八戸に越してきて4年が経ち、ようやく自分の中の毒を出せるようになってきています。
毒舌なのは、ずーっと遥か昔からですが、これでもかなりセーブしています。
毒だらけの私って、きっと誰も寄り付かないと思います。
「最近、そういう話するよね。」とか
「近頃、なんか違うよね。」と言われることが多くなったのは、今年に入ってからです。
今年は、「言いたいことは、言う!」「断れることは、断る!」「嫌なことは嫌と言う!」ことを目標にしようと、年頭にふとよぎったのです。
それは、自分の中の「いい人をやめたい」という思いでした。
昨年は、すっかり自分を理想の人間像にしようと、努力しようと頑張っていました。でも、頑張れませんでした。
理想には程遠く、単なる自分の意見のない、ニコニコしている人、なんでもOKな人、やわらかい人、やさしい人・・・?
慈愛の人になりたいと、思い続けていますが、
慈愛には、時には厳しさも毒も必要なのだと、感じたのです。この数年間で。
それは、八戸の風土と乳化してきているような気もします。
とにかく、最近毒が出てきている自分を、とても面白いと感じています。
毒舌なのは、ずーっと遥か昔からですが、これでもかなりセーブしています。
毒だらけの私って、きっと誰も寄り付かないと思います。
「最近、そういう話するよね。」とか
「近頃、なんか違うよね。」と言われることが多くなったのは、今年に入ってからです。
今年は、「言いたいことは、言う!」「断れることは、断る!」「嫌なことは嫌と言う!」ことを目標にしようと、年頭にふとよぎったのです。
それは、自分の中の「いい人をやめたい」という思いでした。
昨年は、すっかり自分を理想の人間像にしようと、努力しようと頑張っていました。でも、頑張れませんでした。
理想には程遠く、単なる自分の意見のない、ニコニコしている人、なんでもOKな人、やわらかい人、やさしい人・・・?
慈愛の人になりたいと、思い続けていますが、
慈愛には、時には厳しさも毒も必要なのだと、感じたのです。この数年間で。
それは、八戸の風土と乳化してきているような気もします。
とにかく、最近毒が出てきている自分を、とても面白いと感じています。
したたかさ。
ある人は、それを「ずるさ」といい、
ある人は、それを「賢さ」という。
味方としては、どちらも正しいんだべな。
ただ、面白がるか、嫌いになるかで、
生きにくくなるか、らく~になるか
分かれるんだべな。
これだけはいえる。
打たれたら、また別なところから杭を出せ。
出すぎるよりは、いい。
もし、転んでしまったら、
立ち上がる時、
「はい、ごめんなさいよ。私には、今、あんたの助けが必要なんだ。」と言って、誰かの着物の裾をとっつかんでも起きよう。
間違っても、自分ひとりで起きようなんて考えないこと。
10人に1人は、怪力の持ち主にめぐり合う。
そして、毒は、薬にもなる。
痛みをやわらげることもできる。
モルヒネが、緩和治療に欠かせないように。
薬だと思っていたものに、
毒を見出すこともある。
逆もまた真なり。
大いに楽しもう。
ほんと、毒は薬でもあるのですよね
毒づいて、みんなを麻痺させる!?
あ、それは違うか。