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らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

日本三名園の選定基準

2021-07-17 | 雑学

先日の雨の日に、録画しているNHKの番組、『絶対行きたくなる! ニッポン不滅の名城「岡山城」』を観ました。
私の故郷であることから、このお城が名城たる所以を詳しく知ることが出来ました。
この岡山城に隣接する形で、日本三名園の一つ「後楽園」があります。
何回も訪れた庭園ですが、岡山城の大名庭園が何故三名園になったのでしょうか?
今日はその由来について調べてみました。

「日本三名園」
日本三名園とは、ご存じのように、金沢の兼六園、岡山の後楽園、水戸の偕楽園の三庭園をいいます。
兼六園は加賀藩前田家の、後楽園は岡山藩池田家の、そして偕楽園は水戸徳川家の大名庭園です。
何れの庭園も池を中心として、その回りを周回できるという池泉回遊式の庭園となっています。

この「三名園」という言葉は、明治37年(1904年)に外国人向けに発行された写真集に初めて使われており、それ以前の記録は発見されていないことから、日本の庭園に興味を示す外国人に日本の魅力をアピールするために作られたのではないかということです。

「選定基準」
ネットによると、三名園の選定は、次のような基準だろうと考えられています。
  (1) 「小石川後楽園」や「六義園」のような庭園であること。
  (2) 大都市は除外すべきであること。
  (3) 今も整備がされている庭園であること。

三名園の選定にあたっては細かく比較検討の論議を重ねたものではなく、東京府政にかかわる誰か大モノの一声で方針が決まり、決定したのではないかと考えられています。
何故なら、誰かが言わねば東京に、あるいは、東京と京都に集中するからです。

その大モノとは誰でしょうか?
強圧的で発言力がある薩長閥の人物ではないか?
例えば、岡山の初代県令であり東京府知事の薩摩藩士・高崎五六か、あるいは五六の息がかかった人物かもしれません。

そして、選定に当たっては、名園を持つ水戸藩江戸上屋敷地の庭園、小石川後楽園が除外となれば、水戸の「偕楽園」になり、それに名園で名高い「兼六園」もスンナリ決まったのではないか。
問題は残りの一つですが、ここで、高崎五六(或は息のかかった人物)とともに、元水戸藩主徳川昭武の意向が強く反映されたと考えられるということです。

水戸藩の小石川後楽園の名の継承を岡山の池田茂政に委ねたのは昭武であり、その昭武はパリ万博(1867年)に将軍慶喜の名代として赴き、そこでは日本を代表して日本庭園を紹介しています。
そのようなことから、日本の名園を選定する上で、昭武に相談をしないはずなないと考えられているのだそうです。
更に、天皇のお耳に入ったかどうかは分かりませんが、天皇としても明治17年の岡山行幸では「後楽園」に御宿泊されていることから肯(うなず)かれたことと思われるとされています。

しかし、審議の記録が見当たらないことから、正式な手続きにもとづいたものかどうかは疑問であり、更に、この時代は全てが国策だったことから、然るべき人物を交えて、それなりの基準を設けて、決めたものと思われるということです。

・岡山の後楽園です(ネットより)


「選定要素」
なお、下記三要素も選定時に考慮されたのではないかと言われています。
①「雪月花」に由来
中国の唐の時代に、白居易(白楽天)という著名な詩人がいました。
その白居易の詩の中に、自然の美しい景色を示す「雪月花」という言葉があります。
雪月花とは、四季の自然の美の代表的なものとして、冬の雪、秋の月、春の花を言い、優美な眺めを表す言葉です。

日本三名園には、それぞれの庭園のポイントを見事に表した「雪・月・花」に基づいてつけられた別名があります。
即ち、雪景色が綺麗に見られる庭園として「雪の兼六園」、月が綺麗に見ることができる庭園として「月の後楽園」、梅の花の名所として「花の偕楽園」という表現で、これも選定要素の一つではないかと言われています。

②他にも三名園の共通点として、兼六園は「前田家」の、後楽園は「池田家」の、偕楽園は「水戸徳川家」の、いずれも力を持った元 大大名が所有していた庭園だということ。

③更に、三名園にはもう一つ共通点があるのです。
園内に大きな池があり、園内を回遊しながら鑑賞を楽しむ庭の形式「回遊式庭園」であることです。この回遊式庭園は日本の庭を代表する型となっています。

今回、三名園の選定基準を調べてみた結果、正式な手続きにもとづいたものかどうかは疑問であること。
そして、然るべき人物の意向が強く反映されて決められたのではないか、ということです。
もし、現在選定するとすれば、この三名園に優るとも劣らない美しい庭園は全国に存在しており、難しい選定になるのではないかと思います。
そうなると、矢張り、大モノの意向が強く反映されるのでしょうか?



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
(らいちゃん) へ (もののはじめのiina)
2021-07-17 10:23:07
> 金沢の兼六園、岡山の後楽園、水戸の偕楽園の三庭園をいいます。
東京の後楽園球場には巨人戦の応援で何度も行きましたが、あいにく岡山の後楽園はけてないです。(-_-;)

岡山城も観光してないですが、岡山駅前の桃太郎像は見ましたょ。
でも、福山城は見学しました。それというのも、駅前にあったため、時間調整に立ち寄りました。
あいにく、出張のついでに寄るには岡山城は遠かったようです。それだけの理由です。


> 50数年間の運転期間中に事故は起こしませんでした。
無事故が一番です。
当方は、何度かありまして、ブログに採り上げた事故があります。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/6c32919d2c3baa17000e5c5e06e73df4

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小石川後楽園と六義園 (hide-san)
2021-07-18 09:46:58
小石川後楽園は水戸藩の上屋敷跡で片隅に、
燃える柱を担いで母をすくった藤田東湖の
墓碑があります。

六義園は加賀藩の中屋敷跡で(上屋敷は今の東大、下屋敷は板橋区内に22万坪あった)
柳沢吉保に受け継がれ、名園となりました。
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