関西では小正月である明日15日までが松の内と言われています。
門松などの正月飾りは小正月の前日である今日14日に撤去し、明日は"どんど焼き“という門松などの松飾りを焼く行事を行います。
この行事の後は、年賀状ではなく寒中見舞いとして出すのが習わしであり、松の内に控えていた法事などもお寺さんにお願いすることになります。
ところで、門松と言えば次の和歌を聞いたことがありませんか?
「門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」一休禅師
これは頓智でお馴染みの一休さんこと一休禅師(本名:一休宗純)が詠んで歌です。
今日はこの強烈な皮肉を込めた歌を詠んだ、禅僧・一休宗純の逸話をご紹介します。
「逸話」
「めでたいのう、めでたいのう。あの世にまた一歩近づいたのだから、めでたいのう。正月に飾られる門松は、まるで冥土へと向かう道に築かれた一里塚みたいなものじゃ」
このような意味の一句を詠みながら、一休禅師は年が明けたばかりの、正月ムードの京の町を練り歩いたといいます。
しかも、手には竹竿を持ち、その竿の先に人間の髑髏(しゃれこうべ)を刺していたというのだから大変な驚きです。
一説によれば、
家の前を、髑髏を掲げた不気味な僧侶が歩いているということから、一休宗純という不審者と出会わないために、京の人々は正月の三ヶ日の間は外に出ないようにするという風習が広まったとも言われたそうです。
「解説」
この歌について、禅僧の解説では次のように説いています。
一休禅師の心を考えれば、正月を迎えることは一つ老いたということであり、それだけ死が近づいたという一面を意味していることから、冥土へと向かう旅への一里塚でもあるという訳です。
従って、捉えようによっては、年をとることは「めでたいことでもあり、めでたくないことでもある」となるのです。
そして一休禅師の心の内では、正月を迎えて、めでたい、めでたいと浮かれ祝う京の人々に、この一句を詠んで次のようなことを伝え、人々を正気に戻そうとしたのではないか?
‟ちゃんと目を覚ましておけよ。
新年を祝うということは、死の近づきを祝っているという意味でもあるんだぞ。
死はすぐそばにあるんだぞ。
自分の死というものをちゃんと認識した上で、正月を祝うんだぞ。“
そんなメッセージを込めた一句だったのかもしれないと解説しています。
ひと昔前は、正月三が日は出歩かない。とくに、女はタブーでした。お店も締まってました。
コロナ禍に、この風習を取り戻した大手も現れました。
「門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」の一休禅師に出遭わぬよう、家庭団欒が好いです。
らいちゃんは、門松を町内会で作ってましたね。^^
オイルショック前に社会人になって、3年で給与が倍になりました。