ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

「うまれた日」

2012年10月09日 | これも自分あれも自分
今日は、私の誕生日でした。~長文です~

この世に生を受けて、42年が経ちました。

まずは、産んでくれた親に感謝を。 育ててくれた親に感謝を。 共に育ってくれた兄弟に感謝を。 地域の人、先生方、友人たち、通りすがりの人、すべての人に感謝を。

「うまれた日」

それは、「感謝の日」



毎年、誕生日に思うことがあります。

生まれてきて、よかったのかな?

生まれてきて、役に立っているのかな?

私は、生きていて大丈夫なのかな?

ということです。

いろんなことを思い出し、いろんなことを反省し、これまでの人生を振り返ります。

そして、これからの一年を大事に生きていこうと、改めるのです。

そう、「うまれた日」

それは、「人生を振り返る日」



今日は朝から、なんだか心がそわそわして、時にバクバクして、大変でした。

小学校と中学校は手作り弁当の日だったので、朝の多忙が過ぎたあたりから、

心の状態が不安定になりました。

そして、

そして、

私は思いっきり、胎児の自分を感じました。

お腹の中にいるときの感情がよみがえり、

生まれ出てからの感情が蘇ってきたのです、

朝のそわそわは、生まれるよ!というサインだったのかもしれません。

そして、胎児のときに抱いた不安と恐怖と安心という、感情を知りました。

生まれてからも、その不安と恐怖と安心との混在に、戸惑う赤子の自分を知りました。

私は、生まれてから数ヶ月間、眠っているとき意外は、泣き止まなかった・・・というくらい、

異常に泣く赤子だったそうです。

心臓に欠陥があるのか、脳に異常があるのかもしれないと、病院で調べられたくらいです。

その原因が、今、

42歳の誕生日の朝に、鮮明にわかったのです。

わたしは、とてもビクビクしていて、おろおろしていて、ここにいて大丈夫なの?って心配だったこと

愛されているという実感よりも、不安と恐怖のほうが大きかったこと

大きな怒鳴り声と、金切り声、泣く声、嫌な声・・・

生きるために覚えておかなければならないことは、まずは不安と恐怖だったのかもしれません

不安と恐怖のときの、自分の位置を、確かめていたのかもしれません

おろおろして、びくびくして、どぎまぎして、緊張している感覚が

私の体と心に浸透し、見せてくれました

私は、その赤子に「もう、大丈夫だよ」と声をかけました

「あのときは、怖かったのかもしれないけれど、私がついてる。もう、大丈夫。」と

ふわりと、抱きしめてあげました

車を運転しながら、涙が止まりませんでした。

「うまれた日」

それは「インナーチャイルドを癒す日」

なのでした



そうしたら、落ち着いて、

情緒が戻り、挙動不審じゃなくなり、正常になりました。

こうやって、インナーチャイルドを癒してあげると、落着くんだということを、再体験しました。

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