最近の住宅は和室を設けないスタイルが増えているようです。
そのような家に住むと、自ずと、敷居や畳に対する概念が無くなってこないかと心配します。
日本人である以上、敷居や畳の行儀作法は身につけておく必要があります。
もし、この行儀作法を知らずに上司や同僚などのお宅で和室に通された時に敷居や畳の縁を踏んでしまうと、その人の人格や常識を疑われ、恥をかくことがあるかもしれません。
そこで今日は「敷居や畳の縁を踏まない行儀作法」について調べました。
昔は“敷居や畳の縁を踏んではいけない”と、どこのご家庭でも躾けられた事と思います。
小生も大正生まれの父母によく叱られたものですが、今後、和室が無い家で育った人たちは和室の行儀作法を知らずに育つのでしょうか?
でも何故、敷居や畳の縁を踏んでは駄目なのでしょうね?
70数年前の私の記憶では、「戸や障子などの敷居や畳の縁を踏むのは親の顔を踏むようなものだ」とか、「敷居を枕にすると幽霊が出る」などの理由だったように思います。
果たしてそうだったのか?
調べてみると、「敷居や畳の縁を踏んではいけない」という仕来たりが生れた理由は「境界」という概念からのようです。
即ち、敷居は部屋と部屋を区分けする境界の役割を果たしています。
そして、畳は「立って半畳、寝て一畳」と言われるように、一人の人間が暮らすための最小の空間とされました。
そこから、畳の縁は一人一人に必要な空間を区分けする境界とも考えられたようです。
更に、橋のたもとや村はずれなどにお地蔵さまが祀られているのも境界の表れであり、お地蔵様を祀ることで境界が持つ危うさから逃れようとしたようです。
そのような境界に対する認識から敷居や畳の縁も境界の一種と考えられるようになり、「踏んではいけない」と言うタブーが生れたということです。
そのタブーを破ることは家の秩序や格式を破壊することにつながりかねません。
そこで、親の顔や幽霊を持ち出して子供に守らせようとしたり、更に、昔は畳の縁に家紋を刺繍することもあって、家紋を踏んではいけないと言う意味でも畳の縁を踏むことをタブーとしたようです。
今流行りの畳や敷居がない家に育っても、私たち日本人はそれらに対する行儀作法を忘れることなく、恥ずかしい思いをしないようにしたいものですね。
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