ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

苦しみを超えて

2011年03月29日 | これも自分あれも自分
苦しみからは 光は放たれません

辛いと言っている口からは 希望はうまれません

私たちの口から出る言葉は 光にも 闇にもなります

あなたは できることなら どちらの言葉を 望みますか?


私たちは 光を求めます

それは 本能です

明るいところは 敵がよく見えるし 危険があるとすぐに逃げることが可能です

逃げている時にも 明るいのでつまづく心配が少なくて済みます

明るいと 相手の表情がよく見えます

心の動きが見えることは とても安心します

愛を 感じることもできます

喜びを 感じることもできます

恐怖を感じていても よく見えると その恐怖心を取り除こうと

協力することができます


本能の部分 人間の本質の部分で

私たちは 光を求める生き物なのです


人間の中には 光を放っている人がいます

そういう人の周りには 必ず人が集まります

自分の中にある光と 同調するということもあるでしょう

自分の中にはない光に 憧れるということもあるでしょう

その光とともにあると 自分が救われる感じがすることもあるでしょう

光を放つ人たちは とてもプラスの言葉を発します

多少 辛口はごめんなさい

でも、その中に 愛が含まれていることが 見えます

その中に 愛を見出せない人は 

光放つ人の そばにいても 元気になれないかもしれません

かえって 自分のよくないと思っているところ(本人の勘違いが多いですが)へ

スポットライトが当たったように感じて

遠ざかってしまうのです


光は 数々の苦しみを超えて 

数々の身を切るような思いをして

それらの苦難を 前向きに乗り越えてきたからこそ

放たれるのだと 思います


ならば

今苦しみの中にあるのなら

今悲しみの中にいるのなら

そこから 這い上がる気持ちを いつかは 抱こう

今は無理でも

いつか必ず 底上げできる自分に たどり着こう


応援しています

被災地の方々の苦しみや 未来への不安

寄り添う言葉しかかけられませんが

底上げする時の 土台のうちの

杭の1本にでも なれば と思います



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