ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

達成感と脱力感

2007年08月04日 | 子ども
無事、三社大祭は終了した。全工程クリア!!

雨に降られながらも、山車が動き出す数時間前には雨があがる日が二日あった。サーヤは、台風が接近する前の晩に、てるてる坊主を10人、いや10個作って、空から見えやすい大きな窓枠にぶら下げていた。それも、全部ティッシュで!!!勿体なかっ!!!
「今度からは、中身はチラシにしてくれる?」と言ってみた。あったりまえのことだ。ふう~。

でも、そんな波乱があったおかげか、翌日の夕方には晴れ間が出てきた。厚い雲間に覗いて見える青空が、昨日の私のカミナリと引き換えにやってきた、そんな気がした。

後夜祭の山車は、街中から動かずに、そのままの状態で太鼓を打つ。
そして、今日ばかりは無礼講。いつもは山車の運行を指示しているお兄さん、おじさんたちも、大太鼓を打ち始めた。
す、すると!!
その太鼓の音の違うこと!
「あの人は、一番上手な人なんだよ。」と、サーヤを太鼓隊に誘ってくれた方が教えてくれた。確かに、まるっきり違う!
まるで地響きが起こりそうな、
まるで空からカミナリ様が落っこちてきそうな、そんな音だった。
光栄なことに、サーヤはそんな方々と一緒に太鼓を叩くことができた。
太鼓を終えて、台から降りてきたサーヤに、
「おじさんたちの太鼓、どうだった?」と聞くと、
「うん、すごい音だった!なんか、皮膚がざわざわーって、なった!!」と興奮していた。
「鳥肌、っていうんよ。それ。あのおじさんね、一番上手なんだってぇ」
「へぇぇ!鳥肌たった!!」

後夜祭が終わり、山車小屋まで、またみんなで引っ張って帰る。
20分くらい歩くと到着する距離なので、他の山車組さんよりは近くて助かるが、それでも、へとへとの私たち。。
皆にお疲れ様と声をかけ、代表者の挨拶があり、解散。
でも、なんだかいつまでも名残惜しくて、私たち家族と誘ってくれた方の家族と、その友人家族は残って、少し壊れてしまった山車を見上げながら、口数は少なかった。
「いつまでいるんだろうね。」と言いながら。

さて、名残惜しいのはしょうがないとして、そろそろ帰りましょう!
サーヤ、皆さんにご挨拶しましょう!!

「ありがとうございました!また来年もよろしくお願いします!!!」
とおじぎをしたサーヤ。
あんなに疲れた、お腹すいた、と言いながら、とっても満喫していたサーヤ。頼もしく見えた。
来年は、エリーも、半天来て、太鼓も少し練習して、正式に参加させてみようと思う。太鼓とお囃子の音が聴こえてくると、すっかり覚えてしまったリズムとお囃子を言うエリー。門前の小僧さんみたいなエリー。なかなか、いい腕してまっせ!

来年の夏は、八戸へ!!
まっちょるよ!

三社の神様

2007年08月01日 | 子ども
八戸市内にある神社。
「神明宮」「おがみ神社」「新羅神社」
この三つの神社の神輿行列に附け祭りとして氏子の山車がお供する豊作加護、執恩の祭りが、この「三社大祭」です。

事の発端は、享保6年(1721)におがみ神社が神輿行列を仕立てて、長者山のお社に渡御したことに始まるのだそうです。歴史が古いですね。
子どもたちに説明する時には、三つの神社の神様たちが、この日長者山のお社に遊びに行くんだよ、みんなはそれを街の人たちに知らせる役目なんだよ、と言います。

祭りは前夜祭から始まって、
8月1日の“お通り”、
2日の“中日”、
3日の“お還り”、
そして4日の後夜祭で締めくくります。

前夜祭、後夜祭は説明しなくとも分かるとして、
第一日目の“お通り”は、八戸市庁そばにある「おがみ神社」を出発点として、途中「神明宮」の前を通り、「新羅神社」のある長者山まで興行する日。長者山へ日ごろのご挨拶と遊びにお出かけになる日です。27組の山車組もそれに準じて興行します。

第二日目の“中日”は、神様たちが宴の真っ最中。その楽しく喜ばしい様子を山車に乗せ、太鼓とお囃子で楽しませ、街中を練り歩く日です。何キロくらい歩くことになるのでしょうか??

第三日目の“お還り”は、挨拶や宴が終わり、それぞれの神社へお還りになる日です。来た時とは逆の行路で長者山付近から27組の山車が街中へと帰っていきます。

興行の間はずっと、太鼓、大太鼓、笛は鳴りっぱなしです。一時も、音を絶やさぬように、太鼓のメンバーチェンジの際にも助けるお兄さん・お姉さんたちが片手で太鼓を叩きながら、子どもたちを山車の上から降ろして、次の子どもたちを乗せます。
子どもたちは、太鼓を叩かない間は、山車を引く綱を持って、一緒に引っ張ります。
何トンもある山車を引っ張るのは、この太い綱2本と、引っ張る子ども・大人だけです。
坂道も、直角の曲がり角も、山車ぎりぎりのスペースを器用に運行するのは、指示役の人たちの声と笛です。彼らの存在が山車運行の要です。

今日は、前を運行する山車のもみじが電柱にぶつかって、バキバキと音を立ててもみじの葉が落ちていました。曲がりきれずに立ち往生する山車も見えます。
大きな山車は、電線のあるところや道路標識のあるところを避けるようにして、山車の上部を出したり引っ込めたりしています。道幅が広いところに出ると、左右がトビラのように開き、さらに山車が大きく変化します。見る者を圧巻します。

初めて見た私も、写真やホームページで見て想像していたのとはまったく印象が異なり、口が開いて閉まらないほどに驚き、その色彩にも見とれ、どんどん大きくなっていく山車にも、八戸のパワーを感じ、圧巻しどうしです。
「日本一の山車祭り」と言われるのが、納得です。
http://www.city.hachinohe.aomori.jp/kanko/festival/sansya/index.html

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