ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

小学校の部活動保護者交流会

2011年02月06日 | 子ども
長女の通う小学校で、部活動交流会がありました。

毎年、楽しい催しを考えてくれて、

各部活で競技やゲームを競い合うのです。


しかし、体育館の中、さ、寒すぎるっ!

ぶるぶる・・・

ひっきりなしに、体を動かしていないと、ほんとに寒くて、

次女が私の周りにまとわりついているのをいいことに

BGMとともに、ダンスしたり、体を揺らしたり、

人間竹馬をしたりして、温めていました。


こういうときの私は、多動です。

じっとしていられないのが、性分です。


そういえば、小学校低学年のとき、

注意力散漫!と、よく通信簿に書かれていましたっけ。

3年生まで、ずっとです。


授業中、後ろの方を振り向いたまま、前を向くのを忘れたり、

窓の外をだまーーーって見つめていたり、

教室内のチリや埃のキラキラを掴もうとしたり・・・。

明らかに、授業なんて聞いてません。

先生に、「あゆみ! どこ見てんだ!!」って怒鳴られる。

先生に、「あゆみ。 この問題答えなさい。」といわれても、

どの問題のことを言っているのかわからない。

時々、なんの授業だったっけ?という時もありました。


なんのために、学校に行くんだろう~~?

友達と会うため?

給食を食べるため?

家に誰もいないから、預けられているだけ?

勉強って、そのための何か??

そんな風に思っていたのかもしれません。


その当時、私の家庭はめちゃくちゃでしたから、

学校に来ている意味とか、関係なかったんです。

毎日が不安の連続で、

今日学校から帰ったら、お母さんはまた家出していないかもしれないのに。

そしたら、ごはんなくて、おなかすいて、

暗くなるまでお父さんの仕事からの帰りを待ってないといけないかもしれないのに。

そんな状態で、授業に集中できるわけもなく。

とにかく、ここ(学校)にいることに意味が見出せずにいたのです。


親が離婚したら離婚したで、

学校に行けばみんなから、珍しがられ、後ろ指をさされ、

いやがられ、いじわるされ、自分についての言葉がすべて、否定されているようにしか聞こえてきませんでした。

それでも、数名の友人はそんな私とでも遊んでくれて、

話してくれたことが、学校に行かないという選択は与えなくて済んだのかもしれません。

ま、父親にそんなこと言ったら、私自身がどう怒鳴られるかわかっていたので、誰にも頼れなかった・・・というのもありますが。


そういう小学校低学年時代を過ごしてきたおかげで、

こうしてわが子の通う小学校の児童たちを見ると、

とてもかわいく思えてしかないのです。

かわいく思えるだけではなく、

この子たちの中にも、家に帰るとビクビクしたり、

悲しい思いをしたり、毎晩泣いたりしている子もいるのかもしれない。

人間、生きていたら多少なりとも、

困難はあるもの。

だから、重大な問題ばかりじゃなくても、

その子にとっての悲しいこと、泣きたいこと、悔しいこと、

いっぱい抱えながら、こうして笑っているのかもしれない。

そう思いながら、子どもたちと接するのです。


君たちの、きらめきの中にある、悲しみがわかるのです。

だから、いとしいのです。

まるごと、かわいいのです。


子どもたちと接するのって、いいですね。

元気になります。


そうそう、部活動保護者交流会。

寒かったけれど、いつもよりも体を動かし、

部活の親とお話でき、先生とも交流ができるのは、

とっても有意義な時間でした。

合唱部の保護者の結束も固く。 よし!って感じです。


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