虐待のことを 書きました
「暴力」という言葉は、誤解を招きます。
力による暴力だけが、暴力ではないということ。
言葉による暴力も、れっきとした暴力だということ。
虐待される
虐待している
それだけをピックアップすると、とても悪いことのように
捉えられてしまいがちです。
でも、私は思うのです。
虐待 されている側も
虐待 している側も
双方に、学びが生じているのだと
学ぶ機会を与えられているのだと
そこに 気がつくまで
そこに 関心がいくまで が 一つの学びなら
そこから どうしたら克服できるか
改善できるか
自分の心を どのようにして成長させたらいいのかと
悩み、方法を考え、挑戦すること
それが もう一つの学びだと思うのです
私も、家族の虐待の実態から学ばせてもらっていることが
とてもたくさんあります
罵倒されたり
大きな声で怒鳴られている人の恐怖が分かる
人の表情から、心を読み取り、平和に過ごせるための方法を編み出す
逃げても追いかけてくる問題を 改善する対策を見出す
人を 待てる
お互いに、気づきのチャンスを与えられているというプロセスなのです
だから、虐待のすべてが悪いとは思っていません
虐待しているかもしれない・・・と気にするのではなく
自己嫌悪に陥るのではなく、
そこから気づいて、何かを得てほしいという思いで、
奮起して書いたのです。
私には二人の弟がいます。
それぞれに家庭を持ち、子どもを持って、幸せに暮らしています。
私と、すぐ下の弟は、虐待をする親の行動を
物心つくころから、いえ、たぶんお腹の中から目撃してきています。
そして、それに対して、とてつもない嫌悪感を持ってきました。
反面教師になっていったのです。
ああいう親には、ああいう大人にはなりたくない・・・と、
弟も私も、心に誓い、
同じように激昂するときがあっても、
それをどうしたら抑えられるのかを探求してきました。
3人兄弟の上二人は、自ら気がつき、克服しよう、連鎖を止めようと
努力をしてきたといえます。
一方、一番下の弟はというと、
彼も、絶対に親の絶対的脅威に対して、嫌悪していたのだと思うのです。
その場から逃げるすべも、得ていました。
でも、彼は結構、虐待に近い子育てをしていると、私も、
そして他の家族も、感じています。
子どもを叱るときの、激昂
子どもの理由を聞かずに、わけも知らずに、すべてわが子が悪いと決め付ける叱り方
人格を否定する言葉
「だから、おまえは馬鹿なんだよ!」と吐き捨てたり、
「はっきりしゃべれよ! 突っ立ってんじゃねーよ!」と追い討ちをかけたり、
正直、一緒の空間にいると、
私の胸が小さくなってしまうのです。
同じように、育てられたものね・・・と、同情もします。
同じ親に育てられていて、このように二分する。
その人にとっての、その人なりの気づきが、そのように分けてしまうのでしょうか。
早く気がついてほしいと、願わずにはいられません。
「暴力」という言葉は、誤解を招きます。
力による暴力だけが、暴力ではないということ。
言葉による暴力も、れっきとした暴力だということ。
虐待される
虐待している
それだけをピックアップすると、とても悪いことのように
捉えられてしまいがちです。
でも、私は思うのです。
虐待 されている側も
虐待 している側も
双方に、学びが生じているのだと
学ぶ機会を与えられているのだと
そこに 気がつくまで
そこに 関心がいくまで が 一つの学びなら
そこから どうしたら克服できるか
改善できるか
自分の心を どのようにして成長させたらいいのかと
悩み、方法を考え、挑戦すること
それが もう一つの学びだと思うのです
私も、家族の虐待の実態から学ばせてもらっていることが
とてもたくさんあります
罵倒されたり
大きな声で怒鳴られている人の恐怖が分かる
人の表情から、心を読み取り、平和に過ごせるための方法を編み出す
逃げても追いかけてくる問題を 改善する対策を見出す
人を 待てる
お互いに、気づきのチャンスを与えられているというプロセスなのです
だから、虐待のすべてが悪いとは思っていません
虐待しているかもしれない・・・と気にするのではなく
自己嫌悪に陥るのではなく、
そこから気づいて、何かを得てほしいという思いで、
奮起して書いたのです。
私には二人の弟がいます。
それぞれに家庭を持ち、子どもを持って、幸せに暮らしています。
私と、すぐ下の弟は、虐待をする親の行動を
物心つくころから、いえ、たぶんお腹の中から目撃してきています。
そして、それに対して、とてつもない嫌悪感を持ってきました。
反面教師になっていったのです。
ああいう親には、ああいう大人にはなりたくない・・・と、
弟も私も、心に誓い、
同じように激昂するときがあっても、
それをどうしたら抑えられるのかを探求してきました。
3人兄弟の上二人は、自ら気がつき、克服しよう、連鎖を止めようと
努力をしてきたといえます。
一方、一番下の弟はというと、
彼も、絶対に親の絶対的脅威に対して、嫌悪していたのだと思うのです。
その場から逃げるすべも、得ていました。
でも、彼は結構、虐待に近い子育てをしていると、私も、
そして他の家族も、感じています。
子どもを叱るときの、激昂
子どもの理由を聞かずに、わけも知らずに、すべてわが子が悪いと決め付ける叱り方
人格を否定する言葉
「だから、おまえは馬鹿なんだよ!」と吐き捨てたり、
「はっきりしゃべれよ! 突っ立ってんじゃねーよ!」と追い討ちをかけたり、
正直、一緒の空間にいると、
私の胸が小さくなってしまうのです。
同じように、育てられたものね・・・と、同情もします。
同じ親に育てられていて、このように二分する。
その人にとっての、その人なりの気づきが、そのように分けてしまうのでしょうか。
早く気がついてほしいと、願わずにはいられません。