には開山神社と改称されました。

・延平郡王祠(前の牌坊は昔の鳥居です


この延平郡王祠は台湾を占領していたオランダ人を駆逐した鄭成功の功績を賛え、鄭が死去した1662年に彼を慕う人々によって創建され、開山王廟と名づけられました。
1875年には、清朝の大臣・沈葆楨によって福州式建築の新しい祠が建てられました。
日本統治下に入った後の1896年(明治29年)、開山王廟は鄭成功を祭神とする神社となって開山神社(かいざんじんじゃ)と改称され、翌1897年(明治30年)には県社に列格しました。 日本式の拝殿は作られたが、中国風の祠はそのまま残され本殿とされました。

・本殿です。


第二次世界大戦終戦後、中華民国政府によって社殿が全て取り壊され、中国北方式建築を模した鉄筋コンクリート製の廟に建て替えられました。
建物が全て新しいものであることから、延平郡王祠は古蹟に認定されておらず、史跡のみだそうです。
中央には鄭成功の座像が祀られ、後殿には彼の母「翁太妃」(田川松)の位牌が安置されています。

歴史上の鄭成功は、自身の目標である「反清復明」を果たす事無く死去し、台湾と関連していた時期も短かったのですが、鄭成功は台湾独自の政権を打ち立てて台湾開発を促進する基礎を築いたそうです。
父 鄭芝竜と日本人の母・田川松との間に生まれ、7歳まで平戸で過ごした鄭成功は今日では台湾人の宥和的精神の支柱・象徴(開発始祖)とされているそうです。

・鄭成功の座像です。


本殿の後殿に安置されている「翁太妃(本姓 田川之神位)」です。

・鄭成功の母「翁太妃」(田川松)の位牌です。